フラ・アンジェリコ『受胎告知』(司教区美術館 コルトナ)
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
この絵は、元来はコルトナのサン・ドミニコ修道院の祭壇画として描かれていたものです。ここで、フレスコ画とテンペラ画の違いを見ておきましょう。イタリア語のフレスコはフレッシュという意味を持ち、壁などに塗った漆喰が濡れて乾かないうちに描いて顔料を定着させる技法ですが、テンペラ技法というのは、油や卵、樹脂に膠(にかわ)のような固着材を媒材として絵の具を練り、板に絵を描くという方法です。フレスコ画が剥がれやすいのに比べると、テンペラ画は長持ちし、板絵のため、場所を移動することも可能です。
プラド美術館にある(1)の作品から5年後に描かれた、この通称「コルトナの受胎告知」は、興味深い多くの特徴を持っています。
【鑑賞のポイント】
(1)聖母マリアが座っている椅子の装飾は、前作以上に荘厳さを増しています。そこに見られる幾何学模様は、イスラム文化の影響を受けているビザンチン風に描かれています。
(2)調度品の荘厳さは増しているにもかかわらず、マリアの顔の表情はあどけなく、幼く描かれているように見えます。大天使ガブリエルのことばに、うっとりしているように見えるほどの表情で、不安や疑問というものは感じられません。両手は組み合わされたままです。
(3)大天使ガブリエルの姿は印象的です。身を屈めて、左手の人差し指を立てて口元に寄せ、右手の人差し指はマリアに向けられています。よく見ると、大天使ガブリエルとマリアの間に3行の金の文字が音符のように描かれています。
金文字の上の行:大天使ガブリエルのことば
Ave Maria gratia plena +恵みあふれるマリア、主はあなたとともにおられます
真ん中の行:聖母マリアのことば
Ecce ancilla Domini, +私は主のはしためです
Fiat mihi secundum +仰せの通りわが身になりますように
→マリアの返事の中心メッセージですが、この部分の文字は、柱の中を通っています。
Verbum tuum +おことばの通り
→これらの文字は、上下左右に反転して描かれていて、神から見えるように描かれています。
下の行:大天使ガブリエルのことば
+いと高き方の力があなたを被うでしょう
(4)柱はキリストのシンボルですが、柱の真ん中の逆三角形の部分には、イザヤが驚いて身を乗り出して、この光景を見ている様子が描かれています。イザヤ書 7:14の「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエル(我らとともにおられる神)と呼ぶ」ということが実現した瞬間に立ち会っているイザヤの様子が描かれているのです。この絵は、大天使ガブリエルが神のみことばを告げ、マリアがFIAT(仰せの通りわが身になりますように)と答えた瞬間を描いたものと思われます。
(5)楽園追放のテーマは、左の上の隅の一部に遠景で描かれていて、重要性が小さくなっているという意味とも理解できます。もはや、新しい救いが始まったからではないでしょうか。さらに、庭に飛び出している大天使ガブリエルの翼の辺りを良く見ると、アダムとイブのいる庭とマリアの庭の間に、低い小さな柵が描かれています。マリアは原罪によって汚されていないことを暗示する「閉じられた庭(ホルトウス・コンクルースス)」という象徴によって、マリアの聖性、純潔性を描いているのです。
(6)前作にはなかったものとして、奥の部屋にベッドと赤いカーテン(人間性のシンボル)が、大天使ガブリエルの金の光輪(神性のシンボル)が重なり合って描かれています。これは、人生と神性を有するお方(キリスト)が馬舟に寝かされること、そして十字架上で血を流し、墓に横たえられ、やがて金色の輝きを放って復活するということを含めてキリストの神秘を表しているように思われます。前作のマリアの服装と比べると、前作はマリアの赤い服が足元に残っていますが、この作品では青いマントが足元まで覆っていて、さらに慎み深さを表しています。
(7)聖霊を表す鳩がマリアの頭上に来ています。ここにも、大天使がメッセージを告げ、マリアがFIATと応える瞬間であることが示されます。
(8)天使の翼や服、靴にまで装飾が施され、一歩踏み出した左の靴には、服と同じ模様が描かれています。前作も、この作品も、大天使の体から光が出て輝いている様子が注目に値します。
(9)この作品では、天井はフラットで、黒のベースに星が描かれています。夜空に現われた星は✩ではなく、エルサレムに現れた星の形 ✡(ダビデの星、六芒星)で描かれています。
(10)このコルトナの受胎告知のマリアの指には、婚約(結婚)指輪が描かれています。これは、他の二つの受胎告知にはない、この作品の特徴です。