ヴァレンタインって誰?


石川雄一(教会史家)

クリスマスにプレゼントを配るサンタクロースのモデルが聖ニコラウスであることは有名ですが、ヴァレンタインデーのヴァレンタイン(以下、教会ラテン語表記のヴァレンティヌスと呼びます)さんとは誰なのでしょうか? そもそもヴァレンタインデーはキリスト教と関りがあるのでしょうか?

 

二人のヴァレンティヌス

手始めに聖人事典を引いてみますと、多いものでは10人以上のヴァレンティヌスという名の聖人が掲載されています。これでは多すぎるので、ヴァレンタインデーにあたる2月14日に限定して探してみますと、伝統的に「ローマの司祭ヴァレンティヌス」と「テルニの司教ヴァレンティヌス」の二人が記念されていたことがわかります。では、同日に祝われる同名のヴァレンティヌスの内、どちらがヴァレンタインデーの名前の由来なのでしょうか?

実は、2月14日に記念される二人のヴァレンティヌスは共に古代ローマ時代(4世紀頃)の殉教者であり史料に乏しいため、17世紀に聖人伝を編纂したイエズス会士のヨアンネス・ボランドゥス(1596-1665)以降、両者は同一人物とみなされるようになっています。つまり、中世には二人いたと思われていた2月14日のヴァレンティヌスですが、近世以降は同一人物だと考えられるようになったのです。

 

聖人譚が伝えるヴァレンティヌス

それでは、このヴァレンティヌスは一体何をした人なのでしょうか? 意外に思われるかもしれませんが、子供たちにプレゼントを贈った逸話が残る聖ニコラウスと異なり、ヴァレンティヌスには恋人や贈り物、チョコレートに関する信頼できる話は伝わっていません。中世以降最も読まれた聖人伝であるヤコブス・デ・ヴォラギネ(1230頃-1298)の『黄金伝説』によると、ヴァレンティヌスはクラウディウス・ゴティクス帝(在位:268-270)の時代に殉教した聖人とされています。

時は「軍人皇帝時代」と呼ばれるローマ帝国の混迷期、内憂外患に悩まされた皇帝は、帝国の敵と考えられていたキリスト教を広めているヴァレンティヌスを呼び出し、信仰を捨てるように求めました。クラウディウス・ゴティクス帝の要求に対し、ヴァレンティヌスは「キリスト教に改宗すれば、帝国は危機を乗り越えて再び繁栄する」と返答し、かえって皇帝にキリスト教の教えを伝えようとします。初めクラウディウス・ゴティクス帝はキリスト教に関心を示しますが、「ヴァレンティヌスに騙されて先祖の宗教を捨ててはいけません!」という側近の言葉にあらがえなかった皇帝は、ヴァレンティヌスを逮捕して裁判官に引き渡してしまいます。ところで、この裁判官の家には目の不自由な娘がおりました。「キリスト教の神がそれほどすごいならば、娘の目を見えるようにできるだろう」と軽蔑的に語った裁判官のため、ヴァレンティヌスは熱心に祈ります。するとどうでしょう、裁判官の娘の目が見えるようになったのです!奇跡を目の当たりにした裁判官は一族そろって洗礼を受けました。ですが、帝国の高官一家をキリスト教に改宗したさせたヴァレンティヌスは皇帝により警戒され、最終的には裁判官一家と共に処刑されてしまいました。

 

ヴァレンタインデーの起源はチョーサー!?

以上が殉教者聖ヴァレンティヌスに関する聖人伝の要約ですが、ヴァレンタインデーの「恋人たちの日」というイメージとは重なりません。というのも、今日の日本で祝われているヴァレンタインデーは、プロテスタント圏である英米の風習を商業主義的に独自発展させたため、カトリックの聖人伝とは直接関係ないからです。それでは、ヴァレンタインデーが「恋人たちの日」となったのはいつからなのでしょうか?

いつからヴァレンタインデーが「恋人たちの日」となったのか、詳しいことは分かりませんが、両者を結び付けた現存する最古の文献は中世英国の詩人ジェフリー・チョーサー(1340頃-1400)の『鳥の議会』(Parlement of Foules)という作品です。彼の作品を読んでみるとヴァレンタインデーと恋を結び付ける風習は既に英国に存在していたことが推察できますが、ある英文学者(Henry Ansgar Kelly)は2月14日を「恋人たちの日」としたのはチョーサーだったと主張しています。彼によると、元来の「恋人たちの日」たるヴァレンタインデーは、テルニ司教ヴァレンティヌスの記念日である2月14日ではなく、ジェノヴァ司教ヴァレンティヌスの記念日である5月2日でしたが、チョーサーが2月14日をヴァレンタインデーとしたそうです。この仮説の真偽は分かりませんが、『善女列伝』(The Legend of Good Women)など他の作品でもヴァレンタインデーに言及するチョーサーは、2月14日は「恋人たちの日」という認識形成に寄与したといえるでしょう。

ちなみに、ルネサンスの先駆けとみなされるチョーサーによる古代の異教的世界観の夢想詩『鳥の議会』の中で、ほぼ唯一のキリスト教的要素がヴァレンタインデーへの言及というのは興味深い点だと思います。というのも、ヴァレンタインデーと古代の祭儀の関係を指摘する者もいるからです。

ここまで「ヴァレンタインデーのヴァレンティヌスとは誰なのか」という問いと「いつからヴァレンタインデーが『恋人たちの日』になったのか」という問題について考えてきました。残念ながら史料の制約により、ヴァレンティヌスの史的実像も、ヴァレンタインデーの起源も明らかにはなっていません。教会公式の殉教者伝(Martyrologium Romanum)にも詳しいことは書かれておらず、本稿で紹介した聖人譚の真偽も伝説の域を出ません。また、チョーサーの時代には存在していた「恋人たちの日」としてのヴァレンタインデーの起源や理由もわかっていませんし、チョーサーが果たした役割の重要性も十分な検証がなされたとは言えないでしょう。よって、キリスト教とヴァレンタインデーの関係性も、古代の異教の祭儀からの影響も不明瞭であると結論づけざるをえません。

こうしたヴァレンタインデーの沿革の曖昧さは、祝い方のヴァリエーションの豊かさにつながっているかもしれません。例えば日本では女性から男性へチョコレートを贈るのが一般的ですが、こんにちの英国では性別や物品を問わずに贈り物やカードを贈ったり豪華な食事をしたりします。来年のヴァレンタインデーは、あなた流の方法で大切な人に感謝を伝えてみてはいかがでしょうか?

 

[参考文献]
Bibliotheca Sanctorum, Instituto Giovanni XXIII della Pontificia Università lateranense, Roma, 1970.
Martyrologium Romanum, Città del Vaticano, Libreria editrice vaticana, 2005.
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Otto Wimmer, Hartmann Melzer, Lexikon der Namen und Heiligen, Tyrolia, Innsbruck, 1984.
Vera Schauber, Hanns Michael Schindler, Bildlexikon der Heiligen, Seligen und Namenspatrone, Pattloch, Augsburg, 1999.
David Hugh Farmer, The Oxford dictionary of saints, Oxford University Press, Oxford, 1983.
上智大学新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』(KOD版)。
池田敏雄『教会の聖人たち』、中央出版社、1977年。
Henry Ansgar Kelly, Chaucer and the cult of Saint Valentine, Brill, Leiden, 1986.
Geoffrey Chaucer ; translated with an introd. and notes by Brian Stone, Love visions : The book of the Duchess ; The house of fame ; The parliament of birds ; The legend of good women, Penguin, Harmondsworth, 1983.

 


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