教育新時代:これからの子どもたちはなにを学ぶか(10)


大阪の「ある女子高校」の挑戦(3)

やまじ もとひろ

本稿では、現在進行形の学校改革について「英語教育」という角度からアプローチしています。いま、首都圏でも注目が集まっているのが「長期留学校」ですが、ここ数回の連載では、その先駆けとなった大阪の女子高校「薫英高校」に焦点を絞って話を進めています。

それまでの薫英高校は、学力面では目立った存在ではありませんでした。むしろ「下から数えた方が早い」「バスケットボールは強いらしいねんけど」という程度の評判だったのです。

そんな薫英高校に、ひょんなきっかけから外国の高校との交流が芽生え、留学生が常駐するようになり、子どもたちが変わっていきます。

そして、1980年代後半の生徒急減期に向け、四苦八苦していた各校のなかにあって、薫英高校が打ち出したのが国際化でした。「学力を伸ばすしかない」と各校が特進クラスや英語コースをつくるなかで、国際化というワンクッションを置いた施策は、「時間がかかるやろ、うまくいくんかいな?」と当初、注目は浴びませんでした。

しかし、薫英高校の国際化は、ひと味ちがいました。「絵に描いた餅」ではなく、かなり具体的、しかも衝撃的なキャッチフレーズで登場しました。それは「クラスまるごと1年間留学」。

校内に文化のちがう外国人が日常的に在籍していた学校だったからこそ、違和感なく受け入れられた、前代未聞の「クラスまるごと1年間留学」。それを柱とする「国際コース」の設置でした。1990年春、募集40人のコースに39人が集いました。

前回、駆け足ではありますが、そこまでの経緯は述べていますので、ご一読ください。

 

留学1期生39人の奮闘

国際コースの生徒たちは、入学後10カ月は薫英高校での生活です。留学への準備をして過ごします。もちろん英語力の伸長を第一に、相手国ニュージーランド文化の学習、そして自らの日本文化も学ぶなど、人間力の向上に努めたあと、新年1月、ニュージーランドに向かいます。これは旅行ではなく、転居のイメージです。

1人ひとり別のホームステイ先に向かい、ニュージーランドのいくつもの高校に転校します。

ひとつのクラスに日本人はひとりだけ。薫英のクラスメイトは離れたクラスにもうひとりかふたりがいる程度。

苦しくなって日本語を話しに、薫英のクラスメイトの教室に行ってみても「なんや、あの子もがんばっているんや」と話しかけられずに戻ってきたことは何回もあったと言います。

こうして起床から就寝まで日本語を話す機会はなく、頭のなかは英語ばかりとなります。そんな生活を1年つづけて帰国するのが、薫英の国際生です。

ただ「外国に行ってみたい」「英語がうまくなりたい」程度の興味から始まった薫英高校=ニュージーランドの高校生活でしたから、ホームシックにかかってしまい「もうダメ、日本に帰りたい」と言いだす生徒など、さまざまなトラブルはありました。

しかし、国際コース1期生、39人はがんばりました。ほんとうによくがんばりました。

 

帰ってきた留学生軍団

ニュージーランドでの生活1年。1期生39人はひとりも欠けることなく帰国しました。

先生方も「ようがんばったなぁ」と笑顔で迎えました。

しかし、大変だったのは英語科の先生たち。

「先生のアクセント、ちゃうわ!」「向こうではそんな言い方せえへん」と授業中ぶつかってしまうのです。そのクラスはもちろん全員が留学帰りの39人。先生にとっては敵ばかりの印象です。

「そんなんでは、大学には受からんぞー」「受験英語はちょっとちがうんや」と言い返してはいたものの先生方はタジタジ。「国際の授業いやや」という先生もでてきました。

しかし、生徒たちはわかっていました。傍若無人のふるまいの裏には「1年間がんばってきた自分たちを認めてほしい」という本音が隠されていたのです。

やがて、当初の騒ぎはおさまり、国際コースの生徒たちはつぎの目標に向かって動き始めます。1年間培ってきた英語の力を武器にみんないっしょに大学受験を目指す、苦労をともにしてきただけにその結束力は強く、次々と果敢なチャレンジを始め、今度は先生たちを巻き込んでいきます。

帰国して2週間後にやってきた定期テスト。その結果に職員室は騒然となります。国際コースの全員が他のクラスを圧倒的に引き離し、30点以上も上回っていたのです。

国際コース設置に反対した意見のひとつが「留学させても英会話力はつくが受験英語の役には立たない」というものでした。

しかし、留学組が有利なスピーキングもリスニングもない、しかもまだ帰国してすぐ。日本での英語の授業を受けたとはいえない筆記試験での、この結果。

国際コース設置を推進した山本喜平太教頭は、安堵すると同時に、1年間、1期生の「身体と心と脳」に育まれた英語力の底知れない力に慄然としたのです。

次回は、薫英高校の国際コース1期生の大学受験とその後についてお話して、この章のまとめといたします。

[つづく]

やまじ もとひろ
教育関連書籍、進学情報誌などを発刊する出版社代表。
中学受験、高校受験の情報にくわしい。

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

16 − three =