縄文時代の愛と魂~私たちの祖先はどのように生き抜いたか~5.子抱き土偶1/2~その愛と魂~


森 裕行(縄文小説家)

5000年前の縄文の母子像が1968年八王子市で見つかった。故・江坂輝彌氏は「……子の母親の抱き方といい、乳児のあどけない表情といい、実に巧みに表現され、この作者は、稀にみる芸術性豊かな人であったと想像できる……」(『日本の土偶』江坂輝彌著 講談社学術文庫、2018年、p. 66より引用)と絶賛する。縄文中期前半の写実性に富んだ土偶から見えてくる縄文人のリアルに迫ってみる。

(八王子市郷土資料館所蔵 宮田遺跡 子抱き土偶〈レプリカ〉)



5.子抱き土偶1/2~その愛と魂~

私は心理学のバックグラウンドがあるので、縄文時代の人々の感情のことをよく考える。文字をもたない縄文文化なので、自ずと土器や土偶に表現された図像をよく見る。そして、この子抱き土偶にこの数年深く関心を持つようになった。縄文中期の勝坂・井戸尻期の土偶は写実的という評判がある。子供を抱える母子像。残念ながら頭部が欠損しているが、この像を見ると多くの人は自分の経験を重ね、こころを動かされる。人それぞれだが愛の原型(自分が愛された初期の経験)を彷彿する人も多いかもしれない。母子像は古今東西、母の無償の愛を想起させる象徴のようである。それは、私たちの記憶の地層の最奥にしまわれ、人生に大きな意味を与える像であるかもしれない。

(Female_figurine_with_child_small_painted_terracott_neolithic,_NAMA_5937_080804)

(Michelangelo's_Pietà,_St_Peter's_Basilica_〈1498–99〉)

(「北総の子安さま写真集」No.118銚子市稱讃寺跡 明治43年〈1910〉蕨由美撮影)

(BIZEN中南米美術館 グアテマラ マヤ地方 古典期 筆者撮影)

愛の原型は多くの社会で語られ、時に熟慮され時に人生や社会の指針になっていく。縄文時代のこの中期前半の土偶を考えると、この類例のない子抱き土偶の他にも、たくさんの女性の土偶、妊娠している土偶、出産土偶、子を背負う土偶は西関東・甲信の当時の富士眉月孤文化圏を中心に出土している。なお、この一連のプロセスの土偶を小野正文氏は的確に「誕生土偶」と呼んでいる。そして筆者は「誕生土偶」に高い精神文化を感じてしまう。

『八ヶ岳縄文世界再現』(井戸尻考古館、田枝幹宏著 1988年 新潮社 見返しより)

さて、この子抱き土偶のリアルに迫って行こうと思うが、縄文人を語る上で大事な人間観について述べてみたい。急に哲学っぽい話になって恐縮だが、かつて医療や福祉の領域で働いたことがあり、人間観の確立は実務レベルに必要だと思うからである。ヒポクラティスの誓いやナイチンゲール誓詞までとは言わないが、縄文時代の遺物や遺構に触れ、縄文人を語る上でも視座の確立は大事ではないだろうか。

U先生の心理学は比較宗教学や文化人類学を基盤とした臨床心理学で、次の式のように人間観を表現している。

A=B(X+Y)

A:は特定の人間。現在の自分でも良いし、5000年前の縄文人でもよい。

B:は魂。魂の定義として、「愛そのもので死んで身体から離れる生命体」

X:は特定の人間の生育史からくる心。

Y:は特定の人間の身体。生れ落ちて成長し老化し最後には土に帰る。

魂との話になると、日本ではオカルトなどを浮かべる方も多い。あるいは、天国とか輪廻転生などの死後の魂の行く先を思い浮かべる方も多い。しかし、WHOなどで語られる魂は「愛そのもので死んで身体から離れる生命体」といった基本的な定義で、広く受け入れられるもののようだ。因みにU先生の定義はカトリックの神学者J.ドージャの『神のめぐみとは』(J.ドージャ著、野口秀吉訳、ドンボスコ社、1960年、ダニエル・ロップス監修、カトリック全書2354P58Pの「霊的にして、不死の魂」の部分を参照されたとのこと。

ところで、これは人間の魂であるが、動物や植物の魂はどうだろうか。宗教によって異なると思うが、カトリックでも最近の教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ——ともに暮らす家を大切に』(教皇フランシスコ著、瀬本正之、吉川まみ訳、カトリック中央協議会)に現れているように、すべての被造物を守る立場が明確にされており、エコロジーを考える上で広く参照されている。人間以外の魂を思索することが大事な時代になってきているのだろう。

それでは、子抱き土偶のリアルに迫ってみよう。

(宮田遺跡周辺 筆者撮影)

川口川中流域の南の小高い舌状地に宮田遺跡がある。「東京都八王子市宮田遺跡の調査」(多摩考古12, 13号 1971)および、安孫子昭二氏から頂いたレプリカの実測図で追ってみよう。

(歴民博研究報告の37集(特集 土偶とその情報)1992 山崎和巳、安孫子昭二「東京都の土偶」より)

この土偶は4号住居址(中期中葉の藤内期)の周溝南側から倒立して発見された。欠損されていた頭部をふるいにかけて調べたが見つからなかったそうだ。次の写真は八王子市教育委員会文化財課のご厚意で掲載した写真である。

(八王子市郷土資料館所蔵 宮田遺跡 子抱き土偶〈レプリカ〉 高さ7.1cm)

(八王子市郷土資料館所蔵 宮田遺跡 子抱き土偶〈レプリカ〉)

(八王子市郷土資料館所蔵 宮田遺跡 子抱き土偶〈レプリカ〉)

(八王子市郷土資料館所蔵 宮田遺跡 子抱き土偶(レプリカ))

(八王子市郷土資料館所蔵 宮田遺跡 子抱き土偶〈レプリカ〉m)

 

そして、形状を念のため追っていったが、底部に大きな穴があることに気づいた。これは、展示を見学してもわからない穴であり「多摩考古」にも写真は掲載されているものの説明はなかった。よくわからないので。土偶制作に詳しい田野紀代子氏にお聴きした。田野氏は「原位置再生」を心掛けられ、縄文人が作ったように土偶を忠実に再生するのを目指されている方で、手掛けた土偶は400体以上とのこと。そして、多摩考古の説明や実測図をお伝えしたが、即答されず一晩考えてみるとのことであった。

(田野紀代子さんのアトリエ土偶ZANMAIにて 2021年 森妙子撮影)

翌日意外なご返事を頂いた。

「底部の穴は母が赤ちゃんを産んですぐの産道。出産直後なのでまだ産道は閉じてなく、腹部にまだ張りがあり、屈みこんでいるために背骨が表出している。」

そうすると、横座りの意味も、座産でお産直後の産道も閉じていない状況で、必死に子を抱き始めて初乳を与えている姿となる。

そこに表現されたリアリティというか緊張感に息を飲んだが、表現されている文様や、土偶の様式を手掛かりに、次回はこの土偶の背景に迫りたい。

 


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