――なんとお呼びしたらいいですか。
アーチャンで、いいですよ。
――正式には何というお名前ですか?
アザトです。アザト・ソルマス。アザトが下の名前。名字はソルマス。
――ソルマック?
いや、薬屋に売っているものではないよ(笑)。ソルマス。
――何という意味があるのですか?
アザトは自由っていう意味なんです。ソルマスは、冷めない、いつも元気でいる。強い、輝いている、という意味です。
――日本にはいつ来たんですか?
ちょうど20年前。
――どうして?
飛行機を間違えたから……うそうそ(笑)。トルコに来ていた日本人女性に声をかけられたのがきっかけです。向こうが釣ったというか、いわばナンパされたようなものです。
――東京に最初に来たんですか?
そうです。
――その彼女さんとは別れちゃったんですか?(今は独身とお聞きしていますが)
ええ……。
――出身はトルコのどちらですか?
トルコの東のほう、クルドサイドです。
――何という名前の町?
バットマン。スペルはあの有名なbatmanと同じ。
――トルコでもお店を開いていたんですか?
似たようなバーを経営していた。ほかにもカフェアンドバーで働いたこともあるし、ビーチでお店を開いたりしていた。
――どの町ですか?
イスタンブルや地中海地方のアンタルヤです。
――日本人にトルコっていうと、イスタンブルとかアンカラとかをすぐ思い浮かべますが……。
それは問題だよ。日本はトルコ旅行というと、旅行会社が案内するコースがいつも決まっていて。もう70年前から同じコース。インスタンブル、カッパドキアって。カッパドキアはたいしたもんじゃない。あの石ばかり、何が面白い? 時間の無駄だよ(笑)。
――それでは、お薦めのところはどこですか?
やはり地中海のほうのアンタルヤ。ローマ時代の遺跡も多いし、おいしい食べ物があるし。それに、黒海のほう、日本に似ている。日本とスイスと混ざった感じ。海、山。緑が多い。もっといろんなコースがあるのに、旅行会社が悪い。
――イスタンブルは好きですか?
イスタンブルが好きじゃない人はいない。ヨーロッパ、中東、バルカンなどのいろいろな文化が混ざっている。どんな民族、宗教の人も住みやすい。
――トルコの食文化の特徴は?
肉が多いけど、モンゴルみたいに肉ばかりではない。とくに朝食が豊か。トルコはパンの種類が多い。
――お米は食べるんですか?
コメも食べます。ピラフです。お魚のときご飯を食べるんです。パンとご飯を一緒に食べることもある。
――お魚はよく食べるのですか?
うーん。魚は、日本人ほどは食べない。週6日肉、週1日ぐらい魚。魚は、レストランに行って食べる料理という感じ。イワシのフライはよく食べる。小さいやつ。トルコ人いちばん好き。あと、サバサンド。
――生魚はどうですか。お刺身とかお寿司とかは?
トルコは、まったく、生魚を食べる文化ではないんです。みんな「ウゥっ」って気持ち悪がる。生で食べるというのは想像がつかない。
日本に来るきっかけとなった彼女の実家に行くことになって、(彼女自身は後から来ることになって)お父さんがボクによくしようと思ったらしく、ことばが全然通じないのだけれど、めっちゃ高い寿司屋に連れていってくれた。ビールを飲んでいるとき、その(寿司の)皿が来たよ。カラフルできれいなお皿。すごくゴージャスなお皿。それが寿司だともわからず、「どうぞ手で取っていいよ」と言われても何をどうしていいかわからない。小さなお皿の醬油につけて食べたけど、味があるかどうかわからない。
そこに彼女が来て言う。お父さんが、トルコでも生魚は人気かと聞いているって。今、食べたのは生魚だったのか……「おいしい?」と聞かれるのだけれど、それより、今食べたのが生魚とわかって、いったん外に出て息をした。言われなかったらなんでもないけれど、あれはだめだった。
寿司は食べるけれど、自分からは寿司屋に行く気にはならない。でも、海鮮丼は、好き。おいしい。サーモンとかマグロとかアボカドとか入っていて。
――ハチミツをよく使いませんか?
はい。それにハチミツの巣も食べる。おいしいよ。体にいい。
――トルコで、いちばん人気のお酒は?
ラク。度数が高い。焼酎に近い? 自分は、薬みたいで好きじゃない。
――イスタンブルでは、キリスト教の教会はありますか?
ローマ時代から残っているものがある。改修して使っている。
――ご出身の町には教会はありますか?
自分の地元はクルドサイドで、キリスト教徒が多い地域。もともとクルドサイドにアルメニア系のキリスト教の人が昔、結構、住んでいたんです。今でもいくつかの村の人々は、クルド語をしゃべっている。ちなみに、トルコ語とクルド語は系統がまったく違います。
――コーランは何語で読むんですか?
コーランはアラビア語だけ。音で読むだけ。理解できない。トルコ語で読んだらだめ。
だけど、今、そのことを問題にしている人がいる。「なんで、アラビア語で読まなければならないのか」って。でもそれに反対している保守層が強い。おひげが長い人たち。イスラムの指導者たちはアラビア語を守る。
――トルコの人はアラビア語を読めるのですか。
読めない。コーランを読む教育を受けないと読めない。
――ムスリムはどこで勉強するのですか。
モスクでイマーム(指導者)から教わる。そこでは、コーランをアラビア語で読み、トルコ語で説明する。モスクに行くのは年寄りが、多い。若い人たちは宗教のことを知らない。豚肉は食べないという習慣はもっているけれど、宗教ではなく、それは文化のこと。
――日本人とトルコの人で宗教に対する感じ方、考え方の違いはありますか?
日本人は、仏教のことを知らないのに、お寺に行く。結婚は教会で、だったり。そのような態度がいいなと思うこともある。宗教の対立がしばしば戦争を起こしているから。
――トルコの人は、婚式はモスクで挙げるのですか?
いや結婚式場でするよ。役所で確認されてサインして、そのあと、イスラム教の結婚式がある。イマームが来て、神様の前で二人を夫婦にします、という儀式。
――トルコのイスラムはスンニ派でしたね?
はい、シーア派はいない。シャリーアという法律があるけれど、それはイスラムの法律ではなく、アラブの法律だと思う。それをシーア派が原理にしようとしている。
――何度も聞かれていると思うけれど、トルコはヨーロッパですか、アジアですか?
どっちでもない。トルコ人にとっては、イラン、アゼルバイジャンからアジア。ほかは中東、バルカン、ヨーロッパに接している。全部の真ん中、全部つながっているところ。ヨーロッパでもない、アジアでもない。ほんとにミックス。
――なんで、トルコ人はクルド人をいじめ、追い出そうとしているのですか?
ええ~? いじめる? 追い出す? ボクは、クルド人だけど追放されたりはしないですよ。
――日本にクルド人難民が来ていて追放されていると思っていたのですが、どうですか?
ああ、それは、トルコで問題があった人で、トルコにいるのがいやといって出て行っている人のことだと思う。トルコが追放しているわけではない。トルコ人の中にも差別主義の人がいて、クルド人=テロリストと思っている人がいるけれど、クルド人を国として追放しているわけではない。ボクはクルド人だけれど、トルコ人の友達がいっぱいいる。帰国するとき、クルド人だと見てすぐわかるものだが、空港で特別視されることはない。
――大地震(2023年2月)のとき、クルド人住民のところには支援が来ないというニュースがあったけれど、そのような差別はないのですか?
たしかにトルコの東側にいる人に対しては対策の遅れはあるけれども、それを意識的にしているかどうかはわからない。
――今のトルコで流行っている映画とかテレビなど、若い人はどんなものを見ますか?
うーん。多分、今の若い人ってテレビ見ていない。インスタグラムとかTikTokでしょう。
――オスマン帝国の時代劇ドラマを日本でもやっていた見たことがあるんですが……
ああいうのもトルコではやっていて、世界中に広がった。40~50代の人はテレビにも興味あるんだけれど。若い人は全然。
うーん、いいと思いますよ。いろいろなところで成長している。
――メインの産業は?
大きいのは、農業、それと洋服、バッグの製作販売が盛んです。ブランド品のバッグはトルコで製作されている。
――エルドアン大統領についてはどう思いますか?
いやだという人も半分ぐらいいるが、彼は、強い。世界に対してはっきりと言うところは、結構好きです。これまでの大統領は弱腰だった。
――徴兵に行っていたそうですが?
トルコには徴兵制がある。なんで行くかというと、トルコにはプロの軍がある。うちらはおつまみ。
ただ、銃の使い方とか知ってほしい。何かあった時のために。トルコでは、一人ひとりが兵士という意識が植えつけられている。男が生まれたのは兵士として生まれたんだと、戦争はないけど、皆、軍に行く。女性には徴兵はない。プロの軍にはいるけれど。
――徴兵制やそれに対する意識はオスマン帝国時代からのものですか?
はい、イェニチェリ(オスマン帝国の常備軍)の伝統がある。
――オスマン帝国のことを今、トルコの人はどう思っているのですか?
ほとんど、かっこいいと思っている。
――セルジュク・トルコのことはどう考えていますか?
勉強はするけれど、意識してはいない。オスマンのことへの関心はあるけれど。ちょっと古すぎる。
――ケマル・アタチュルク(トルコ共和国の初代大統領)については。
オスマン帝国が衰退したとき、新しいトルコにした。英雄。オスマンは列強にほとんど、とられてしまった。将校だったケマルはこのままでだめだと思って、黒海のところで秘密裡に訓練させた少ない兵力で、ロシア、フランス、イングランド、ギリシア、イタリアと戦い、勝ったんだ。
新トルコにして、ケマルは産業、テクノロジー、文字もアルファベットにした。トルコ語の改革。
昔のトルコ語は難しい。「愛している」というにも、今なら簡単なのに、すごく長く、丁寧。日本語の敬語の10倍くらい。
――その昔のトルコ語は勉強するのですか。
いや、オスマン帝国の歴史や古典は、現代トルコ語で習う。昔のトルコ語は習わない。昔のイスラムの文化やアラブ語は、イスラム教の仕事をする専門家が学ぶもの。そういう人はお酒も飲まない。一般国民から離れた人。
――トルコ社会はとても寛容なのですね。
はい、いろいろな宗教、民族を受け入れる。だからオスマン帝国も大きくなった。どこかを攻め取ったとき、その人たちを殺したりしない。イェニチェリにしていった。そうすると、国を裏切らない人になる。その伝統があるのだと思う。
――日本に来る前、日本に対してどういうイメージを持っていましたか?
江戸時代のイメージだった。忍者やサムライの国、みんな、ちょんまげを結っていると思ってた。日本に来たときもそれを楽しみにしていた。
――トルコと日本の生活習慣の違いについてはどうですか?
実は、自分の出身地のトルコの東のほうの文化と日本の文化とは似ている。床に座ってご飯食べる、靴を脱いで家に入る。床に座布団を敷く。押し入れもいっしょ。日本に来て、ああうちと同じだと思ったもの。イスタンブルは違う、ヨーロッパ式。
――日本のお米とトルコのお米は違いますか?
日本の米はくっつく。トルコぱらぱら。日本の米は日本の料理に合う。
――どうして、日本でトルコ料理の店をやろうと思ったのですか?
日本でいろいろな仕事をしていて、工場や現場で働いたけれど、このような仕事のために、日本に来たわけではないなと思った。日本に勉強をしに来たのに、と。
そこで、トルコ料理の店をやろうと思った。自分が生まれたのもトルコだし、スパイスもトルコ。自分が何を作ってもトルコ料理になる。スパゲッティを作ってもトルコ料理。それを出そうと。この町に来て、もう6年になります。
――トルコに帰ろうと思わなかったのですか?
2009年に自分で一回決めた。2年の間に自分の店を作れなかったら帰ろう。人の下で働くつもりもなく、工場や現場で働くのもいやだった。自分でリミットを決めた。2年と。でも、自分のお店を開くことができたから残った。
――日本語はどこで習いましたか?
クラブとか、人から。教室で勉強するのは嫌い。耳で聞いて覚えるタイプ。字は読めない。
――日本人とか東京の人について印象はいかがですか?
東京の人は冷たい。ただし、一つだけ事実なのは、そんな東京の人は地方から来た人。地方の人が東京に来るときには、おしゃれぶっちゃう。かっこつけちゃう。冷たくなる。田舎に行くと違う、親切。東京は冷たい。
――トルコの大都市イスタンブルとかアンカラとかではどうですか?
トルコ人は親切。だれがだれでも関係ない。とくに日本人に対しては、特別。日本人の旅行者がいて何か困っていたら、たくさんの人が寄ってくる。日本ではそんなことがない。
――長いこと日本にいると思いますが住み心地は?
住みやすい。さっき冷たいといったけれども、それは、リラックスできるということでもある。干渉してこない。公園にいても、コンビニにいても、構ってこない。
前まで日本は便利だった、なんでもコンビニで払えた。ところが、いつのまにか、世界に遅れてしまっている。デジタル化の遅れ。マイナンバー1個で、支払いができるといったようなことがあるといいのに……。
――日本の外国人や難民に対する態度についてどう思いますか?
日本という国はすごくいやらしい。難民条約にサインしているのに、実際に難民が来ると、いていいよ、でも働くのはだめ、という態度。皆どうやって生きていったらいいの? 政府はどうしたいの? まず給料を上げてほしい。ちゃんとした給料を出して、税金を納めてもらえばいい。頭のいい政府なら、そうする。人手がほしいというなら。
ここにいると、自分がトルコ人とか意識していない。日本語で考えている。生活に慣れたんです。よく「昭和の日本人だな」とか「大和魂をもっているね」「日本人よりも日本人だね」といわれる。
よその国に行こうと思ったこともない。韓国にもベトナムにもロシアにも、ヨーロッパにも行ったけれど、日本が自分に合った。
――どんなところ?
平和。時間にもきちんとしているし。自分はトルコ人としても時間には正確だった。あちらでは、約束した時間でも2時間、平気で遅れる。ボクは15分前には行く性質だから。日本が合っていた。
それから、コンビニでもレストランでも、「いらっしゃいませ!」という声がいい。
――ありがとうございました。たくさんのお料理、美味しかったです。ごちそうさまでした。また、来ますね!
◎アザトさん、初めての対面。日本語の話が達者なのに驚き。コミュニケーション能力の高さが素晴らしいと感銘を受けました。一番深く心に残ったのは、日本に来てさまざまな仕事をしながら、このために自分は来ているのではないと感じて店を開くに至ったというその歩み。トルコ、日本、関係なく、自分は何のために生きるのか、徹底して自分に問いかけたというのは、いわば自分の召命への問いかけに徹したということでしょう。個々の発言の向こうにある、その姿に共感。それが二つの国を見るまなざしの出発点になっていくように感じています。おいしい料理もありがとう。(PY)
◎お店は活気で溢れていて、地元の方からも愛されているのが伝わってきました。今まで知らなかったトルコの文化や様子を知ることができ、距離が縮まった気がしたのですが、自分が今まで知ろうとしていなかっただけかも?と考えさせられました。アザトさんのように日本にきて、素晴らしい料理とおもてなしで日本の社会に溶け込みながら、母国のことも伝え続けてくれている、そんな人のことをもっと知りたいと思うと同時に、この国で懸命に働いている私たちは協働する仲間だろう、そんな意識が強まった気がします。(K)