現代人の救い ―罪とゆるし―〈その1〉


土屋 至(聖パウロ学園高校宗教担当講師、SIGNIS Japan 会長)

1.バチカン公会議前の洗礼と黙想

私は第二バチカン公会議が始まった1962年中学3年の時のクリスマスに栄光学園で洗礼を受けた。同時に洗礼を受けたものが50人近くいたので、洗礼式は2度に分けられ、私はあとの組だった。

しかし今思い起こしてみると、なぜ洗礼を受けたのか、どうしても思い出せない。中1の時から公教要理を勉強するクラスに真面目に出席していたら、中3になって洗礼を受けることとなり、そのままずるずるところてん式に押し出されたのである。みなが受けるから受けたとしかいいようがない。その公教要理で何を教わったのかはまったく思い出せない。

そういう私を本当のクリスチャンへ導いたものの一つが黙想会であった。3学期の試験終了から終業式までには5日間くらいの休日があり、その期間を利用して黙想会が上石神井の「イエズス会黙想の家」で開かれた。

高1の時はブルカ神父(アイルランド人英語)、高2の時はウルフ神父(ドイツ人物理)が黙想指導に当たっていた。完全沈黙で参加者同士の会話もできなかった。食事の時は『霊的読書』が読まれていて、高1の時は「浦上四番崩れ」の話、高2の時はトマス・モアの話だったと記憶している。

特に高2のときのウルフ神父の黙想指導は強烈だった。「受難」の黙想で「イエスが茨の冠をかぶせられた時の痛みを黙想せよ」「十字架に釘付けにされたとき掌に太い釘を打ち込まれた痛みを黙想せよ」というのがテーマであった。至少年は「う〜ん」とうめきながらそれをまじめにやった。

これが私の回心となり、その後「コングレガチオ・マリアナ」という聖母信心会(現クリスチャン・ライフ・コミュニティー。略称:CLC)に入会し、そこで「永久奉献」をする。その奉献式は1963年11月23日、アメリカのケネディ大統領が暗殺されたというニュースが駆け巡った日だったと記憶している。

10年くらい前に加賀乙彦著『高山右近』を読んでいたら、この受難の黙想を右近もしていたことがかかれていた。あのときにウルフ神父から指導を受けた黙想と同じことを高山右近もしていたのだ。右近はあまりに熱烈にやったが故に、たなごころに聖痕ができたとかかれていた。私はそこまではいかなかったが、あれぞまさしく「イグナチオの霊操」だったのだ。いまはここまで厳しくはやられていないようである。

 

2.罪の究明

その永久奉献をしたひとは毎月霊的指導を受けることになっていた。私はセトアイン神父(バスク人)に霊的指導をお願いした。かれは中1のときに英作文をおしえてくれたが、そのとき彼は英語が話せなかったということをあとで聞いた。フォス校長からこの生徒と一緒に英語を勉強しなさいといわれたそうである。ついでに私たちの中学の英作文の担当は中1がバスク人、中2がチェコスロバキア人、中3がハンガリー人であった。高1になって黙想指導のアイルランド人神父で初めてネイティブの先生になった。かれは生徒に「Ireland is in the center of the world.」と何度も復唱させていた。

さてその霊的指導のときに小さな青いカードを提出することになっていた。そこには今日おこなった信心業の回数を記入する。主祷文(主の祈り)、天使祝詞、ロザリオ、ミサ、告解、良心の究明(examin of conscience)等の回数を記入した。苦業というのもあったかもしれない。

問題はその「良心の究明」である。「良心」といっても実質の内容は「罪の究明」である。公会議前に使っていた「公教会祈祷文」のなかにその「罪の究明」がのっていた。これは告白(今でいうゆるしの秘跡。信徒は定期的に自分の犯した罪を司祭に告白する)の前に自分の犯した『罪』を究明しなければならなかった。毎週のミサの前に告解部屋で告解の秘跡を受けることがすすめられ、長崎の信者の多くは告解を受けなければミサの時に聖体拝領を受けられないと教えられていたようである。

「公教会祈祷文」の「罪の究明」

告白前の準備の祈りを唱えた後に「究明の箇条」と言われる罪のリストが書かれている。最初に「天主の十戒にそむく罪」の「第一戒の部」として「信徳にもとる罪 信仰箇条を故意に疑う事〇信仰をぜひ顕すべき時にあたりて顕さざる事〇ゆるしなく公教にもとる書物を読み、またこれを所有し、他人に貸す事〇…………」があり、「第六戒、第九戒の部」には「おのれひとりあるいは他人と共に貞潔を損なう事〇我が身あるいは他人の身に触れて貞潔を損なう事〇貞潔を損なう書画、その他見苦しきものを見る事〇他人にじゃいんを教うる事〇……〇避妊の行為をなす事」などがあり「じゃいん」というひらがなが妙に心に残った。

続いて「公教会の6つのおきてにそむく罪」の「第一のおきての部」には「主日または守るべき主日に、職業の便利を計りて許可もなく緊急にもあらざるに働く事〇故なくミサ聖祭に遅刻し、あるいは早退けする事」とあり「教会維持の義務を軽んじ、あるいはこれを怠る事」なんていうのもある。それに続いて「罪源の部」があり、「高慢」「どんよく」「しっと」「じゃいん」「忿怒」「怠惰」などいわゆる「七つの罪」についても究明がつづく。

この「罪のリスト」が14ページにも及ぶ。これを読んで何を感じるのであろうか? 特に「公教会のおきてにそむく罪」の大半は信仰を持たないものには罪でも何でもないのに、信者にとっては罪となってしまう。教会が罪や罪人を作り出しているのではないかとさえ思ってしまう。公会議前はかくまで戒律が厳しかったのだと思ってしまう。

この「罪の意識」を支える背景に「天国と地獄」信仰がある。つまり、罪を犯すと「地獄」にいき、罪を犯さない人だけが「天国」にいって救われるという信仰である。この天国への憧れと地獄に落ちることの恐れ」とがこの罪意識を支えているといってもいいのだろう。

「人はみな罪人である」ことを受け入れて認めることが「謙遜」であるとされ、信仰の中心であった。「回心」とは皆の前で涙を流しながら「罪深さ」をみとめ「ゆるしを乞う」ことであった。今でもプロテスタントの一部にはこの「回心」の経験を大事にしているところがある。

ところでもう40年ちかくむかしのことであるが、「夫婦のCLC」の例会であるとき「ゆるしの秘跡で何を告白しているのか」という分かち合いがあった。「え、そんなこと分かち合うの?」とビックリした人もいたが、誰からともなく分かち合いがはじまった。男たちつまり夫組は口々に「第六戒にもとる罪」つまり「みだらな書を読み、映画を見て淫らな思いにふけった」ということをあげたのだった。それを聞いた妻組の一人が「男の人ってみんな罪深いのね」と漏らしていたのを忘れられない。

さて今から考えると、この「罪の究明」自体が「罪深い」信心業だとさえ思う。精神的にどこか不健康といわざるを得ない。人間の罪深さを強調するのはちっともGood News ではないように思えるのだ。

救いとはこういう罪からの解放なのだろうか。現代人にはこういう救いなら必要ないと言われてしまうであろう。

ところで、後半はその「罪意識」から解放されていくストーリーについて述べよう。それは現代人の「罪とゆるし」の新しい理解についてのべることであり、さらには現代人の救いにつながることであると思う。

(続きはこちらです)

 


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