特集47 「中世」にまなざしを向けながら


何年分の一の「きょう」

わたしたちは一日一日をどんな枠組みから見ているでしょうか。たいていは1週間7日間の中の第何日、何曜日として生活しているかと思います。毎週の授業時間割、仕事の順番など……。そんな、一日の過ごし方感覚が在宅授業・在宅勤務などで大きく相貌が変わってきている今年ではないでしょうか。

かつてない現象ということで、さまざまな遠い時代が想起されています。100年前のスペイン・インフルエンザ大流行、14世紀ヨーロッパのペスト大流行の時代……当たり前に生きている今の文明社会のさまざまな要素と全体関連(人と物と情報のネットワーク)が揺らぎかけています。ひいては近現代の文明とは何なのかと、わたしたちの生活の枠組みが大きなチャレンジを受けています。

心配は世界全体に、そして未来に向かっていきますが、同時に、歴史に対しても新たな問いかけを生み出しつつあります。その一例として「中世」「ヨーロッパ中世」「中世キリスト教」が心の中に浮かび上がってきました。

それは、いわば、わたしたちの「きょう」を一週間でも、一年でも、四年に一度でもなく、100年、200年、いや500年、1000年の中で見つめてみようとする問いかけです。イエス・キリスト以来2000年分の一の「きょう」を生きているキリスト者にとっては、当然なすべき視野の精密化を意味するでしょう。もちろん、人類誕生からの数百万年分の一、生命誕生40億年分の一として「きょう」を考えることもよいでしょう。そんな視野の拡大の一つの試みを今回は「中世」をテーマに始めています。

それは、ひとえに「近代(近現代)」というわたしたちが、その中で生きていると思われる時代の限界を見定めたいという思いからです。「近代という山」のかなた(中世)とこなた(今)の対話です。この半世紀の間、歴史研究の上でも「中世」に対する見方が大きく刷新されています。それは、近代観の変化の反映でもあるにちがいありません。ひとまず、そのかなたである「中世」に目を向けてみましょう。中世の新しい見方を教えてくれた歴史家たち、時代を超える視野をすでに示してくれていた普遍人たちの存在、中世の音楽世界、中世を扱った欧米の映画に視線を配りながら。

そのような中世と近代の両方への問いかけをとおして、実は、キリスト教の歴史と現在に対する問いかけがゆっくりと浮かび上がってくることも確かめられることでしょう。時代を大きく見据える問いかけの手始めにお付き合いいただけると幸いです。

 

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