K.S.
この複雑な時代にあって、私たちは何を呼びかけられているのでしょう。弱い存在である私たちに、時に酷い落ち込みや浮き沈みがあることは仕方ないことで、同時に自然なことであるとも思います。 むしろ重要なのは、それに対しどのようにアプローチしていくかということではないでしょうか。非常に難しいことですが、どのような時でも神様を真っ先に思い浮かべられることができる時、自然と悪に打ち勝つことができるようになります。ここで大事なのは、祈りにおける意識の糾明(究明)、そして識別にあります。これらを日々実践することによって、生活における「ものの見え方」が変容されていくと感じています。これはつまり、神様の呼びかけに気付くことになります。簡単なプロセスではないですが、目が開かれていくということなのです。
私にとっての信仰生活は、マグダラのマリアに影響されているところが大きいです。マグダラのマリアと言えば、「ノリ・メ・タンゲレ」を思い浮かべる人も多いかもしれません。「ノリ・メ・タンゲレ」とは、「私に触れてはならない」という意味で、ヨハネ福音書20章17節において、イエスがマグダラのマリアにかけられた言葉です。マリアにこの言葉がかけられた瞬間、マリアだけではなくすべての人が派遣されたのだと、後になってようやく気付かされました。
今回は「マグダラのマリア」特集に寄せて、「ものの見え方」の変容と私たちの召命(派遣されること)について考えてみたいと思います。
私は、ある年の復活祭に洗礼を授かり、その後7月23日(マグダラのマリアの記念日翌日)に堅信を受けました。復活祭の日に洗礼の恵みに与ったこと、マリア・マグダレナという霊名をいただいたこと、堅信を授けられたこと、すべてが偶然の出来事でしたが、今となっては必然であると感じられます。マグダラのマリアの御名前をいただくことは、ある意味「挑戦」でした。後述しますが、マグダラのマリアは、聖書に示されていること以上に、様々なイメージが後世付け加えられてしまっている女性だからです。それらによって偏見を持たれたり、誤解されたりしている人物でもあるかもしれません。そのような歴史を知った上で、目指すべき聖人としてマグダラのマリアを自分に置きました。
マリアは、イエスに7つの悪霊を追い出していただいたことが語られています(ルカ8・2、マコ16・9)。聖書にはその時のことが詳しく綴られているわけではないので、それがどのようなものであったのか、私たちには想像することしかできないでしょう。しかしマリアにとって、それが彼女自身を劇的に変容させる出来事であったことは伝わります。私は、洗礼を受ける前と受けた後の自分の性格が、そこまで変化しているという実感はありません。それでも振り返ってみれば、今まで誰かの顔色を伺い、何となく過ごしてきてしまった自分の人生を、洗礼の恵みによって新しく変えたいという思いが、潜在的に働いていたようにも思えるのです。誤解や偏見を持たれても、キリストの復活の第一の証人として、強くたくましく 生きる人になりたいと願ったのかもしれません。当時はうまく言葉には表現できず、この信仰は今以上にずっと脆いものでしたが、私の思い以上に聖霊が働いてくださっていたと実感しています。
このマリアは、西方教会の伝統の中で娼婦のような罪深い女として描かれてきた歴史があり、イエスの母マリアとは対照的な女性像として見られていると思います。しかし、実際にマグダラのマリアがどのような背景を持つ女性だったかを探る上では、西方の伝統とは切り離す必要があるのではないでしょうか。特にローマ・カトリックの文化の中で、聖母マリアへの崇敬が進んでいく一方、マグダラのマリアは負のイメージを背負わされているような感覚もありました。
しかしながら、その評価はすでに覆されつつあります。それはマグダラのマリアに、イエスの弟子としてのあるべき姿が見出されるからです。カトリック教会が2016年に、7月22日のマグダラのマリアの記念日を 、今後は祝日として祝うように定めたことからも分かります。聖書の言葉を注意深く読み進めていくと、マグダラのマリアは、一方で自分の信念を貫くたくましい 女性、もう一方でイエスに尽くす献身的な女性としての一面が見えてくるように思います。それは、①イエスが十字架上で処刑されるのをイエスの母とともに見守ったということ、②亡くなったイエスに香油を塗りにいく献身的な姿勢から見出されます。
イエスは常々「私に従いなさい」と言われます。イエスは逮捕されてしまいましたが、マリアはどこまでもイエスに付き従っていきました。自分の保身のためではなく、ただイエスを愛する気持ちを持っていたマリアのイエスに付き従う姿勢は、すべての人が見習うべき姿勢なのだと思います。
もう一方で、マグダラのマリアは死んだイエスに油を塗りにいこうと、泣きながら墓に向かいます。敬愛する師が死なれたことに打ちひしがれながらも、なすべきことをしようとしているのです。マリアにとっては、ガリラヤにいた頃からイエスの世話をすることが元から自然なことでした。イエスが生活していくために、マリアをはじめとする女性たちは身の回りの世話をしていたようです。それは聖書に一つ一つ描かれていることではありません。しかし描かれていないからこそ、その見えない奉仕がイエスを支えるものであったのではないかと感じています。私はそこから、謙遜と奉仕の姿勢の大切さを改めて学んでいます。自分も見えないところで誰かのために尽くそうすることによって、主が喜んでくださると思うと、生き方そのものを根本から問われるように感じられるからです。そして、マグダラのマリアにまつわるエピソードは、キリストの復活の場面で誰よりも多く描かれます。これは、見えないところでイエスに尽くしているからこそ、そこに主が現れたのだと感じさせる出来事です。これもやはり、私たちの生き方を方向づけるものであり、励みでもあります。
パウロの言葉で「わたしは弱いときにこそ強い」(Ⅱコリ12・10)というフレーズがあります。人間の弱さは、そこに神の愛が注がれる器なのであり、私たちは弱いからこそ神様の声に耳を澄ませることができます。マグダラのマリアも、この弱さのうちに神様からの呼びかけに気付いていったのではないでしょうか。
十字架にかけられイエスを失ったマリアは、墓に葬られたイエスの元に香油を塗りにいきます。最初はマリアも他の人々と同じように、敬愛する師・イエスが亡くなってしまったという悲しみが強かったと容易に想像できます。イエスが救い主、神であるとか、そのようなところまでは考えが及んでいなかったのではないかと思います。愛する先生が死んでしまった、またそれだけでなく残虐に殺されてしまったという悲しみ、そしてやり切れない思いでいっぱいだったのではないかと思います。これは、日ごろ私たちが身を置いている 「有限性」であると思います。もっとも 、それ自体は自然なことです。マリアも、この時まではイエスの死という有限性に留まっていました。しかしイエスによって、それを超越し永遠の時間に招かれていったことを、私たちは理解させられるのです。
では、それはどのようなものなのでしょうか? 分かりやすく言えば、「信仰のキリストの時」であると思います。つまり、神の国の王であるイエスに奉仕する者の共通的な認識次元ということになります。神の国は、特定の場所を指しているのではありません。神のみが王としておられ、その空気が充満している空間ではないかと思います。神の国は今、中間期にあると言われることがあります。なぜなら、すでにいらしているイエスと、これからいらっしゃるイエスという、この世界の只中で私たちは生きているからです。ゆえに、「ここから神の国」と断定することも当然できません。神の国は死者たちの天国だけを指しているのではないということが、信仰生活を送る中で体験的に深まりつつあります。
マリアや他の弟子たちは、神様によってこの深い段階へと引き込まれていきます。つまり、あらゆる物事を信仰の眼差しで見ていくことができるようになったということではないでしょうか。神様と私たちの出会い、そして親しい交わりとは何だろう、そもそも私たちは神様にどのように招かれているのだろう、と考えることがありますが、この深い段階へと自分自身が招かれていることに気付くというところに、その核心があるのではないかと思っています。
マリアはイエスご自身からの歩み寄りによって、園丁であると思い込んでいた人が、イエスだということに気付くことができました。しかし、マリアはまだ有限性に留まっていたのかもしれません。思わずイエスに触れようとしましたが、イエスからは「わたしに触れるな(すがりつくのはよしなさい)」と言われてしまうわけです。それは簡単に言えば、イエスとマリアが師と弟子という関係を超えていくための過程であると理解されます。しかし私は、いつくしみに満ちたイエスが、泣いているマリアに何故こんな冷たいことを言うのだろうということが腑に落ちず、最近まで引っかかり続けていました。また、イエスはご自分が復活されたことを、使徒たちへ伝える役割をマリアに命じられましたが、私はその役割と触れてはならないことが一緒にされることについて、納得できていませんでした。 そのような中、これが神様の計り知れない愛によるものであるということが、ある年の聖なる三日間に黙想をしていた時、ようやく心の中に自然と落ちてきました。これこそ、私自身の頑な心を変えてくださった神様の力によるものです。突然の出来事のようにも感じられましたが、イエスがマリアに対して歩み寄られたように、イエスが私にも近付いてきてくださったと実感しています。
イエスは、マリアが自分たち二人の親しい師弟関係という間柄に留まらず、使徒たちにご自分の復活を知らせるという重大な任務を与えられました。復活の最初の目撃者であるマリアは、その任務を遂行するためには、イエスを独占してはいけなかったのだと思います。マリアのこの喜びは、愛する先生と教え子という中で完結して良いものではなく、使徒たち、そして彼らを通して、すべての人に伝えられなければならない良き知らせ(福音)なので、マリアがその次元に留まっていてはならないのです。彼女はそこでようやく、イエスが神の子である、昇天し高く挙げられる存在であることに、真の意味で気付くことになったのではないかと感じられます。
その後、弟子たちに「わたしは主を見ました」(ヨハ20・18)と言って、マリアの出番は終わります。この最後の一言はあまりに簡単にまとめられています。つまり、「わたしは復活された主、キリストと出会いました」ということになります。もうそれは、死んでしまった先生が生き返ったなどという次元ではない、主への深い信仰告白を読み取ることができるのではないでしょうか。これはヨハネ福音書における「見る」というギリシャ語の変化によって表現されている意味を理解すると、分かりやすいでしょう。日本語では、「見る」という翻訳などにすべて集約されてしまっていますが、ギリシャ語は語が変化しているので、その奥深さに気付くことによって、同時に私たちの目も開かれていくのです。
最初にマリアは、「墓から石が取りのけてあるのを見た」(20・1)のですが、これは原文では「ブレポ(βλέπω)」という動詞になります。この動詞にあまり深い意味はなく、ただ視線を向けたような「見る」ということです。しかし、「わたしは主を見ました」における「見る」は、「エイドス(είδος)」になっています。これは、ただ見ているという意味ではなく、復活のイエスと出会ったことを真に「理解して見た」ということになるのです。
さらにまた、この「ノリ・メ・タンゲレ」をより深い意味で捉えていく必要があるように思います。この言葉は、親が子どもに言って聞かせるような「そんなにしがみつかないで」というような表現であるとも指摘されることがあります。私はそれを想像した時、何とも微笑ましく感じました。イエスは泣いているマリアをすでに優しく受け入れているのですが、ここで立ち止まっていけない、すなわちもっと大いなる使命が課せられていることに、気付かせようとされているのです。つまりマリアは、私たちの限りある時を突破して、今も続くキリストの出来事へとつないでくれた存在であると思います。これは宣教のスピリットと重なるものではないでしょうか。
教会にいると、自分にいただいている恵みや喜びを分かち合いたいという思いが湧き上がることがあります。昔の私は、自分にある幸せを独り占めし、閉じ込めていたように思われます。しかし今、私の中でこの分かち合いに対する思いが強められているのは、イエスがマグダラのマリアを通して、自分自身が受けた喜びを分かち合うよう教えられているからではないかと思います。今このようにして分かち合えていることも、私に課せられたことなのであると思うと、大いなる喜びを感じます。
意識の究明は、日常における識別です。識別は、復活のイエス・キリストと出会うという出来事を通して、マリアが自分に与えられた役割に気付かされたように、「復活のキリストの出来事」をこの「私」が体験していることに気付くということから、その第一歩が始まるのではないでしょうか。イエスが死に、その遺体が取り払われたことに、マリアたちは深く悲しみました。私たちも、悲しく辛い出来事、耐え難い出来事に遭遇することがあります。しかし、自らを与えて愛を示され、私たちの限界という壁を突き破られたイエス・キリストとの交わりのうちに、すべてのものが新しく見えていくのです。そして、苦しみが喜びに変わり、一人一人に与えられた賜物を生かすことができるようになるのだと思います。今後も、キリストの復活を記念し祝うたびにこれらの気付きを深め、その意味を再確認していくことができたらと思っています。