アート&バイブル 69:フラ・アンジェリコの三つの「受胎告知」(3)


フラ・アンジェリコ『受胎告知』(サン・マルコ美術館)

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

最後にサン・マルコ美術館の受胎告知に目を向けてみましょう。この作品は、フラ・アンジェリコが50歳頃に描いたフレスコ画です。前二作品は、画面左に楽園追放を挿入し、高価な顔料を駆使して、楽園の果樹や花咲く園の緑、室内の調度品や衣服の細部まで装飾性豊かに描かれていました。特に、コルトーナの作品は金色と深紅色の深い輝きの中で、人差し指を立て、表情豊かに神のことばを告げている姿は、その華やかさと人間的な親近感によって、見る人を魅了しています。

サン・マルコ修道院の受胎告知に目を向けて見ると、これらの前作品とは大いに異なる作風で描かれていて、フラ・アンジェリコの霊性の成長を感じさせます。簡明清楚・祈りの空間としての清澄さ、この世のものとも思われない清らかさと内面性の表現をもって、中世からルネサンスへ向かう人々が持っていた信仰を描いているのです。

 

【鑑賞のポイント】

1.絵が描かれている場所

まず注目すべきは、この絵が置かれている場所です。サン・マルコ修道院に入り、1階の公的な場所、食堂や回廊のように人々が出入りする場所から2階へ昇ると、2階にはL字になったドルミトリオ(修道者の個室、祈りと生活の空間)が連なっています。この絵は、まさに、地上(1階)から2階(天に近づく)に昇り、一人一人の修道士が祈りのために個室へと向かうL字の角にあります。2階に昇る階段からも見通せる場所にあり、すべての修道士が毎日、何回も通る場所に描かれています。

 

2.絵の特徴

(1)この絵の画面の下の部分、絵の中の柱のある床の部分と額縁に当たるところに2つの銘文が記されています。

(a)上の部分(絵の中の床)
「Salve(ご機嫌よう)、おお、慈愛の母にして聖三位一体のおわす高貴なる住まいよ」
と記されていますが、これは1490年代に加筆されたものです。

(b)下の部分(床のふち)
「入りて、乙女の姿を前にする時、天使祝詞を唱えることを忘るるなかれ」

この作品の構図の中で、マリア様が居られるロッジア(柱廊)と奥の部屋の関係は、サン・マルコ修道院の建築と酷似しています。ブルネッルスキ風のコリント柱頭と半アーチ、そこに交えられたイオニア式柱頭は、ミケロッツォが設計したサン・マルコ修道院の図書館にある列柱頭とほぼ同じです。フラ・アンジェリコは、お告げのマリア様の家とサン・マルコ修道院は時空を越えてつながっていることを示そうとしているのです。

修道士が祈り、就寝する各ドルミトリオ(このことばは「ドルミーレ・眠る」ということばからきています)にも、フラ・アンジェリコは大小54点のフレスコ画を描いています。この受胎告知の絵は、各ドルミトリオの入口(原点)であるとともに、到達点(頂点)となっています。すなわち、修道生活とはマリアのように、神のみことばを受け止め、その人生を通して神のみことばを味わい、祈り、実現することなのです。これは、驚くべき信仰表現であると同時に、ルネサンスの精神でもあるのです。

ルネサンスは、人間復興といわれ、人間性が謳歌され、称揚されていますが、その人間を創り、完成し、救いへと導く神様のみ業という面が欠けているならば、人間の素晴らしさは完成しないのです。このことを熟知していたフラ・アンジェリコは、ドミニコ会の説教活動を通して、みことばを語ることを使命としていましたが、その彼の信仰の心は彼の作品にも如実に表れています。

サン・マルコ修道院の『受胎告知』(1445~50年 フレスコ画)

(2)サン・マルコ修道院に描かれた受胎告知には、華やかな金や上質のウルトラマリン、鮮やかな深紅色などの輝きはなく、落ち着いた色彩で描かれています。マリアの家には、質素な木製の椅子、ただ一つしか描かれていません。聖書さえも描かれていません。天使も派手な身振り、手振りは控えて静止し、マリアと同じく慎ましく手を胸にあてて、頭を垂れています。鳩の姿もありません。私の解釈ですが、この受胎告知は、マリアが、大天使ガブリエルを通して語られた神の意志を受け入れ、確かに新約の時代が始まった偉大な瞬間を表しているのではないかと思います。このように見てみると、次のようなことが言えると思います(このように言えるのはこの絵に描かれている次のことが手掛かりとなるからです)。

+「みことばは人となった」
この絵では、みことばは聖母の胎内にあります。このために、敢えて聖書は描かれていません。

+「いと高き方の力がおおう」 聖霊の鳩は? 
マリアの心に宿っています。そのため、鳩は描かれていません。

+ マリアの服に色が赤から白へ
キリストの聖性を表す白で描くことによって、マリアがキリストとともにいることが表現されています。フラ・アンジェリコはキリストを描くとき、キリストの衣服を白で描いています。白は、すべてを受入れる色、滅びることない色といわれています。また、修道院に描くフレスコ画として、より質素に、聖性を表す白で描いたのではないでしょうか。

+ 柱頭の逆三角形部分
永遠性のシンボルである球形、円形のレリーフが真ん中の柱上にのみ描かれています。
キリストやイザヤのレリーフはありません。

+ マリアと大天使ガブリエル
マリアの組み合わされた両手は、お腹のあたりにおかれ、神の子が宿ったことを、「おことばの通り、この身になりますように」とキリストが宿ったことをしっかりと受け止めている姿勢が見えます。大天使ガブリエルは、後退りして礼拝の姿勢を取り、神の子を宿した聖母マリアに、深い尊敬と表しているのが感じられます。新約の時代が始まったことを示しています。

+ 顔
マリアの顔が幼い少女から落ち着いた母の顔になっています。
マリアを見つめている大天使ガブリエルの顔が、マリアの顔に似ていますが、神のことばを伝えた大天使ガブリエルとそれを受入れたマリアは、神の領域を共有して、同じような顔の輝きを放っているのではないでしょうか。

+ 大天使ガブリエルの翼
大天使の翼は七色に彩色されていますが、七色が全部合わさると太陽の光になります。太陽の光は透明で、明るい光を放ち、周りを照らします。色が響き合うような色彩が見られます。

+ 閉ざされた庭
マリアの庭は、高い柵で他の世界とは分け隔てられています。マリアの聖性は、人の手によって汚されることのない高貴さに満ちていること、聖なる空間であることを表しています。

+ 小部屋の窓
奥の小部屋には、小さな窓が描かれています。この小さな窓を通して外の世界と中とをつないでいて、神とすべての人々がつながっていること、聖母マリアへの神の恵みは、世界のすべての人に広がることを表しているように思えます。また、この窓は、観想(comtenplatio)の象徴とされています。

 

3.フラ・アンジェリコの特徴と後世への影響

(1)フラ・アンジェリコは、大天使ガブリエルを女性のような容姿・雰囲気で描いています。「ガブリエル」という名前は、直訳すれば「神から遣わされた男」と言う意味で、天使の名前はすべて男性名です。そんな中で、フラ・アンジェリコは、大天使ガブリエルを女性の姿で描いているのは、敬虔な処女マリアのもとに、男性の姿で天使がやってくることは馴染まないと考えたのでしょうか。その服装や顔立ち、仕草など、すべてが女性的な風貌で描かれています。

(2)フラ・アンジェリコは、キリストの聖性、神性の輝きを、聖書の記述に基づいて、「白」という色彩で描いています。マルコ9:1~3、マタイ17:1~3の「キリストの変容」の記述の通り、サン・マルコ修道院のドルミトリオ東棟6号室のキリストの変容の絵で表しています。また、ドルミトリオ東棟9号室には、白い衣服の聖母の戴冠が描かれていて、これも注目に値します。それまで、ビザンチンやモザイクの黄金色、あるいはフラ・アンジェリコの前作に見られるように、赤とブルーが使われるのが一般的でした。

この上記の2つのことを打ち出したフラ・アンジェリコは、後世に決定的な影響を与えています。

 


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