アート&バイブル 87:聖三位一体


マザッチョ『聖三位一体』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

マザッチョ(Masaccio, 生没年1401~1428)は1427年頃、フィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラ教会から聖三位一体を製作する依頼を受けました。この作品は『貢の銭』(アート&バイブル64)と並んで、マザッチョの代表作となりました。学問的に裏付けられた透視図法が導入された最初期の絵画であり、建築家ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi, 1377~1446)の協力を得て、この作品を完成させたとも言われています。

近年の研究では、『聖三位一体』の真下にある墓がフィレンツェのサンタ・マリア・ノベッラ地区のベルティ家の所有であることが判明しており、このベルティ家が三位一体を長きにわたって信仰していた労働者階級の一族であり、それゆえ三位一体をマザッチョに依頼したという可能性があります。この絵の中にも左右に男女の姿が描かれており、この絵の寄進者であった夫婦の姿であると思われます。いずれにしても14世紀後半から15世紀前半にかけて、聖三位一体を扱った作品の中に、絵の献納者・寄進者の姿が描かれるということは珍しいことであると思います。

 

マザッチョ『聖三位一体』(1427~28年 フレスコ画 640cm×317cm フィレンツェ サンタ・マリア・ノベッラ教会所蔵)

【鑑賞のポイント】

(1)この絵に幾何学的な遠近法が駆使されています。緻密な計算によって描かれているのです。当時の多くの人々には、平面な壁なのに、実際そこに建物があるように見えたようです。アメリカの美術史家メアリー・マッカーシは「極端なまでに理詰めに書かれたこのマザッチョのフレスコ画は、あたかも哲学や数学の証明問題のようだ」と言っています。

(2)イエス・キリストの十字架の下に立っているのは、こちらから見て左側(イエスから見ると右側)の女性は聖母マリア、右側(イエスの左側)にいるのは、主に愛された弟子ヨハネです。そして何より印象的なのはイエスの十字架の横木を両手で支える父なる神の姿です。当時、人の子となったイエスや聖母マリアは描かれていますが、父なる神の姿を描き表すのは技術的にも心情的にも難しかったことでしょう。後年、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に「天地創造」の中で大胆な手法と表現で父なる神の描くまでは、十戒に反するのではないかと恐れられており、ユダヤ教やイスラム教では神を描くことは今日も禁じられています。

(3)この絵の基壇となっている最下部に白骨化した遺体が横たえられています。そして骸骨の上にある壁面には「IO FUI GIA QUEL CHE VOI SIETE E CH’IO SONO VOI ANCO SARETE」(過去の私は現在のあなたであり、現在の私は未来のあなたである)という銘文が刻まれています。この白骨化した遺体は人間に死をもたらしたアダムであるということが容易に連想されます。この作品はベルティ家の墓を見守るだけでなく、この絵の前に立つ人々に「メメント・モリ」(死を憶えよ)と告げ、人間はいつかは死ぬものだということ警告するものとなり、この世のはかなさに心を奪われがちな私たちへのメッセージともなっています。

 


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