尾越雅子
実家の片づけ中、台所の棚の奥から出てきた2つの使い込まれたすり鉢。
一つのかなり小さめのすり鉢の溝に残っているのは胡麻だ。すりこぎ棒ですり鉢を擦るゴリゴリという音、プチプチと胡麻が潰れる感触、ふわっと鼻孔をくすぐる香ばしい香りが蘇る。
もう一つは、大人の顔がすっぽり入るくらいの大きさ。子供の頃は、もっと、とてつもなく大きく見えていたっけ……。突然、長いこと忘れていた記憶が呼び覚まされる。
この大きなすり鉢、鯵、そして、揚げ物用の鍋が用意してあったら、夕飯のメインのおかずは間違いなく「つけ揚げ」だ。「つけ揚げ」とは、魚のすり身に豆腐や卵、醤油、砂糖などを混ぜて油で揚げたもので、全国的には「薩摩揚げ」と呼ばれている。江戸時代に薩摩藩の28代当主・島津斉彬が、紀州のはんぺんやかまぼこにヒントを得て作らせたという説や、沖縄料理の揚げかまぼこ「チキアーギ」がなまったという説があるそうだ。
洒落た小料理屋で提供される「さつま揚げ」は、エソや鱧、スケソウダラなどの高級魚で作られた上品なものだが、我が家の定番の鯵の「つけ揚げ」には絶対にかなわない。母が三枚におろして皮をはがし、包丁で細かくした鯵の身をすり鉢に入れると、妹と交代ですりこぎ棒でゴリゴリと擦る。家じゅうに響くその音は耳に楽しく、鯵の身が滑らかになっていく感触が面白かった。
母はその間に細切りにした人参やごぼうのささがき、きくらげ等を用意し、豆腐や調味料を加えてねっとりしてきた鯵のすり身にさっくりと混ぜ込む。それを適当な形に成形し、黄金色になるまで油で揚げる。ほくほくと柔らかい揚げたての「つけ揚げ」よりも美味しい「薩摩揚げ」に、いまだに出会えていない。フードプロセッサーを使えばあっという間に作れるのだろうが、鯵の食感と風味の豊かさはすり鉢ならではの味わいだ。
さあ、揚げたてを食卓の父に運ぼう。お待ちかねの「つけ揚げ」を前に、無口で厳しかった父の目尻も下がっている。晩酌の焼酎のお湯割りと「つけ揚げ」に添えたおろし生姜の香りにむせて涙がこぼれた。その途端、賑やかな料理の音も美味しい香りも一瞬で消え、凍えるような寒さと、物音ひとつしない静寂に包まれた。
ああ、そうだ。父はもういないんだ。急性の病気で昨年のクリスマスの日に入院した父は、お医者さまの「長くて一カ月」の言葉通りに、ぎりぎりまで病気と闘い、一カ月後にこの世を去った。ずっと堪えていた涙が噴き出して、父が亡くなって初めて大声で泣き続けた。
わたしにとってのソウルフードの一つは、「つけ揚げ」であるが、それも手作りのものという条件つきである。料理は、目・耳・手・鼻、そして味わうときに舌、と、五感のすべてを総動員する仕事である。料理研究家の辰巳芳子さんが、著書『いのちの食卓』の中で、「料理をすることは、人を信じて、愛することです」と述べておられる。母と作った「つけ揚げ」を思い出しながら、どれだけ手間暇がかかっていたかを今さらながらしみじみと思う。
料理を食べることができるのは、信頼しているからこそである。人が「信じる」ことの基礎は、食によって育まれていくといえるかもしれないと思う。五感に刻まれた記憶の中に、大切な人たちはずっと生き続けてくれることを父もまた教えてくれた。