巡礼のこころ——1981年から82年にかけての冒険


阿部仲麻呂(日本カトリック神学院教授、学校法人サレジオ学院常務理事、サレジオ会司祭)

1.「教皇来日」から「キリスト教ゆかりの土地の巡礼」へ

1981年2月、12歳の小学六年生だった筆者は教皇聖ヨハネ・パウロ二世の来日を連日のテレビ放送をとおして食い入るようにながめていました。少年だった筆者は新聞記事を切り抜きまくり、さまざまな教皇グッズを手当たり次第に購入しました。颯爽と歩く気さくな教皇のかっこよさと奥深い祈りの集中度と相手に対する敬意を目の当たりにして、小さな心臓を撃ち抜かれました。少年は強く思いました。「ああ、このような人になりたいな」と。なお、ここで教皇ベネディクト16世による最初の回勅『神は愛』の冒頭の言葉が思い出されます。「人をキリスト信者にするのは、倫理的な選択や高邁な思想ではなく、ある出来事との出合い、ある人格との出会いです。この出会いが、人生に新しい展望と決定的な方向づけを与えるからです」(教皇ベネディクト16世回勅『神は愛』バチカン市国、2005年12月25日、1項。[邦訳はカトリック中央協議会、2006年、5-6頁])。

同年4月に中学生となり、7月の誕生日を経て13歳となった筆者は1981年12月から82年1月にかけて、およそ二週間のヨーロッパ巡礼の旅(イタリアとギリシア)を経験しました。川崎サレジオ中学校・サレジオ高等学校のコンプリ校長が企画した巡礼団に加わったのでした(校長は急用で参加できなくなり、代わりにチプリアニ師が団長を務めました)。禅修行に専心するとともに弓道の師範でもありつつ西洋絵画を専攻する父親(画家)と、ピアノやヴァイオリンの演奏とともに楽理にも秀で西洋音楽を専攻する母親(音楽教師)が、ヨーロッパの藝術全般に触れさせるために我が子を旅に送り出したのです。筆者も東西の諸藝術を好みつつも西洋美術史や教会建築を専攻する研究者になる夢をいだいていましたので、キリスト教藝術の根源を学ぶ意欲に満ちて初の海外に旅立ちました。

小学六年生から中学一年生へと環境も心の内面も急激に変化してゆく激動の移り変わりの時期に筆者はキリスト教の偉大な指導者をながめつつ、その後はキリスト教の深まりの土地をじかに訪れたのでした。しかし、その時期の筆者は仏教徒でした。つまり、まだキリスト教の立場ではありませんでした。しかし、いきなりキリスト教の最高指導者の姿にあこがれをいだき、キリスト教の揺籃(ようらん)の地をじかに巡礼したのです。

あのころの自分は、すでに「キリストについてゆく真摯な信仰者」を気取っていました。「仏教徒でありながらも、キリストにはついてゆけるんだ」という何か妙な安心感をいだいていたわけで、まるでカール・ラーナーが述べたような「無名のキリスト者」という在り方を無意識のうちに体現していたわけです。

その後は1982年の中学二年の13歳の4月に渋谷のカトリック教会で洗礼を受け、上野毛のカトリック教会にも通い、7月の誕生日を経てから、中学三年に進級する直前の1983年3月に14歳で川崎の小神学校に入寮しました。

 

2.「1月2日」の無限ループ

聖大バシレイオス

1981年から数えると、すでに44年も経ちました。こうした12歳から56歳に至る日々を、いま2025年1月2日になつかしく想い出しています。つまり、聖大バシレイオスとナジアンゾスの聖グレゴリオスの祝日に改めて自分の人生の旅の意味を考え直しました。修道会の大学生志願者のときは上智大学の哲学科に通っていたので14世紀ドイツのマイスター・エックハルトにおける「たましいの火花」に関する哲学の卒業論文を書きました。同時に、14世紀日本の世阿弥の能楽論の研究もしはじめました。その後、司祭を目指す大神学生となったときに上智大学の神学部で専攻しはじめたのがギリシア教父のナジアンゾスの聖グレゴリオスの三位一体論の研究で、卒業論文もその方向性で書きました。そのままローマでもナジアンゾスの聖グレゴリオスの神学的思惟の方法論に関する修士論文を英語で書きました。日本帰国後の博士課程ではギリシア教父神学と西田哲学の比較考察を通して「ケノーシス」(神の自己空無化)に関する博士論文を仕上げました。

1982年1月2日のときはイタリアにて巡礼団のミサに参列しており、聖大バシレイオスやナジアンゾスの聖グレゴリオスの祝日の祈りを印象深く捧げたわけですが、43年後のいまは、やはり同じ祝日を独りで記念しながら祈りつつ、この文章を書いています。おそらく「1月2日」が決定的な人生の転換の一日なのでしょうか。毎年、同じ日が自分の心を洗練させてきたように思えてならないのです。

 

3.まさに、「1981年から82年にかけての冒険」

まさに、「1981年から82年にかけての冒険」が、いまの自分の出発点となっています。12歳の小学六年生が13歳の中学一年生として経験した海外巡礼は大きな冒険でした。とくに、そのときの年明けの「1月2日」が転換点です。中学一年生の少年が海外で年明けを経験したという、あの出来事は、思いもよらない奇跡でした。あのときに、筆者は無意識のうちに「巡礼のこころ」をたどっていたのです。祈りながら旅する歩みを異国の土地で経験したわけで、それこそ「1981年から82年にかけての冒険」でした。

仏教徒がキリストについてゆく決意をしてキリスト教の揺籃の地を歩きつづけました。大切な相手を想って歩きながら祈り、相手のしあわせを祈りながら歩くという無限のループのまっただなかで、仏教的な無の境地とキリスト教信仰の闇夜のゆだねの祈りとが決して矛盾しないものとして響き合い、ひたすら歩くことの飽くなき探究の道行きを切り開きました。幼いころから無意識のうちに書物と絵画と音楽の響きのなかで育ち、その感覚的な味わいをたずさえたまま、筆者はヨーロッパに旅立ちましたが、発見したのは「祈り」の深みでした。

 

4.とあるメドレー(巡礼のこころ→若者と巡礼→ドラマやアニメの聖地→「希望の巡礼者」)

最後に、「とあるメドレー」を書き連ねます。AMORの編集長からいただいた宿題に応えないと、申し訳ないからです。

巡礼のこころとは、無意識のうちに旅立つことではないでしょうか。巡礼とは、ただひたすらさすらう自由闊達な自己投企なのではないでしょうか。考えるより先に一歩踏み出してしまうことで、せせこましい自分や日常的な環境から決然と抜け出して、ゆだねる勇気に満たされた冒険をすることが巡礼なのでしょう。しかも、絶えず祈りながら歩き、歩きながら祈り、おのずと祈りそのものが歩きそのものと化すとともに、歩きそのものが祈りそのものと重なりつづけて、いつのまにか「無心になって、ひたすら進む」だけなのかもしれません。相手を想う祈りと無心の歩みとが一体化して「愛情=無心」(キリスト教信仰=仏教瞑想)となっているときが巡礼の状態なのかもしれません。

少年も若者も大人もお年寄りも、あらゆる人は一歩踏み出して冒険することができます。どの世代の人も、冒険することで「新しい人」としてはつらつとした明るさを身につけるのでしょう。思い切って出かけてしまえばよいのです。筆者は出不精で、ほんとうは動くのがすごく苦手なのですが、いやいやながらでも出かけてしまいます。ほんとうはすごくいやなのですが、わざと一歩踏み出しています。それで少しずつ努力しているうちに、気づいたら、いつのまにか日本全国555箇所以上で仕事をしていました。苦手でも、一歩踏み出せば成長できます。おそらく「1981年から82年にかけての冒険」のときの、あの感触がよみがえるのでしょう。もう何も考えずに、出かけてしまうしかないのです。

近年、ドラマやアニメの重要な背景となった土地を聖地としてあがめて訪れる若者が増えていますが、ドラマやアニメもまた藝術的な創作活動として理解すれば、その旅立ちは、しごく当然のことにすぎません。別段驚くべきことではありません。筆者の場合は「1981年から82年にかけての冒険」の際にはキリスト教藝術の味わいを体感する巡礼に向かったのですが、他の方々はドラマやアニメの藝術性を味わうための巡礼に出発してゆくのでしょう。筆者はアニメはあまり観ませんが、脚本も作画も音楽も編集もすぐれた職人の藝術の総合的な結晶であると考えており、尊敬の念をいだいています。ドラマも演劇藝術の一形態として理解して観ているので、やはり創り手たちの努力を丁寧にたどるように学んでいます。ドラマやアニメの聖地巡礼を好む人は相手の職人わざに気づけるからこそ、何らかのほんものの呼びかけを追いかけようとするのかもしれません。

2024年12月24日に教皇フランシスコによってバチカンの聖ペトロ大聖堂の「聖年」の扉が開かれました。ついに、25年に一度開催される通常の「聖年」が始まったのです。その際、今回は「希望の巡礼者」という主題がかかげられています。キリスト者ひとりひとりが「希望」を実感して祈りつつ神と隣人とのつながりを尊いものとして大切にして冒険することが叫ばれているわけです。その冒険は、それまでは旧態依然として決して成長できないまま停滞していた私たちの日常生活を、これからは新鮮な明るさで満たす日々に変貌させようとする88歳の祖父のような教皇フランシスコの必死の想いから生じた巡礼への招きなのです。祖父の智慧を無視するわけにはゆきません。人生の辛酸をなめて苦労して人助けをつづけているじいちゃんの貴重なアドヴァイスには何らかの意味が必ずあるからです。乗るしかないでしょう。私たちひとりひとりが「希望の巡礼者」なのです。

「希望」は「キリスト」です。たしかに、そうです。筆者は毎日ミサを捧げますが、その際に「私たちの希望、主イエス・キリストが来られるのを待ち望みます」という言葉を毎日味わっています。そうなると、「キリスト」が「希望」なのだと強く実感できます。ということは、教皇フランシスコの言う「希望の巡礼者」という標語は、まさに「キリストの巡礼者」という意味として私たちの心に迫ってきます。キリストといっしょに歩いてみる、あるいはキリストを探すために巡礼してみる、もしくはキリストの忠実な仲間として祈りつつ人助けをする旅に向かってみる、という多彩な意味が見えてきます。

個人的には、岡本亮輔『聖地巡礼——世界遺産からアニメの舞台まで』中央公論新社(中公新書)2015年、という良書に関しても述べようかと考えてはいたのですが(巻末の参考文献リストが役立ちます)、これ以上、駄文を連ねたら読者が可哀そうなので、今回はここらで筆を擱(お)きます。

2025年1月2日

 


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