まさに目からウロコ:『イエスはヘブライ語を話したか』


ダヴィッド ビヴィン、ロイ ブリザード著、河合一充訳
『イエスはヘブライ語を話したか』

(ミルトス、1999年)

 

ルカ 小笠原 晋也(精神分析家,聖イグナチオ教会所属信徒)

イェスが生きていた時代,ヘブライ語は日常言語としてはもはや用いられなくなっており,ユダヤ人たちは(イェスも含めて)当時の国際言語のひとつであったアラム語を話していた,と 我々は 従来 聞かされてきた.そして,周知のように,旧約聖書がおもにヘブライ語で書かれてあるのに対して,新約聖書は,やはり当時の国際言語のひとつであったギリシャ語で書かれてある.それゆえ,我々は,イェスの教えを理解するためにはヘブライ語を知る必要はほとんどない(ところどころ旧約を参照する場合を除いて)と思ってきた.また,我々は,紀元前7年から4年ころに生れ,おそらく西暦30年に処刑された ナザレのイェスが,30歳ころに公の場で教え始める前,いかなる教育を受けてきたのか について問うことも なかった — 単純に,大工の息子であった彼が高度な教育を受けたはずはない,と思い込んで.

そのような我々に「目からウロコ」を経験させてくれる本が,この『イエスはヘブライ語を話したか』である.原著は,聖書学者 ダヴィッド ビヴィン (David Bivin) らの Understanding the Difficult Words of Jesus – New Insights From a Hebraic Perspective[理解困難なイェスの言葉を理解する — ヘブライ語の観点からの新たな洞察](Destiny Image Publishers) である.初版は 1983年に出版され,改訂版が 1994年に出版されている.河合一充氏による邦訳は,1994年版にもとづいて,1999年にミルトス社から出版されている(現在絶版,中古本入手可能).

ビヴィンらは,福音書のギリシャ語テクストの詳細な分析 および ユダヤ教のラビたちの口伝の教えが書きとめられたテクスト(ミシュナ および タルムード)と 福音書との比較研究にもとづいて,説得力を以て,こう推定している:イェスの時代,ユダヤ人社会ではヘブライ語が用いられていた(当時は多言語的であった:アラム語とギリシャ語も用いられていた);イェスは,ラビとなるための高度な教育を受けており,実際,ラビであった(福音書のなかでイェスは幾度もそう呼びかけられている);イェスは,ヘブライ語で語り,教えた;イェスの死と復活の後,彼の言葉と行い および 彼に関する出来事は,ヘブライ語で記録された(つまり,ヘブライ語で書かれたイェスの伝記があった);それは,まもなくギリシャ語に翻訳された;三つの共観福音書の著者たちは,そのギリシャ語イェス伝から抽出された断片にもとづいて,彼らのテクストを作り上げた — なぜなら,オリジナルのヘブライ語イェス伝は,西暦 70 年のローマ軍によるイェルサレムの破壊にともなう大混乱のなかで,失われてしまったから.

そして,ビヴィンらは,次のことを指摘する:共観福音書のテクストのなかには,ギリシャ語からヘブライ語へ逆翻訳することによって初めて正しく理解し得る箇所が少なくない.そして,それらのなかには,神学的に重要な意義を有するものも少なくない.

たとえば,福音書のなかで若干のヴァリエーションを以て幾度か発せられるこの文 : ἤγγικεν γὰρ ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν[そも,天の国は近づいた]において,ギリシャ語でも βασιλεία (basileia) は「領土を有する王国」だけでなく「王の権力,支配,君臨」でもあるが,ヘブライ語では,名詞 מַלְכוּת (malkut) は,動詞 מָלַךְ (malak)[王である,王として支配する,君臨する]に由来するので,「王国」だけでなく,「王の支配,君臨」という動詞的な意味を より強く有する.したがって,「天の国」は,いつ来るとも知れぬ世の終りにおいて初めて到来するかもしれない「神の国」ではなく,しかして,イェスの存在と言葉と行為において成起する「神の権力,支配」である.

また,ギリシャ語の動詞 ἐγγίζω (engizo) は,あくまで「近づく」または「近づける」であって,「まだ到着していない」を含意しているが,それに対して,ヘブライ語の動詞 קָרַב (qarab) は,確かに「近づく」または「近づける」であるが,しかし,「あるところに近づき,そして,そこに存在する」を含意し得る.

それゆえ,イェスは,「天の国は近づいた」と言うことによって,その到来を未来のこととして予告しているのではなく,しかして,こう言っているのだ:イェスの存在と言葉と行いにおいて,神の支配は,今,成起しているのであり,神の力は,今,働いている.

ビヴィンの著作は,聖書を深く読もうとする者にとって,必読の一冊であろう.2005年に出版された続編 New Light on the Difficult Words of Jesus – Insights from His Jewish Context[理解困難なイェスの言葉に関する新たな光 — 彼のユダヤ的文脈からの洞察]も,同じく読むに値する(未邦訳).

月例オンライン聖書読書会「パパさまとともに読む聖書」において,ビヴィンの著作のことを教えてくださった 小宇佐敬二神父さま(東京カリタスの家 理事)に感謝します.

 


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