朝FATAの前で服を着始めると、FATAはソファの背の上に飛び乗り、ちょこんとお座りをしてじっとわたしを見つめている。
「わかったよ」と手を延ばすとFATAはわたしの腕の中に飛び込んできた。
リードをつけて家をでると今日もいい天気。
FATAはわたしを引っ張りながら、いつもの公園にわたしを連れ出した。
公園は秋の色どりにあふれていた。
わたしは色とりどりの落ち葉が敷き詰められている歩道をFATAに引かれて歩んでいく。
毎日の日課だ。
まぶしいくらいの光の中を歩いていくと、前から大きな秋田犬がすれ違っていく。
FATAの悪い癖は他の犬に吠えかかる事。
深窓のお嬢様のFATAは怖いもの知らずで、リードにつながれているときは安心して、相手が大きかろうが小さかろうが、「あそぼうよう!」とアピール。
次にすれ違ったのは、ちわわのグループ。
ちわわにも「あそぼうよう!」
そんな犬たちの触れ合いをしながら、公園のいつもの道を歩いて行った。
また瞑想が始まる。
「FATAは、なんでいつもこんなに吠えるんだろう…」
チャウチャウを散歩している近所のおばあさんが言う。
このおばあさん。飼い犬とほんとに同じ顔なんだよなぁ。(ごめんなさい)
「それはね。飼い主を他の犬から守ろうとしてるんだよ」と教えてくれたのが新鮮だった。「犬って、大きさがこんなに違うのに全部〈犬〉っていう種族なんだよなぁ。」
「大きな犬。 小さな犬。 自分の身を守る。飼い主の身を守る。」といろいろ考えていった。
あれっ人間もおんなじじゃん。
白い人。 黄色い人。 黒い人。
大きな人。 小さな人。
互いの関わり合いの中で、自分を守ろうとすることの過剰反応。 知らない・理解できないことに対する不安から生ずる敵対意識。
犬とおんなじじゃん。
人間の場合、更に厄介なのが、他より有利になりたいという飽くなき欲求。
それが、互いを生きにくくしている。
もし相手を信じあえることができたら、人間という種の新しいステージが始まる。
信じること。 愛すること。
それが次のステップにつながる。
キリストの愛を信じている人は、互いに国が違っていても信じて笑い合うことができる。
初めての人とも話し合える。
青空の下。
いちょうの木の下の黄色い葉と銀杏を踏みながら、今日の瞑想は続いていく。