2020年の「時のしるし」~注目の周年記念


石井祥裕(AMOR編集部)

どの年も、それなりに注目すべき「〇〇周年」イベントがあります。今や何かを記念するために、かかせない一つのモチーフが周年記念であるためです。

2020年という節目の年にも、やはり重要で、注目すべき周年記念がいくつもあります。その筆頭は第2次大戦終結75年ではあるのですが、それも含めて、「今」を考えるために、有意義だと思われる周年記念を、世界の歴史、そしてキリスト教の歴史の中からあげてみたいと思います。

 

世界にとって、日本にとって

地球世界の幕開けから500年

マゼラン(マガリャネス)の世界一周航海が1519年から1521年で、ちょうど500年前のことでした。1520年10月21日には、彼の名がつくことになるマゼラン海峡に到達し、11月28日にはその海峡を抜けて太平洋に到達します。彼自身は1521年4月27日にフィリピンのマクタン島で住民に殺害されますが、残った一行がスペインに帰還し、世界一周が完遂されます。大航海時代に拍車がかかり、やがて、ザビエルが日本に訪れるという時代へと動いていきます。ヨーロッパ人の世界進出の始まり、現在の地球世界の始まりの年といえるかもしれません。そのようなグローバリゼーションの現在をどのように見定めることができるでしょうか。

 

アメリカ国家の始まりから400年

次に注目したいのは17世紀の出来事。1620年9月16 日、 ピルグリム・ファーザーズを乗せたメイフラワー号がイングランド南部のプリマス港を出航し、12月下旬、北米に上陸、現在のアメリカ合衆国マサチューセッツ州プリマスに上陸します。米国の形成史の始まりです。その後、植民地時代を経て、1776年の合衆国として独立。現在のアメリカも世界への関与のありよう、国内的な統合・分断の問題が現大統領のもとで、激しく浮上しています。それは、日本にもちろん関係しています。今年の大統領選がますます注目されます。

 

オーストラリア250年

グローバリゼーション史の一画として注目すべきかもしれないのは、1770年4月29日、イギリスの世界航海者・地図作成者ジェームズ・クックが、オーストラリア東岸に上陸、イギリス領と宣言したことです。クックという人は、南太平洋、南大西洋、北米西岸アラスカ方面、それにハワイ諸島の“発見”に尽力し、太平洋という一代人類文化圏の認知に貢献しています。このとき知られた太平洋世界が後に激戦の海になろうとは。

 

ベートーベン

ベートーベン生誕、ヘーゲル生誕250年

クラシック音楽愛好者の間では、2020年は、オリンピック・パラリンピックよりも、ベートーベン・イヤーとして関心の的です。12月17日にベートーベンが生誕。ちなみに、この年は、名高いドイツの詩人ヘルダーリン(3月20日)、イギリスの詩人ワーズワース(4月7日)、ドイツの哲学者ヘーゲル(8月27日)の誕生年でもあります。19世紀から現代に至るまで、音楽・文学・哲学においては影響を与え続けている存在なのではないでしょうか。

フランス革命や一歳年上のナポレオンの盛衰を目の当たりにする多感な青年期を過ごし、後のヨーロッパ精神史の新たな潮流、古典派からロマン主義への流れを作り、今日まで影響が続いていく人たち。ベートーベンとヘーゲルの世界的影響ぶりは群を抜いているかもしれません。キリスト教との関係においてもユニークな特徴のあるこの二人、その後の250年の歴史を挟んで、その作品や著作を顧みるのは有意義かもしれません。

 

近代ドイツ、フランス、イタリア150年

1870年7月19 日、 フランスがプロイセンに宣戦を布告して、いわゆる普仏戦争が始まります。9月1日、セダンの戦いで圧倒的な勝利を治めたプロイセンは、フランス皇帝ナポレオン3世を捕虜とし、 9月4日、彼は廃位させられ、フランス第三共和政が成立します。パリ包囲は翌年まで続きますが、プロイセンが勝利し、この戦争を契機にドイツ帝国が成立します。いわば現代フランスとドイツの始まりといえる出来事でした。

もう一つ、カトリック教会にとっても重要なのは、この年の9月20日に、イタリア王国軍がローマに進軍し、教皇領すなわち教皇国家が滅亡し、10月6日、ローマがイタリア王国の首都となります。これは、教皇という存在の基盤を大きく変えた出来事であるとともに、現代イタリアの始まりとなる出来事でした。フランス、ドイツ、イタリアの現代史が始まったのは、奇しくも日本が明治維新によって近代国家へと歩み始めるのと同時的でした。EUも今曲がり角を迎えている中、現代ヨーロッパ150年という枠組みで、以後の150年の歴史を見直すことは有意義なはずです。もちろん、日本のことも関連づけながら。

 

国際連盟成立100年

前年の1919年、第1次世界大戦に関するパリ講話会議が開かれ、ヴェルサイユ条約が調印されたのを受けて、1920年1月国際連盟が正式に成立します。世界平和のための国際機関の成立は、本当に画期的なことでした。しかし、それが米国の不批准、日本やドイツの脱退など、十分な機能を果たせず、第2次世界大戦になだれ込んでいったことはよく知られた事実です。その後、第2次世界大戦後の国際連合(国連)ができて、現在に至るのですが、今、そしてこれから、その存在価値と役割はどのように発展していくのでしょうか。

 

明治神宮鎮座100年

その同じ1920年は、簡単にいえば明治神宮ができた年でした。11月1日に鎮座祭が行われ、その歴史がスタートします。明治の東京には、明治神宮がなかった……考えてみれば当たり前ですね。しかし、明治神宮がない東京を想像しにくいほどに、今の東京とこの神宮の存在は不可分に感じられます。その明治神宮競技場が、あの学徒出陣式典の会場となり、また1949年にはフランシスコ・ザビエルの聖腕巡行式典の会場となり、そしていうまでもなく、1964年には新設されて東京オリンピックの舞台となり、今2020年、新国立競技場として2度目のオリンピックの舞台となろうとしています。この空間の100年の間に、さまざまな象徴が行き交っています。もっとも、東京が今に形になるのには1923年の関東大震災が決定的な出来事になっていきます。

 

第2次世界大戦終結75年

そして、今年2020年は、“あの年”のすべての出来事から75年という世紀四分記念の一つの年を迎えます。すでに今年の1月27日、アウシュヴィッツ解放から75年を記念する式典が行われたというニュースがありました。あの年の出来事のすべてが75年という節目の記念年となります。本土大空襲、沖縄戦、特攻、原爆、敗戦、占領……戦後75年にあたり、あの歴史に目を注ぐ営みは今年もAMORで続けます。この周年記念の重みは、オリンピックムードのもとでも感じ続けていきたいと思います。

 

1970年から50年

戦後、戦後復興、高度経済成長の四半世紀、1970年のことを覚えている人はだいぶ高齢になってきました。大阪万博の年、高度経済成長の陰りとして公害問題が大きく取り上げられるようになった年。ビートルズが解散した年。そして、11月には三島由紀夫事件。学生運動の余波もあり、フォークブームの盛り上がりが到来するなど、社会・文化・風俗において大きな曲がり角だった年です。この頃のことは、真正面から見るものというより、現代にも直結している流れなのではないかと思われます。

 

1995年から25年

1月に想起された阪神・淡路大震災、そして3月20日には、地下鉄サリン事件、オウム真理教徒の一斉検挙など、社会的に大きな衝撃となった、災害・事件が記憶に深く刻まれています。パソコン、インターネットなど現代の情報環境が全大衆を併呑する形で広がり始める「Windows 95」の登場の年でもありました。現在状況は、ここから開かれていきます。それは宗教に関係する人間にとっても大きなチャレンジの時代の始まりで、今、喫緊にわたしたちはその中にいるのではないでしょうか?

 

キリスト教にとって、カトリック教会にとって

ルターの改革本格化から500年

2017年に宗教改革500年がドイツでも日本でも共同に記念されたことは記憶に新しいところですが、宗教改革史の中で1520年はその炎が激しく燃え上がった年でした。6月15日に教皇レオ10世がルターに対し破門威嚇教書を発令。ルターは3大宗教改革論文を夏以降発表します。『キリスト教界の改善に関してドイツのキリスト者貴族に宛てて』『教会のバビロン捕囚について』(以上8月)、『キリスト者の自由について』(11月)。翌年、破門されるに至り、宗教改革の波は大きく旋回します。

これらの500周年記念は今後も続いていきます。2017年にその始まりを共同で想起したばかりですが、それで「争うから交わりへ」の転換が実現したわけではもちろんないでしょう。あくまで目標を見定めたというにすぎません。ルーテル教会(ルター教会)とカトリック教会、そして、その他のキリスト教諸教会すべてにとって、この500年の歴史からの挑戦はまだこれからずっと続いていくことを意識する年になるのではないでしょうか。

 

第1バチカン公会議から150年

2020年は意外なことにこの公会議の二つの公文書が発布されてから150年にあたります。1869年12月8日に開幕し、1870年10月20日、上述のイタリア王国軍のローマ侵攻や普仏戦争の影響のもと、教皇ピウス9世によって休会宣言を出されて、事実上終わったのでした。イタリア、フランス、ドイツが近現代国家としての歩みを始めたときに、ローマ教皇を君主とする教皇領(教皇国家)が消滅した一方で教皇を中心とする教会の信仰に関する権威と首位権者であることが新たに規定し直された公会議でした。

第2バチカン公会議後の教会世代にとって、第1バチカン公会議のことが意識の背後に追いやられ、見えなくなっているかのようですが、この第1バチカン公会議こそ現代カトリック教会の出発点にあるという見方もあります。ドイツのカトリック雑誌『ヘルダー・コレスポンデンツ』2019年11月号で、ペーター・ノイナーという神学者(1941年生まれ。1985年~2006年、ミュンヘン大学カトリック神学部教義学教授)は、環境にそぐわない「異物」である第1バチカン公会議の“長い影”が今も教会を覆っている現状を指摘しています。昨年(2019年)発表の著書『第1バチカン公会議の長い影。いかにこの公会議は教会を今日もなおブロックしているか』のタイトルが彼の危惧と問題提起を端的に示しています。

第2バチカン公会議の『教会憲章』22項で、全教会の司教との交わりの中にあることが告げられて以降も、『新教会法典』(1983年公布)において「教皇は、その任務からして教会の最高、十全、直接かつ普遍の通常権を有し、常にこれを自由に公使できる」(331条)、「ローマ教皇はその任務からして、普遍教会のうえに権限を有するのみならず、すべての部分教会及びその連合のうえにも首位的通常権を有する」(333条(1))と記述されています。

このような命題は確かに第1バチカン公会議の延長線上にあると見なくてはならないででしょう。第2バチカン公会議閉幕から2020年は55年になりますが、その55年間さえも含めて、実は、第1バチカン公会議が敷いた路線を歩み続けているのではないか……。フランシスコ教皇を迎えた直後の今こそ、現代カトリック教会の姿、これからへの方向性について、それを第1バチカン公会議後150年として見るのは、かなり有意義な視点となるかもしれません。

 

カトリック東京大司教座の関口教会移転100年

明治神宮の話と対照的な動きともいえるかもしれませんが、カトリック東京大司教座の教会が長くあった築地教会から、1920年に関口教会に移転します。関口教会が大司教座になったのがそんなに前のことか、と、あの丹下健三設計のモダン建築の大聖堂を見て、そう思わずにいられません。

1920年は、教皇使節常駐が始まった年でもありました。日本と教皇庁との関係の新しい出発の年が1919年から1920年にかけてでした。そして築地居留地に1878年に建設・献堂された築地教会に置かれていた神学校が1918年に、そして東京大司教座自体が1920年に関口に移されたことは、日本での宣教促進の意図を示すものでした。1919年公布の教皇ベネディクト15世使徒的書簡『マクシムム・イルド』以降、世界宣教が一段と推進されるようになり、宣教国からの出身司祭養成が目指されていくようになります。

しかし、1923年、関東大震災が起こり、神学校はやがて今の練馬区関町の地に移転、1929年にそこで開校されることとなります。現在に至る大きなうねりが1919年から1920年にありました。この時代について、山本信次郎という人物に焦点をあてて、今回も寄稿してくださったカルメル修道会の大瀬高司師が、2019年から『福音宣教』誌(オリエンス宗教研究所)に連載していますので、そちらも注目していただければと思います。

1920年代は、日本のカトリック教会の歴史にとって、大きな転機となります。岩下壮一という司祭がその時代を象徴する一人となりますが、それまでは「公教」と称されてきたカトリック教会とその信仰のことを「カトリック」と片仮名語で表現するようになる時代です。カトリック新聞もその文脈で青年世代によって創刊されます。世界的な普遍教会とのつながりの中の存在としての自覚は、戦後、メインストリームとなって現在に至っています。その様相と変遷をどう評価するか。教皇フランシスコの来日は、この100年への回顧と反省と未来探求の中でこそ、深く意義づけられていくのではないでしょうか。

 

カトリック教会の現行典礼開始50年

2020年は、今、全世界のカトリック教会で行われている典礼のあり方が正式に始まってから満50年、通算51年目にあたります。1969年の3月29日「ローマ典礼暦」、4月6日「ミサの式次第」、5月25日に「ミサの聖書朗読配分」(第1版)が発表されて、1969年11月30日、すなわち教会暦1970年度の新典礼暦「待降節第1主日」から現在のようなミサの式次第、聖書朗読が開始され、そして、1970年 3月26日に『ローマ・ミサ典礼書』規範版(第1版)が発行されます。「第2バチカン公会議による刷新に基づくミサ典礼書」という位置づけのものです。奇しくも1570年に「トリエント公会議による改定に基づく」と位置づけられた『ローマ・ミサ典礼書』公布から400年ぶりのことでした(これについては特集27「聖書新時代?」の「現代型『典礼聖書』50年」も参照)。

典礼の形の基本はそれから変わっていません。神の民の共同体的祭儀実践としての典礼の基本が回復され、研究されたかぎりの初期実践の様式や東方典礼の要素も導入されて、全体として簡素で、しかも国語使用を原則とすることになり、理解しやすい全信者の参加が可能な典礼としてすでに半世紀の間、親しまれています。その間はまずこの「新しい」実践に慣れるのに一生懸命だったのではないでしょうか。

しかし、半世紀を経る間にさまざまな課題が立ち現れています。その多くのものは、各言語圏での実施に関するものです。日本では、日本語のあり方(文語か口語か)、どの訳の聖書が使われるのか、とりわけ会衆参加を表現する聖歌・賛歌がどうあるべきかなどです。社会状況の変化に伴う問題も出てきました。日本の教会といっても、単一日本語圏なのではなく、多国籍・多民族の共同体であり、さまざまな言語での典礼が行われています。その共同体が互いに別個のものであっていいのか、どのようにかして言語の壁を超えた共同体を育てていけないだろうかなど……教皇フランシスコを迎えての東京ドームでのミサ(2019年11月25日)も、典礼と言語に関する課題の一面を示していたように思われます。

ちなみに、1970年の『ローマ・ミサ典礼書』は1975年に規範版第2版が出されて、各言語版ミサ典礼書がそれに基づいて編纂され、実施されてきました。しかし、教皇庁は、『ローマ・ミサ典礼書』の規範版第3版を2000年に公布、2002年に発行しており、現在は各言語圏でこれに基づくミサ典礼書づくりが進められた2011年末から施行の英語版を皮切りに次々と認可・認証・実施が進められています。

日本でも同様に1978年発行の日本の『ミサ典礼書』(暫定版)に代わる改訂版『ミサ典礼書』が完備された正式版の『ミサ典礼書』として発行される時もこの2020年代にはやって来るでしょう。そのことを受けて、他の儀式書も完備されるようになり、全体が整備されるようになります。本質は第2バチカン公会議による典礼刷新の徹底と位置づけられるものとなるでしょう。そのような状況を迎えるにあたって、何が必要とされ、何が深められ、何が育てられていかなくてはならないかが問われる2020年、そして2020年代になっていくことでしょう。

 


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