今回の「酒は皆さんと共に」では、ダ・ヴィンチ、ラファエロと並んで「ルネサンス三大巨匠」と評されるミケランジェロの名を冠したワインを紹介します。フィレンツェの《ダヴィデ像》、ヴァティカンの《ピエタ》やシスティーナ礼拝堂天井画など、ミケランジェロの作品は人類の至宝ともいうべき名作ばかりです。ちなみに、ミケランジェロとはイタリア語で「天使ミカエル」の意味であり、英語圏ではマイケランジェロ(Michelangelo)、フランス語圏ではミケランジュ(Michel-Ange)、スペイン語圏ではミゲルアンヘル(Miguel Ángel)といったように各国語に訳された名で知られています。
イタリア・ルネサンスを代表する芸術家であるミケランジェロは、1475年にフィレンツェの旧家に生まれ、石工の妻を乳母として育ちました。後にミケランジェロは「自分の彫刻家としての才能は、石工の妻の乳のおかげだ」と冗談を言ったそうです。そんなミケランジェロが生まれ育った15世紀末のフィレンツェは、ロレンツォ・イル・マニーフィコのもとでルネサンスの中心地として栄えていました。つまり、ミケランジェロ少年はルネサンス華やかなりし文化都市で産声を上げ、成長していったのです。
古代ギリシア=ローマ時代の古典文化を復興させようとするルネサンスは、中世のキリスト教を批判し、人間性を重視する思想に裏打ちされていました。それゆえルネサンス芸術は古代ギリシアやローマの神話を題材とした作品を多く生み出します。実際、10代のミケランジェロは、イル・マニーフィコのために《ケンタウロスの闘い》というギリシア神話を主題とした彫刻を制作しています。このようにキリスト教と対立するルネサンスの高まりは、当然のことながらキリスト教側からの強い反発を招きます。フィレンツェではサヴォナローラというドミニコ会士がルネサンスを痛烈に批判し、イル・マニーフィコの死後弱体化したメディチに代わり、フィレンツェを支配するようになります。宗教改革の先駆者の一人とされるサヴォナローラは、キリスト教の改革を訴え、「虚栄の焼却」と称してフィレンツェの芸術や書物を破壊してしまいます。
ドミニコ会士の兄を持つミケランジェロは、キリスト教信仰とルネサンス思想の間で揺れ動きますが、最終的にフィレンツェを去ることを決意します。ヴェネツィアやボローニャ、ローマで研鑽を積み、一時フィレンツェに帰国して仕事をこなすなど、15世紀末のミケランジェロは忙しいながらも有意義な時間を過ごしました。《ピエタ》や《ダヴィデ像》といった名作が誕生したのもこの時期です。その間にサヴォナローラが火刑に処され、芸術に関心を示す教皇ユリウス2世が登位するなど、時代はルネサンス優位に動いていきました。そしてこの教皇ユリウス2世がミケランジェロを保護し、サン・ピエトロ大聖堂を大改修することとなるのです。
ミケランジェロは1564年に89歳でこの世を去るまで、多くの作品を作り続けました。特に晩年のミケランジェロは、芸術を偶像としてきたことを悔やみ、神の栄光を唯一の目的として制作活動に取り組むようになります。彼は死の数日前まで《ロンダニーニのピエタ》と呼ばれる作品を掘り続けていました。未完に終わった《ロンダニーニのピエタ》は、若いころに制作した肉体美が魅力的なルネサンス的ピエタと異なり、肉体的弱々しさの中に信仰の力を見出せます。ルネサンスとキリスト教の間に生き、深遠な思想を抱いて生涯芸術と向き合い続けたミケランジェロは、芸術の奥深さを代表するような人物です。同様に、彼の名を冠したワインもまた、奥深いワインの世界を体現しているのかもしれません。
石川雄一(教会史家)