アート&バイブル 38:ラファエロの聖母画


稲川保明(カトリック東京教区司祭)

ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Santi, 生没年1483~1520)は、わずか37年という短い生涯の間に、後に「絵画芸術の規範」となる数々の芸術作品を残しました。とりわけ聖母に代表される女性の美において卓越したものがあり、いうまでもなく聖母の画家の第一位に挙げられる、盛期ルネッサンスの巨匠です。

『システィーナの聖母』(1513~14年頃、ドレスデン、アルテ・マイスター絵画館)

彼はウルビーノの宮廷画家であるジョバンニ・サンティの息子として生まれ、幼少期から父の工房でデッサンなどを学び、早くからその才能を開花させていました。8歳で母を、11歳で父を亡くした後、彼はペルージャの画家ペルジーノの門下に入門し、早熟の天才らしく17歳で画家組合の親方(マエストロ)の資格を得ました。21歳の時にフィレンツェに赴き、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの壁画の競作に出会い、この二人の作品を研究し、レオナルドからは構図や技法を、ミケランジェロからはダイナミックな肉体表現を学びました。ラファエロは非常に素直で社交的な性格であったため、気難しいレオナルドやミケランジェロも進んで自らの技法を伝授していたようです。

こうしてラファエロは同時代の芸術家の技法を貪欲なまでに吸収し、ルネサンスの粋を融合・調和させた独自の絵画表現を造り上げていきました。ラファエロの名声は瞬く間に広まり、1508年、25歳でローマ教皇ユリウス2世(在位年1503~1513。ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を描かせた教皇)に招かれ、ヴァティカン宮殿の「署名の間」(アテネの学堂で知られる)などを手掛けることになりました。

これらの大作を手掛ける一方で、ラファエロは「聖母の画家」として、50に近い「聖母・聖母子」を描いています。それまでの聖母・聖母子は威厳のある存在として描かれていましたが、ラファエロは実在する多くの女性をモデルとして、身近で温かみのある聖母・聖母子の姿を描いています。同時代のありのままの姿を聖母に見立てていると同時に、一人の女性ではなく様々な女性のよさを自分の中で融合し、調和させて、聖母の姿としているのではないかと思います。21歳の時に描いた初期の傑作『大公の聖母』はレオナルドに学んだスフマート技法により、立体感と優美さを見事に両立させています。ローマで円熟期を迎えた1513年に描かれた『システィーナの聖母』は今なお、聖母画の最高峰と称賛されています。

 

1.『アルドブランディーニの聖母』(1509~10年)

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【鑑賞のポイント】

『アルドブランディーニの聖母』(1509~10年、板絵、油彩、38.9×32.9cm、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)

(1)『アルドブランディーニの聖母』は、ローマ滞在時代の初期(1509年頃)に描かれており、ラファエロの後期作品の典型ともいわれる作風を示しています。色使い、自然の風物を取り入れ、3人の人物が正三角形型に配置されています。頭上の光輪を除いては聖性を表すものは描かれておらず、ウルビーノ(ペルージャ)時代の作品と比べるとより自然な、実在する母子のように描かれています。

(2)フィレンツェ時代の作品と比べると、ローマ滞在時代の聖母マリアはより豊麗で堂々としており、当時のローマの人々の美の傾向とも一致しています。またラファエロは「あるがままではなく、あるべき姿に描く」ことを信念としています。

(3)洗礼者ヨハネが差し出す「カーネーション」はナデシコ科の植物でその属名「dianthus」はギリシア語で「神の花」を意味し、キリストの受難の予兆の寓意として美術作品(宗教画)に描かれています。キリスト教の伝承では、キリストが磔刑に処され、聖母マリアが嘆き悲しむ場面にカーネーションが描かれています。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『カーネーションの聖母』という作品もありますが、理念化された母性への憧憬が込められているといわれています。

 

2.『テンピの聖母』(1508年)

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【鑑賞のポイント】

『テンピの聖母』(1508年、板絵、油彩、74×51cm、ミュンヘン・アルテピナコテーク所蔵)

(1)『テンピの聖母』は、1508年ローマに向かう直前にフィレンツェで描かれた作品です。抱かれている幼子の姿がパドヴァにあるドナテッロ(Donatllo, 生没年1386頃~1466)の浮き彫り(レリーフ)「聖母子」と似ているといわれています。ラファエロの友人フラ・バルトロメオ(Fra Bartolomeo, 1472~1517)はこの頃フィレンツェを訪れており、ヴェネツィア絵画の様子をラファエロに伝えています。ラファエロは『バルダッキーノの聖母』というヴェネツィアの作風の聖母子を描いているという点からも、この『テンピの聖母』は、パドヴァにあるドナテッロの作品をスケッチしたフラ・バルトロメオの伝聞に触発されている作品なのかもしれません。後にローマで描いた「アテネの学堂」の中にも、ドナテッロの浮き彫りとよく似た人物がえがかれているという説もあるほどです。

(2)そして、この『テンピの聖母』は、後にローマで描かれたラファエロの聖母子の中でも異彩を放つ『小椅子の聖母』(トンドという丸型の絵)につながる聖母子の愛にあふれた触れ合いがテーマとなっています。『小椅子の聖母』はローマの雑踏の中で偶然見かけた母と子の姿があまりにも愛らしく、ワインの樽の丸蓋に即興でラファエロが描き、後に『小椅子の聖母』(1514)という作品になったというエピソードがあります。

(3)『テンピの聖母』には光輪やヒワ、カーネーションなどの宗教的なシンボルは何一つ描かれていません。またラファエロの描く聖母子をよく見てみるとウルビーノ時代、フィレンツェ時代の聖母子は、聖母はこよなく優雅で美しいのですが、幼子キリストや幼い洗礼者ヨハネの姿はそれほど愛らしい姿ではありません。一方、ローマ時代に描かれた聖母子は幼子キリストの姿も愛らしくなっています。『テンピの聖母』はフィレンツェ時代の最後の作品であり、幼子キリストの姿が愛らしく柔らかい表情となっています。ほほを寄せ合うというこれまでのラファエロの作品には見られない自然主義的な描き方へというラファエロの心境の変化が感じられます。

 

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