山田真人
前回は、カリスマという言葉について見てきました。NPOの活動の中で世の中を変えていくために個人の選択の積み重ね、つまり識別を繰り返すうちに、神に与えられたカリスマが育っていくという点に、特に触れました。カリスマという言葉は、教会の中での働きで、神との繫がりによる個々の力を示すことが多いですが、同時に教会の外でその恵みを体現していく上での働きにも使われる言葉です。
今回は、この教会の外で働くカリスマの力を、信徒使徒職というキーワードから考え、現在のNPO法人せいぼの活動の一部も、その事例として紹介できればと思います。
最初に考えたいのが、信仰と行いの一致を説いたヤコブの教えです。ヤコブの手紙2章21~22節で、アブラハムが息子イサクを神に捧げるという行いを例に挙げ、人間の神への信仰は、行いによって完成することを述べています。この場合の「完成」は、創世記15章6節で神を信じて義とされたアブラハムの信仰が、22章でイサクを捧げようとするという具体的な行動で完成していることを表しています(『新聖書注解 新約3 ピリピ人への手紙→ヨハネの黙示録』いのちのことば社、P.308)。信仰は、行いとともに働くということを示す例として、ヤコブは旧約聖書時代のアブラハムを取り上げています。
このような伝統的な観点で、信徒使徒職としての生活を語った使徒的勧告として、ヨハネ・パウロ2世の『信徒の召命と使命』があります。
二つの並行した生活をしているのではありません。つまり、霊的な価値と要求をもったいわゆる「霊的生活」と、家庭や仕事、社会的関係や公共生活の責任、文化活動といったいわゆる「この世における生活」との二つの別な生活をしているのではありません。(……)実際、信徒の生活のあらゆる分野が神の計画のなかに入っています。神はそのあらゆる分野が、御父の栄光と他者への奉仕のためにキリストの愛が表わされ、実行される「場」となることを望んでいます。
(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的勧告『信徒の召命と使命』59項)
このような箇所から、教会共同体で培われた信仰は、霊的生活への要求を生み、具体的な社会的関係もその神への信仰に基づいたものになるということがいわれているのが分かります。こうした姿勢を教会が持つのであれば、現代において、司祭に対して圧倒的数を占める信徒たちが、神の計画を具体的に行動で表すこと、つまり自分のカリスマを実践することが教会の役割としてどれだけ重要かが分かります。
最後に、この信仰の表明としての行動の具体例を考えるために、チャリティという言葉を考えていければと思います。チャリティ活動は慈善活動として賞賛される一方で、一時性や継続性のなさという印象から多くの批判も受けてきました。その反動で、最近はフィランソロピー(ギリシャ語の「フィリア(愛)」と「アンソロポス(人類)」を語源とする合成語で、人類愛、慈善、社会貢献を意味します)が中心となり、計画的な国際開発や企業の事業発展と並行した投資の傾向が強くなり、SDGsやCSRに見られる企業活動にも広がっています。
どちらが良いという判断をするわけではないのですが、真に信仰の表明としての行動はどちらなのか、言い換えれば本当の意味で共通善になる結果を生み出すのは何かを考えることが、とても重要な識別になります。
現在、学校教育の中で探究学習が実施されています。カトリック学校ではフェアトレードについて学習する機会が増え、NPO法人せいぼもマラウイ産コーヒー、紅茶を題材に、フェアなトレードとは何かを考える授業を提供することが増えています。フィランソロピー的に事業として持続可能性を持たせ、仕組みを作る動きはフェアトレードインターナショナルなどの認証団体を始め、多くの形がビジネスとして現れています。しかし、何かフェアなのかを考える、つまり識別し行動する方法は、まだ多くないのが現状です。キリスト教信者ではなく、教会に通っていない人にとっても、こうした識別を繰り返し生活することは、ヨハネ・パウロ2世の言う信徒の生活に近いことになります。
次回は、このフェアトレード学習の現場の紹介を通して、チャリティの特徴も考えていければと思います。
山田 真人(やまだ・まこと)
NPO法人せいぼ理事長。
英国企業Mobell Communications Limited所属。
2018年から寄付型コーヒーサイトWarm Hearts Coffee Clubを開始し、2020年より運営パートナーとしてカトリック学校との提携を実施。
2020年からは教皇庁いのち・信徒・家庭省のInternational Youth Advisary Bodyの一員として活動。