アンニーバレ・カラッチ『聖なる家の移動』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
イタリア半島中部のアドリア海側に面するマルケ地方にロレート(Loreto)という名の町があります。そこにはナザレの聖母マリアの家(マリアが天使のお告げを受けた家)と言われるものが大きな聖堂の中に残されています。いわゆるロレートの聖母の家(サンタ・カーサ)です。
現在もロレートのサンタ・カーサ大聖堂にある聖母の家は、3面の石積みの壁という形のもので、屋根はありません。この奇妙な家(壁)はナザレの聖堂に行ってみるとわかります。ナザレの聖堂の祭壇の後ろに、ルルドの洞窟を小さくしたような岩の窪みがあるのです。聖母マリアの家は、後ろが自然の岩の窪みとなっていたのです。その窪みを生かして、3面の壁が造られ、屋根がかけられていたのです。
考古学者の調査によれば、ロレートの聖母の家の壁に用いられている石はパレスチナ、ガリラヤ地方で産出するもので、石に刻まれた線刻や、石の切り出し方や積み方から、ローマやギリシアのものではないとされています。この石の壁の隙間からは、十字軍の兵士が書いた祈りのことばや願いを記した布も見つかるのだそうです。
聖地にイスラム教勢力が侵入し、自由に行き来ができなくなった時代に、聖地にあるキリスト教の信仰の遺産がイスラム教徒によって破壊されないようにと、さまざまな聖遺物が運び出されました。1291年、ナザレにある「マリアの家」を、天使たちが空に持ち上げて運んだという伝説があります。最初はダルマチア地方(現在のクロアチアのアドリア湾沿岸地域一帯)に運んだのですが、そこではまだ危ないと、3年後の1294年にロレートまで運んで来たといわれています。これには、石工の仕事をしていた「アンジェロ一家」がかかわっており、この一家の働きが「アンジェロ=天使」のおかげでということで伝わっていったのだと思われます。
ちなみに、ロレートの聖母の家は、インド・東洋の宣教に出かける前に聖フランシスコ・ザビエルも訪れており、後にローマを訪問した天正の少年使節たちも訪れています。
【鑑賞のポイント】
(1)この絵は、前回と同じく、アンニーバレ・カラッチの作品です。興味深いのは、聖母に抱かれている幼子イエスが壺のようなものから水を注ぎ出していることです。その水は下に向かっています。これは洗礼のシンボルではないかと思われます。
(2)天使たちは力を合わせてマリアの家を運んでおり、その家の上でマリアが腰かけています。その頭上には、栄光の冠が差し出されています。