祖父母とはどういう存在か


K.T

今回「敬老の日」に関するテーマで寄稿させていただくにあたり、一番初めに考えたのはこの単純な問いの答えでした。大切な家族、尊敬すべき年長者、人生の先輩など。ありきたりな言葉は思いつきましたが、そのいずれもが彼らの存在に当てはまるようでいて、そのいずれかに当てはめてしまうのはどこか勿体無いように感じます。そう感じられる程に、私と祖父母との距離はあまりにも近く、またその存在はあまりにも自分にとって大きなものなのです。

我が家の家族構成は、祖父と祖母、母、そして私の4人家族です。あとはかわいいインコが一羽。祖父母とインコは共に、仕事に出掛けている母と、大学に通うために下宿している私の帰りを待ってくれています。海と山、田んぼに囲まれた大自然のなかにありながら、東京までは二時間と少しで出られるというなかなか好立地な実家は、多少不便でも離れがたい居場所となっています。その居心地のよさの一端を担っているのは、間違いなく実家で待つ祖父母の存在でしょう。忙しい母に代わり、祖母は幼少期からずっと私の面倒をみてくれていましたし、祖父は私が生まれた頃にはまだかなり若く、父親のような存在として一家の大黒柱を担ってきてくれました。二人とも比較的若いこともあって、他の御家庭よりも祖父母との距離感は近いのではないかと感じています。

さて、これまで私と祖父母との関係性について語らせていただいたところで、ここでそれぞれ一つずつ、私が祖父母から教わった格言のようなものを共有させていただければと思います。

まず祖父からは、「ゆっくり じっくり たんたんたん」という言葉を教わりました。これは私が自転車の練習をしていた5、6歳のときに、私が乗る自転車の後ろを支えながら、祖父が繰り返し伝えてくれた言葉です。私はものごとを覚えるのが人よりも遅く、特に自転車などの身体を動かすことに関しては、才能がないのではないかと思えるほどに覚えの悪い子供でした。しかし、祖父はそんな私との練習に根気よく付き合ってくれ、小学校に上がる前には私も自転車に乗れるようになっていました。「ゆっくり じっくり たんたんたん」という祖父の落ち着いた声を聞くと、不思議と心が落ち着いたのを覚えています。

などとつい思い出のように語ってしまいましたが、私は未だに祖父のお世話になっていまして、最近ではよく自動車の運転の練習に付き合ってもらっています。久々に二人でこの言葉を唱えたときには、10年以上の時間が経ったにもかかわらず、あの日の自転車の練習を思い出しました。乗る乗り物は変わっても、自分が成長しても、変わらない祖父の優しさには救われ続けています。車の運転は、残念ながら遅々として上達していませんが。

続いて、祖母から教わった言葉もご紹介したいと思います。祖母はどこかから聞き齧った格言や自分のポリシーを言うのが好きな人なので、いくつか候補はあるのですが、ここでは一つ「笑う門には福来る」という言葉に絞らせていただきました。もちろんこの言葉は古くからあることわざですが、私にとっては幼少期から祖母に言われ続けてきた、祖母独自の名言のようなものです。祖母は、若い頃に貧しい生活を乗り越え、何事にもひたむきに明るく取り組んでいくことで幸せをつかんだ人です。そんな祖母は私に、「笑う門には福来る。だから笑え」と、幼い頃から繰り返し教えてくれました。

そんな笑顔の英才教育のおかげで、ありがたいことに、私は成長するごとに笑顔を褒められる機会が増えてきました。最近では就活中、企業の採用担当の方に笑顔を褒めていただいたこともあり、密かに「自分の強みなのかもしれない」と感じているところです。祖母とは幼少期から常に生活を共にしていたため、生活の知恵や生き方のアドバイスなどはほとんど全て祖母から教わりました。まだまだ未熟で、祖母からは電話越しにアドバイスや叱咤激励をもらう日々ですが、彼女から貰った格言や知恵は、これからも私の人生を支えてくれるのだろうと思います。

ここまで、私と祖父母の少し特殊な関係性と、貰った格言についてつらつらと語らせていただきました。最後に最初の問いに立ち返り、「私にとって祖父母はどのような存在か」と改めて考えてみたいと思います。正直、考えをまとめてはみたものの、一言で表すことはどうしても難しく、あれやこれやと言葉が出てきます。今回は流石に良いことしか書きませんでしたが、祖父はしっかりしていますがお酒を飲むのがやめられないタイプですし、祖母は優しいですが極端で短気なところがあります。一緒に過ごしてきた分、二人の良いところも、少しの欠点も、たくさん知っています。それはきっと母や私に受け継がれていたり、反面教師として直されたりしている部分もあるでしょう。ただ一つだけ明確に言えることは、母も私も、祖父母のことを愛していて、祖父母も私たちのことを愛してくれている、ということなのではないでしょうか。誰も言葉にしたことはありませんが、我が家にとって家族とはきっとそういう存在なのだろうと思います。

話は尽きないので、最後に一つだけ。この文章を書くことは祖父母にも伝えてあるので、じきに目にすることになると思いますが。

いつも、本当にありがとうございます。これからも、体に気をつけて。何年先もお元気でいてください。

 


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