谷川俊太郎氏が11月13日にお亡くなりになりました。谷川さんの映画『谷川さん、詩をひとつ作ってください。』が公開されたのは2014年でしたが、その際に、この映画の監督・杉本信昭さんに『なごやか』という雑誌でインタビューしました。谷川さんを偲ぶ意味でも、この記事を再掲させていただきます。なお、『谷川さん、詩をひとつ作ってください。』は、第39回日本カトリック映画賞を受賞しています。授賞式・上映会に際し、顧問司祭の晴佐久昌英師と谷川俊太郎さんの対談を流しました。その映像も最後に掲載いたしますので、お楽しみください。
さまざまな場所で生きる人々が生み出す自らの言葉が、谷川俊太郎の詩に溶け込む瞬間、そして新たな詩が生まれる瞬間をとらえようとしたドキュメンタリー映画『谷川さん、詩をひとつ作ってください。』が公開されている。監督をされた杉本信昭さんにお話を伺いました。
谷川俊太郎さんが登場するこの映画を、杉本監督は、谷川俊太郎さんの映画でも谷川俊太郎さんの詩の映画で
もないという。「ぼくは、『言葉について考える映画』をつくりました」と話す。
そして「多数派の言葉しか持たないということは、自分の言葉の使い道を誰かに委ねていることと同じだ」ともいうのだが、それはどういうことなのだろうか。
「自分で何かを伝えたり、考えたりするときに、おしきせの言葉や言葉遣いをしているなということを意識するようになっていました。自分でもオリジナリティーを失っているなと思いました。多数派の言葉遣いに寄せていると生き易く、少数派でオリジナルなことを考えると生き難いとうことが、この数年顕著だなって思ったのです。それで、ぼくのなかに『言葉』というものがクローズアップされてきたのです」
谷川さんを紹介されたのは、プロデューサーからだった。杉本監督は、詩に興味を持ったこともなく、詩をほとんど読んだこともなかった。
「谷川さんと一緒に映画をつくるということで、谷川さんの『クレーの天使』という詩を読みました。そのなかの〈泣いている天使〉〈醜い天使〉〈忘れっぽい天使〉にかなり惹かれたのです。まったく気付いていない自分の部分を感じたのです。そうだよなみたいにね。つまり、他人である谷川さんが書いたもので、
自分が納得するという初めての経験をしたわけです。それで、谷川さんには、ぼくが考えてきた『言葉』をテーマにした映画の扉を開けて、背中を押していただく、エンジンになっていただこうと思ったのです。困ったら谷川さんがいると思って。そして、この映画のために新しい詩をひとつ作ってもらうことにしました」
それから、杉本監督の映画作りの旅がはじまった。その旅は、〈自分の言葉を使う人〉を探す旅だった。
「ぼくが前から知っていた人や紹介された人、探したり偶然出会ったりした人などかなりの人たちのなかから絞り込んでいきました」
★登場人物はそれぞれの人生から醸し出される言葉で話している
映画には、福島県相馬市の女子高校生(小泉結佳さんと古山茉実さん)、長崎諫早湾の漁師(松永秀則さん・はるみさん)、青森の霊媒・巫女(小笠原みょうさん)、大阪釜ヶ崎の日雇い労働者(坂下範征さん)、東京の農家を営む(川里賢太郎さん・弘さん)といった人々が登場する。
「相馬市の女子高校生と諫早湾の漁師は、とても魅力的だと感じたので出てもらいました。その魅力とは、谷川さんが東日本大震災の後に書いた『言葉』という詩に表されています。この詩は、沈黙ということのなかに潜んでいる言葉、出てこないで溜まっている言葉とでもいいましょうか。そういう言葉について考えさせてくれます。干拓による諫早湾の被害や原発による被曝で強いられた生活のなかでは、耐えながら沈黙が生まれます。その状況から、どうしても話しておかなければならない言葉というものがあると思うのです」
マスメディアで発表されるような言語ではない、当事者が自ら置かれた場から生まれる言葉を、女子高生と漁師夫妻によって杉本監督は映画に記した。
巫女(ごぜ)の小笠原みょうさんの語りには、生まれついた宿命の過酷さを知らされる。
「目の見えない人は小さい時から、学校の先生に巫女になるか瞽女になるかだと言われます。生きていく術としてね。さんざん痛めつけられてきた体験をした人が、部屋の一番最後のところに布団があって、仏壇があって、そこに座って留まって、誰かの話を聴いているって感じなんですよ。みょうさんは、10円玉もない時があったと言います。いいことは一つもなかったというみょうさんが、地元の人たちの受け皿やはけ口という役目を担っているんです。」
坂下さんは、若い時に奥さんを白血病で亡くし、それからは一人で漂泊の人生を送ってきた。奥さんとは、大学時代に文学部で知り合った仲だった。一人娘は親に預けっぱなしで暮らしてきた。文学性がそこはかとなくにじみ出る坂下さんは、自分が、いつどこでどうしていたのか、分かるように1年に1行ずつ書いた「1行年表」を作っている。「無名でも『1行年表』はみんな持っている」と話す。
川里さん親子は野菜作りをしている。土を大切に扱い、土と共に生きている。四世代が暮らす家族は、土と野菜で支えられている。川里さんは、「どうせやるなら楽しくやった方がいいじゃないですか。嫌な事や不愉快な思いでしていたら、いいものはできないと思います。手をかけて育てるとね。おいしくなる」
と話す。
映画に登場する人たちは、それぞれの人生から醸し出される言葉で語り、表情や仕草で淡々と観る者に自分のなにかを伝えている。
★自分の言葉を使う人には谷川さんの詩が溶け込んでいる
映画の中では何篇かの谷川さんの詩が朗読されている。谷川さんが朗読したり、出演者が朗読している。
「ラッシュの段階で、谷川さんに観てもらい、出演した5組の人たちに向けて、谷川さんが今までに作られた詩の中から谷川さんに朗読してもらいました。高校生と川里さん、坂下さんには『夜のミッキーマウス』という詩を読んでもらっています。この詩を読めますかって渡したら、その場ですぐに読んじゃうんです」
杉本監督は、自分の言葉を使う人々には、谷川さんの詩がその人たちに溶け込んでいるはずだと考えた。だから、遠く離れているかのような両者は実は同じ地平にあり、迎合しない清々しさとそれ故の孤独、そしてそれらを瞬時に世界と結びつける谷川さんの詩がある。そして、この見えない関係を見えるようにするのは、映画しかできないことだと思った。
「映画の作り方だけで言うと、非常に王道をはずしているんです。映画の文法も踏んでいませんから。いわゆるストーリーとかドキュメンタリーでも、告発していくというやり方は全くしていないので、この映画を観にくいという人も多いんです。どうやって観たらいいか分からない。しかも、谷川さんが頭に出
て来て、約半分ぐらいずっと知らない人ばかり出てくる。そういう意味で、オーソドックスな作り方はしていないんです。谷川さんを通して、ぼくがまったく素人というか、興味もなかった詩というものに付き合って、それを映画のなかでなんとかするというときに、ぼくにはこういうことしかなかったということなんです」
登場するそれぞれの人たちで、1本ずつのドキュメンタリーができる素材である。観る者(われわれ)は、映像のなかでその人生を辿り、活きている現場に立ち会っている。詩は朗読されるが、文字は画面に映し出されない。声を聞くことから内容を聴くことを求められる。
そのとき、観る者(われわれ)は、登場人物と谷川さんの詩に溶け込んだ言葉を受け止めなければならない。観る者(われわれ)にも、自らの言葉を持てるかが、問われている。
「言葉は体から出て体に還ります。多数派の言葉しか持たないということは、自分の体の使い道を誰かに委ねていることと同じです」
映画の最後には、谷川さんの新しい詩が出される。この映画から産み出された詩は、登場人物たちを振り返るシーンを背景に読まれていく。
『映画の詩集』ともいえるこの映画は、何遍もページをめくる(観る)ことから、「自らの言葉」をつくることにつながっていくのだと教えてくれているかのようである。
「映画のなかでぼくなりの詩集ができたということだと思います。あるいは、できている途中なのかもしれませんね」
杉本監督の誠実で真摯な態度にこころ打たれた。
鵜飼清(評論家)
プロフィール
杉本信昭◆すぎもと・のぶあき。新潟県新潟市出身。1977年法政大学中退。以降フリーランスの劇映画助監督。1986年、シナリオ「燃えるキリン」執筆(未映画化)。以降フリーランスのPR 映画・展示映像監督として活躍。
1993年ドキュメンタリー映画「蜃気楼劇場、2003年ドキュメンタリー映画「自転車で行こう」を監督。
2007年株式会社GEARS せつりつ。アニメーション映画「RED METAL」企画・製作開始(未完)。2013年
羽仁進監督ドキュメンタリー「PARADOISE」編集。
なお、現在谷川俊太郎氏を偲んで映画『谷川さん、詩をひとつ作ってください。』は、追悼上映されています。くわしくは公式ホームページをご覧ください。
公式ホームページ:https://tanikawa-movie.com/