土屋 至 (SIGNIS Japan会長 元聖パウロ学園高校宗教担当講師)
高1の「宗教」の授業で新約聖書を読む。「弟子たち」というテーマではペトロやヨハネ、トマスなどひとりひとりの弟子たちの登場する場面を読み、その弟子たちの性格や年齢、生い立ち、教養の程度などを推測していく。これが結構ひとりひとりの弟子たちの性格を表していておもしろい。たとえばペトロは応答は早いが、あまり深く考えずに思い浮かんだことをすぐにことばに表現するタイプであることがすぐわかる。そしてこの表現は4つの福音書に共通していることも興味深い。
ユダも同じように以下の5つの箇所を読んでいき、そこからユダの性格、年齢、考え方のタイプを推測する。
- ヨハネ 12章 1~8節(ベタニアにて)
- マタイ 26章14~16節(裏切りを企てる)
- ヨハネ 13章21~30節(裏切りの予告)
- マルコ 14章43~45節(イエズスの逮捕)
- マタイ 27章 3~10節(ユダの自殺)
実際に読んでみて、ユダの性格や考え方のタイプなどを推測してみてほしい。生徒たちはユダを次のように推測する。
- 年齢は30代後半のおじさん。
- 計画の立て方が若くない。
- 年齢はイエスより年上ではないか。
- 弟子たちの中でお金を預かっていたので、賢い。
- 自己中心的で自分の儲かることしか考えていない。ずる賢く嘘がつける。お金に目がない。
- 自分の行いを反省できる。もっと早く気がつけばよかった。
- 二重人格。イエスの前では人格を発揮し、悪知恵を働かす。弟子たちの前では猫をかぶる。反省の心が時々表れる。
- 良心は持っていたが、悪意がかぶさってしまった。
最後に「ペトロもユダもイエスを裏切ったのに、ペトロは使徒の代表になり、ユダは自殺してしまった、その違いは何だったろう」と問いかける。
その説明のためにジョットの「イエスの逮捕」の絵画のイエスのユダを見つめるまなざしを見せる。
またペトロの場合、その例としてルカ22章61節を出す。また復活したイエスとのやりとり(ヨハネ21章15~19節)を読む。
次の時間では太宰治の「駈込み訴え」を読む。
この小説は「走れメロス」とほぼ同時期に発表され、文庫本でも同じ本に収録されている。さらに新潮カセットブックにも「走れメロス」とともに、俳優の草野大悟の朗読で収録されている。「走れメロス」「駈込み訴え」ともに昭和15年の発行である。カセットブックの作品解説にはこう書かれている。
太宰はユダをして最高法院に訴えるときの口上を一気に語っている。文庫本で20ページに及ぶ作品で段落の区切りは1カ所しかない。ほとんど空白もなく、文字がべったりと並んでいる。わたしはこれを縮小して切り貼りし、B5判8ページに収めて印刷して配布する。授業ではカセットブックの朗読を聞きながら、このプリントを読む。全部は読めないが、ところどころ聖書にこんなことがあったと思わせる表記がある。全くの太宰創作の物語であるが、太宰が聖書を独自に読み込んでいたことがうかがえる。
次の授業では「イエスの最後の7日間」の聖書のテキストを読みながら、あわせて「ジーザス・クライスト・スーパースター」を見る。これの主人公はイエスとともにユダなのである。ユダの口をとおして当時の若者たちがイエスに言いたいこと、聞きたいことを語り歌わせる。
わたしはこのミュージカルの劇団四季の日本での初演を1975年ころ中野サンプラザホールに見に行った。客席はがらがらだった。イエス役を鹿賀丈史、ユダ役を飯野おさみ、マリア役を島田祐子だったか。
ユダは歌う。「あなたは生まれてきた時代を間違った。マスコミの発達したいまだったら、たちどころにスーパースターになったはずだ」。このミュージカルはユダに対する強い思いが伝わってくる。
太宰の「駈込み訴え」とミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」を見た生徒たちの何人かは「ユダさんかわいそう」とユダファンになるのである。