第6章 なわばり Jurisdiction


本連載は、イエズス会のグレゴリー・ボイル(Gregory Boyle)神父(1954年生まれ)が、1988年にロサンゼルスにて創設し、現在も活動中のストリートギャング出身の若者向け更生・リハビリ支援団体「ホームボーイ産業」(Homeboy Industries)(ホームページ:https://homeboyindustries.org/)での体験談を記した本の一部翻訳です。「背負う過去や傷に関係なく、人はありのままで愛されている」というメッセージがインスピレーションの源となれば幸いです。

 

ギャング出身*の親しい仲間たちにささげる(*訳注:「ギャング」とは、低所得者向け公営住宅地等を拠点に、市街地の路上等で活動する集団であるストリートギャングを指します。黒人や移民のラテン・アメリカ系が主な構成員です。)

 

グレゴリー・ボイルGregory Boyle(イエズス会神父)

訳者 anita

 

私が一番よく聞かれる質問は、「敵同士が一緒に働くってどういう感じですか?」です。

その答えは、「ほぼ毎回、最初はピリピリしています」。ある子が仕事を懇願しにきて、例えばベーカリーに空きがあったとします。

「でもX、YやZと一緒に働かないといけないよ」と私は、既に働いているその子の敵の名前を伝えます。しばらく考えた後、その子は、「一緒には働くけど、そいつとは絶対口をきかねえからな」と必ず言います。

当初、私はこのセリフを聞くと不安を感じましたが、自分の知っている人を悪者扱いし続けるのは到底不可能だと気づいてからは、気にしなくなりました。

* * *

 ホームボーイ産業がここまで拡大する前、私は新入りを仕事場に連れていって同僚たちに紹介していました。

クレバーは、ホームボーイ・シルクスクリーンで働き始めることに意欲を見せていました。22歳の彼は、自分のギャング生活のジャージを脱ぎ捨てるつもりだと私を安心させました。彼は、私と一緒に工場内をリラックスした様子で回り、シャツを印刷している者たちやコンベヤーベルトのドライヤーの風を浴びる者たちと明るく握手しました。自分の敵ですら、クレバーは、目を見てあいさつしていました。

しかし角を曲がって24歳の敵ギャング出身のトラビエソに会った途端、態度が一変しました。2人とも、ずっと自分の足元を見つめて口ごもり、お互いそわそわと立っていました。握手はしません。私は、(なんだ?さっきまでさんざんあらゆる敵と握手しておいて)と思いました。

その後しばらくして、彼らが互いに激しく憎み合っていることを知りました。これは単に、地域同士の争いだけでなく、個人的な憎しみがありました。2人の間で何か悪いことが起こり、その仲たがいは修復不能だったのです。こうして後日事情を聞く前から、2人の出会いの場でこのことをはっきり感じることができるほどでした。

彼らは、まだ自分たちのナイキコルテッツのスニーカーに視線を頑なに落としたままです。「いいかい」と私が言いました。「もし一緒に働くのが我慢できないなら、今、僕に一言言いなさい。この仕事を欲しがっている子はたくさんいるからね」。彼らは無言のままでしたので、そこでこの会話は終了しました。

その6ヶ月後、トラビエソは、多勢に無勢の状態で、敵のギャングメンバーたちに裏道で取り囲まれてひどく殴られます。敵のギャングメンバーは、地面に横たわるトラビエソが気を失って完全に動かなくなるまで彼の頭を蹴り続けました。誰かがホワイト・メモリアル病院に彼を運び込みましたが、脳死判定を受けて生命維持装置につながれます。医師は、無反応状態が48時間継続するのを待った上で、正式に死亡宣告しました。この間、彼の親せきがロサンゼルスに駆けつける猶予が与えられました。

私はその時、セントルイス大学で講演中でしたが、飛行機で戻ってきました。私は生涯の中で数々の惨状を見てきました。しかしながら、この子(大変穏やかな魂の持ち主)の頭が元の大きさの何倍も腫れ上がった姿のおそろしさとは比べものになりません。息が止まりそうな光景です。彼の生命維持装置を外す前に、彼の額に香油を塗って別れを告げる時に、彼から目をそむけたくなるほどです。

彼の死から24時間後、夜もふけた時間に私は自分のオフィスにいました。電話が鳴ったので出るとクレバーでした。

「あのさあ」と彼はぎこちなく口火を切りました。「すげえ、ひどえな…トラビエソに…起きたことがさ」

「ああそうだよ」と私は言い、この悲しみがえぐり取った私の魂の空洞へとまた引き戻されました。

「なんかオレにできることあるか?」とクレバーが勢いよく言いました。「オレの血、あげようか?」

この最後の申し出が響くと、私たちの周りの酸素が全部吸い取られたようでした。私たちは、互いが沈黙の中で震えているのを感じ取りました。クレバーは、先陣を切って沈黙を破り、あからさまに泣きながら、強い決意を込めてこう言いました。

「彼は…オレの…敵じゃ…なかった。オレのダチだった。オレら…一緒に働いたんだ」

* * *

 両目を閉じよう。別の目で見るために。そうすれば、私たちはひっきりなしに人を裁き、しょっちゅう人を許さず、そしていつも排除しようとする重荷から解放されます。私たちの世界が広がって、絶えず受け入れられて無限に愛されるという新しくて広々とした場所に自分がいることを、不意に気づくのです。

神の「なわばり」に私たちは入り込んだのです。

 

TATTOOS ON THE HEART by Gregory Boyle

Copyright © 2010 by Gregory Boyle

Permission from McCormick Literary arranged through The English Agency (Japan) Ltd.

本翻訳は、著者の許可を得て公開するものですが、暫定版です。

 


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