雑記――人と人をつなぐ「メディア」


ドン・ボスコ社 関谷義樹

弊社の月刊誌『カトリック生活』は、紙媒体のカトリック雑誌では、創刊1928年(当初は『ドン・ボスコ』)で、これまでいくつかの古い雑誌が廃刊などしたため、日本のカトリック教会では一番長寿の雑誌になってしまいました。これまでの歴代編集長の神父たちやスタッフの苦労があってこれまで続けてこられたのだと思いますが、今後このままの紙媒体として同じように続けていけるのかは未知数なところがたくさんあります。

現在の日本のカトリック教会で出版されている一般向きのカトリック雑誌といえるものは、どこも基盤に修道会があり、当然、修道会の存在意義がそうであるように、雑誌の内容は宣教と司牧がその中心となっていると思います。そこでの限界を二点あげるとすれば、

①キリスト教内あるいはカトリック教会内のさまざまな問題、特にネガティブな問題についてジャーナリスティックに取り扱うことはなるべく避ける傾向にあったと思います。教会も人間の集まりであり、弱い者の集まりです。当然、弱い部分があるわけです。その意味で本来、内部の問題などを指摘し、補い合い、自浄し、成長するための役割を何らかの形でメディアが担う部分もあるべきと思います。

②現行のカトリック雑誌を見るとわかるとおり、宣教と司牧のメディア上のあり方は、基本的に長年にわたって、知識の伝達とその内容を深化する助けを提供、現行の祈りや活動の紹介などが中心です。こちらが教会を代表して発信し、読み手がそれを受信するという形で、それはほとんど紙媒体の場合、一方的な構造で終わります。知識のある者が、知識のない者に啓蒙する形です。それは知らずと上から目線になってしまいがちです。もちろん、信仰内容については神学的な裏付けが必要で、発信する者は当然ある程度の知識と教授法を身につけておく必要があります。しかし、その部分は残すとしても、それを理解し受け止めて生きる読み手の体験をもっと分かち合う場をつくっていく役割を今後は担っていくべきではないかと思います。

『カトリック生活』2021年12月号

以上、二点に関して今後の理想も付記しましたが、そのためには各出版社(各修道会)だけでは不可能ですし、その枠を超えた協力以外にも、修道会を基盤としない信徒を中心とした別枠のメディアの存在が必要と思われます。さまざまな枠を超えて、意見交換、協力体制をつくっていくことが、今後の日本のカトリック教会には必要なのかと思います。

近年のメディアツールの進化は驚くばかりです。これまでの一方的な啓蒙のあり方ではない方法、ウェブやSNSなどのツールを使っての宣教や司牧の可能性は大きいと思いますし、双方向のつながりだけでなく、さまざまな交わりの場をつくっていくメディアとしては、紙媒体よりも向いていると思います。メディアという言葉は、訳すと媒介とか仲介という日本語になり、キリスト教的にメディアといえば、まず神と人をつなぎ、人と人をつなぐ仲介者(mediator)であるキリストが思い浮かびます。

仲介者キリストは、御父のことを人々に一方的に啓蒙するだけの方ではなく、人間の弱さを御父に伝えてとりなす方でもありました。そして人と人をつなぐ方でもありました。交わりの場をつくるというのがメディアの大切な役割だと教えてくださっていると思います。その意味では、紙媒体を超えた役割を担っていける新しいメディアの可能性に期待したいと思いますし、何らかのお手伝いができたらと思います。

 


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