本当の幸せ ガラテヤ人への手紙 5章22~24節


佐藤真理子

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。

(ガラテヤ人への手紙 5章22~24節)

先日はペンテコステ、聖霊降臨祭がありました。

聖霊は私たちの内に生きて働く神です。キリスト者とはある規範の価値観で生きる者ではなく、生ける神によって生きる者、つまり聖霊によって生きる人々です。聖霊は私たちのすべてを導く力を持っています。行くべき道を開き、行ってはならない道を閉ざします。使徒言行録を読めば、パウロたちが聖霊に導かれる旅をしてきたことが分かります。

聖霊はそのように目に見える人生の旅路も導きますが、私たちの心も導きます。私たちが神様の喜ぶ生き方を、つまり愛に沿った生き方をするとき聖霊は喜びます。また、神様を悲しませるような生き方、つまり愛に反する生き方をすると、聖霊は悲しみます。キリストを信じて生まれ変わると、間違ったことをしたとき、心に引っかかるような葛藤を覚えるようになると思います。それは、悔い改めて生きるよう聖霊が導くことによって起こります。

キリスト者は多くの決まり事を守って生きる者ではなく、自由を生きる者です。真の自由は、自分を苦しめる欲求の奴隷となっていては生まれません。聖書は「愛が全ての律法を全うする」と語ります。愛である神とともに生きることが、真の自由をもたらすのです。「これをすべき、あれをしない」という規則による生き方ではなく、生ける神との関係のうちに生きようとするのが、キリスト者の生き方です。

聖霊は信じる者皆の内にいる神です。あなたを本当に心から愛しているあなたの親であり、100パーセントあなたの味方です。勿論、時には正しい道に導くため、愛情によって戒めることもあるかもしれません。ただ、大切なことはあなたの内側にいるあなたの神は、心の底から、あなたのことが大好きだということです。この神は、自分を投げ打ってあなたを救おうと、十字架にかかって人の罪を背負った神なのです。神が愛に反した人間の罪の罰を受けたことで、私たちには救いの道が開かれました。あなたの代わりに自ら命を投げ打つほど、神はあなたを愛しています。

神は子供を愛する親として、私たちに最高のものを備え、最高の道を歩んでほしいと願っています。神はこの世の創造者であり、全てを司るものです。神には私たちに全てを与える力があります。聖霊によって歩む歩みは、私たちが神からのプレゼントを受け取るための道のりなのです。

神は、あなたに幸せになってほしいと心から願っています。聖霊というギフトは、神が私たちに与える幸せの大きな鍵です。

神学生のころ、私は宣教の働きが人を幸せにする働きであるからこそ素晴らしいと思っていたのですが、自己犠牲によってそれを行おうとしていました。身を粉にして教会や神学校に仕えることが美徳だと思ってしまっていました。その結果、だんだん、人を助けるどころか、自分がぼろぼろになってしまうのを感じました。そして私は、人を幸せにするためには、まず自分が幸せでいなければならないという真理に気づかされたのです。自分が元気でいなければ、周りの人を助けることも元気を与えることもできません。自分が何かを犠牲にしたり我慢していると、無意識のうちに周りにも傷を与えてしまいます。人にとって、自分が誰かに喜びを与えられることほど嬉しいことはないのではないでしょうか。人の幸せとは、だれかを幸せにすることです。だからこそ、私たちの内なる聖霊は、私たちの真の幸せを願っているのです。

幸せとは、表面的なものでは定義ができません。この世ではこれをクリアすればという条件のようなものがあるように思わせられることもあります。しかし実際それを手に入れた人が幸せかというとあながちそうではない、という実例を生きていれば度々目にしたり身をもって体験したりします。聖書は真理を提示します。聖書が提示する幸いな人は次のような人です。

幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず 嘲る者の座に着かない人。
主の教えを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。
その人は 流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。

(詩篇1篇1~3節)

御霊はこのように歩む人の姿へと人を変えていきます。本当に自由で、神の愛を知り、人に愛を与える人の姿です。努力ではなく、喜びによってそこへ導くのが聖霊の力なのです。

聖霊は、求めれば必ず与えられることが聖書に示されています。

御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。

聖霊は一時的ではない深い喜びを人に備えます。人を励まします。また人に愛を与えます。人の心に平和を与えます。聖霊が備える実に満たされて、進みましょう。今日一日を聖霊にゆだねて過ごしましょう。一日一日一歩一歩、聖霊と共に歩んでいると、ベストなタイミングで、いつの間にか神の御手によって素晴らしいことを成し遂げることができるでしょう。人に喜びを与えられる人。これが幸せな人です。それゆえ、聖霊はあなたを御霊の実である、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制で満たします。

キリスト者の生き方はシンプルです。あれこれ自分で考えたり背負うことはありません。ただ神様と手をつないで歩む、それだけです。キリスト者の仕事は、神様とともに歩んで幸せになることだけです。本当に幸せな人は、ただそこにいるだけで、人を笑顔にします。そして、誰かを笑顔にすること、だれかを励ますことが、人の真の幸せです。聖霊は自然とそのように人を導きます。

神に不可能はありません。たとえどんな状況であっても、神は道を開くことができます。期待に胸を膨らませ、聖霊という、あなたを誰よりも深く知る最良のパートナーと共に、神様の計画にある素晴らしい旅路を歩んでいきましょう。

 

佐藤真理子(さとう・まりこ)
東洋福音教団所属。
上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
ホームページ:Faith Hope Love

 


本当の幸せ ガラテヤ人への手紙 5章22~24節” への1件のフィードバック

  1. 佐藤様

    素晴らしいメッセージありがとうございます。
    『そして私は、人を幸せにするためには、まず自分が幸せでいなければならないという真理に気づかされたのです。』私もまったくその通りだと思います。最近、そのことに気づかされました。イエス・キリストと共に
    歩み、日常のちょっとしたことにも幸せを感じられる。ただそれだけでいいのではないかと思います。そうすれば隣人に対する愛の行いは自然と出来てくるように思います。神様は人間が幸せに生きていることを喜ばれると思います。いつも元気の出るメッセージをありがとうございます。インマヌエル。主イエス・キリストとともに。♰

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