FATAがやってきた3


あき(カトリック横浜教区信徒)

FATAが我が家にやってきて、生活が変わった。こどもたちが家から離れ、母を看取った私たち夫婦に赤ちゃんを授かったみたいなものだ。何かにつけてFATAが中心になる生活となった。まずは食べ物。最初は1日3回食。ミルクでゆるくして量を少なく与えた。

私の妻はそのために仕事場から昼に家に戻ってきた。ばらくして2回食になっていった。少しずつ量が増えていったものの時間を厳密にしないと胃液を吐くときもあった。そのうち、それほど時間もきっちりしなくとも吐かなくなり、半年くらい経って小さかったFATAの体重もほぼ今と変わらなくなって大きさも落ち着いてきた。

FATAは最初本当に小さかった。朝早く散歩に連れて行こうとリードをつけて歩かせる。小さな体でリードを引っ張り右に行ったり左に行ったり、後ろに行ったり。くんくんとあたりを嗅ぎまわった。

トレーナーとの関係はまた紹介するが、初心者の私たちは、こどもを保育園に預けるように隔週1日にトレーニングに連れて行き、トレーナーの指導を受けた。

トレーナーからは、「何事にも驚かないように慣れさせるため、いろいろ見せてあげてください。散歩コースも変えて周囲の音に慣れさせてください」と指導を受けた。

最初の頃の思い出で忘れられないことがある。我が家は丘の上で、どちらに向かうにも坂がある。近所の公園に散歩に行く時も坂を下る必要があった。小さなFATAを連れて坂を下りようとした時

FATAは教えてもいない「おすわり」をして、てこでも動かない風情でくんくん鳴いている。私は「歩こう!」とリードを引いてFATAを促すと、FATAは両足を突っ張って動かない。「なんで??」と理由がわからずFATAを抱いて坂の下まで降りた私。

犬初心者の私は、公園に行く道すがら理由を考えていた時「あっそうかっ」とやっと気づいた。「怖いんだあ。」子犬の目線に立って考えた時、やっとわかった。初めての坂が怖かった。人間でも四つん這いになって急な坂を下りることを考えたら、腕力に自信がないと降りるのに戸惑うだろう。小さなFATAはまだ足に力がない。それに気が付かなかった。

犬は普通に「歩き、走り回るものだ」と単純に思っていた私。犬だって、その体力で動ける範囲は変わるし、周りの環境に対する反応も犬の理解で変わる。生きている。

私の一方的な思い込みで理解できていなかっただけ。この体験が、むしろ「犬も生きている」という当たり前のことを体感した最初の出来事だった。

FATAと毎朝散歩しながら、今まで気づいていなかったことをいろいろ気づかせてもらうようになった。

人との関係も「一方的に自分の思い込みで感じていることがたくさんあるのではないか」「思い込みのベールの向こうに別の関係が見えてくる」と教えてくれた一瞬だった。


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