縄文時代の愛と魂~私たちの祖先はどのように生き抜いたか~ 12.縄文時代の聖水


森 裕行(縄文小説家)

12.縄文時代の聖水

 青春時代に覚えた歌は、その後の人生にまで影響を与えるようだ。私は川にまつわる歌で、「赤い鳥」が歌っていた「河」が好きだ。

 河よ私を流しておくれ

 河よ満(みつ)ることのない海に

大栗川 筆者撮影

川が罪と穢れを流すイメージは古今東西にあるが、日本では「穢れと禊」の文化が脈々と流れていて、例えば伊勢神宮の五十鈴川を思い浮かべる方も多いだろう。古事記では黄泉の国の地母神イザナミと別れた男神イザナキは、穢れを洗い流すため日向の国の橘の小戸の河口で禊をし、そこで、太陽神、月神などを産む。また、この場面の前段には、火の神のカグツチを産んで下腹部に致命的な火傷をしたイザナミが、排泄物として水の女神と粘土の神などを産む。そして、イザナミは亡くなり怒った男神イザナキがカグツチの首を切り落とすが、火の神から飛び散った血から様々な神が生まれ、雲を呼ぶ龍の神、そして雲から雨に変わるのだろうか、雨を降らす神も生まれる。私はこの血のイメージの中に激しい雨(水)が重なっているのに驚く。一方日本書紀では、第一の書、第二の書といった異説も掲載し古事記とは異なる神話も残している。例えば火の神カグツチがイザナキに殺害されるところでは、身体を三つに切られた説、五つに切られた説など複雑で単純ではない。

 さて、昨年は京王線多摩境駅の近くの田端環状積石遺跡で冬至の日没を楽しんだりした。

田端環状積石遺跡から蛭ケ岳の冬至の日没を眺める 筆者撮影

 田端環状積石遺跡については「東京のストーンサークル」で述べたが、3500年前にストーンサークルでの祭儀が始まるが、そのだいぶ前の縄文中期(約5000年前)でも、周辺の田端遺跡、多摩ニュータウン248遺跡の粘土採掘場やそれを使っての土器の村245遺跡等が営まれていて、当時の遺物なども発掘されている。この粘土採掘場や土器の村は1000年以上続き代表的な遺跡でもある。

 丁度、京王線の南大沢駅と多摩境の間にトンネルがあるが、そこの尾根あたりが多摩川水系と境川水系の分水嶺であり、多摩境駅を降りて南の境川の方面に歩くと、今はなだらかに下っていて晴れた日は丹沢山系が綺麗に見える。多摩川は東京湾に流れ、大國魂神社では春のくらやみ祭りは東京湾の品川沖で禊祓用の海水をとることから始まる。境川は相模湾の江の島あたりに流れ込むが、海との関係はどうであったのだろうか。

 

境川 筆者撮影

 さて話を戻そう。この土器の村と田端遺跡からは、有孔鍔付土器が発掘されている。中期の有孔鍔付土器は、今まで様々な用途が言われている。手元に図録「有孔鍔付土器と人体装飾文の世界」(あつぎ郷土博物館 2022)があるが、用途に関しては「酒造具説」、「太鼓説」、「種子貯蔵説」などがあるが、ただ、どれも決め手がなく決着していないとのこと。これは釣手土器に似ている。私は、文化の異なる現代人の感覚から用途を類推するより、土器編年がなりたつようなアイデンティティが明確で同調意識が強い村社会では、むしろ神話や伝承、民俗からのアプローチを大事にし、その宗教や信仰を解明するのが早道のように思うが如何であろうか。もともと容器はわれわれもそうだが多様に使われるのだから。

有孔鍔付土器は、赤色顔料で彩色されていたり丁寧に調整されていたりして、煮炊き用の土器と一線を画し、何かを入れて保存したりするような土器である。図像が表現されることも多く、蛙、月に結びつけて解釈されることも多い。また、子供の誕生を思わせるような円文、口縁に近い部分に穴があけられていたりして、何か水に縁の深い信仰の祭儀に使われたのではと想像する。山梨県の円錐形土偶(ラヴィ)からヒントを得て、食物の神、火の神に関係する土器を観てきたが今回は、水の神について考えてみたい。なお、女神像を表す土器を3つに分ける考え方は田中基氏「新石器文化の神概念と原罪意識」(山麓考古 小林公明編 1995)を参考にさせていただいた。あらためて感謝の意を表したい。

まずは、田端遺跡の敷地(ストーンサークルの南方)にある竪穴住居1号から発掘された土器。器高12.4×口径7.9cm、縄文時代中期(藤内Ⅰ式)田端遺跡(東京都町田市小山町)出土

出所:東京都町田市 田端環状積石遺構 2017 玉川大学教育博物館
図版36-9

出所:東京都町田市 田端環状積石遺構 2017 玉川大学教育博物館 68P
第2次調査 1-2号住居址出土土器
(調査報告書名は「田端環状積石遺構」ですが本土器は田端遺跡出土です)

小さな土器であるが、台の裏側以外は赤色顔料が塗られていたという。

例えばこの土器を首が落とされた地母神のトルソーと考えてみたらどうだろうか。胴体に描かれた文様も意味深長であるが、胴体の口縁に近い所の9つの穴は、この土器に収まった若水(聖水)に柄杓などで水を追加すると、9つの穴から水が噴き出し、赤色に塗られた土器の外側に御血のように流れだす。そこにカグツチや地母神の死と再生の物語を見ることができるのではないか。

日本だけでなく世界の神話まで広げて考えると、水は桶で汲むことも多く、そこからこぼれる水のイメージから雨や雨粒。さらに月の痘痕(あばた)が蛙や雨粒と繋がって、月も水と非常に関係が深くなる。月は満ち欠けを繰り返す典型的な死と再生の象徴でもある。

この聖水により、今の私たちと同じように清められ、明日への活力を縄文時代の祖先は感じたのだろう。

ところで、田端遺跡の尾根側には土器の村と粘土採掘場があるが、土器の村の245遺跡の33住居址から次の有孔鍔付土器が発掘された。この土器は藤内Ⅱ式の可能性がある。また床面に二つの特殊な小型土器とともに正位で置かれていて、何らかの祭儀をした後のようだ。底部は欠損しているが白色の粘土塊が入っており底から一部流失していたようだ。これは、地母神イザナミが死に際し、粘土の神を排出していたことを彷彿とさせる。

東京都埋蔵文化財調査センター展示室 筆者撮影

出所:東京都埋蔵文化財センター調査報告第57集
多摩ニュータウン遺跡 NO.245・341遺跡(2)
図版61

出所:東京都埋蔵文化財センター調査報告第57集
多摩ニュータウン遺跡 NO.245・341遺跡 (1)P143 33号住居址遺物

245遺跡・土器の村は、この有孔鍔付土器だけでなく縄文後期の注口土器なども出ていて、土器づくりにこうした特殊な土器が使われ、聖水で穢れをとっていた可能性も考える必要があるのではないだろうか。


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