土屋 至
聖書を読んでいて、イエスの「まなざし」がとても気になるところが3カ所ある。
1.裏切られ、逮捕される(マタイ26:47~53)
2.ペトロ、イエスを知らないという(ルカ22:54~62)
3.金持ちの男(マルコ10:17~22)
1.裏切られ、逮捕される(マタイ26:47~53)
そのひとつは、イエスが逮捕されるとき、ユダが接吻しようとして近づいてきた、そのユダに対するイエスの視線である。この視線はどのようなものであったのだろうか? ユダに対する憐れみのまなざしなのか、それともユダに対する非難・怒りのまなざしなのか、それとも………………。
<裏切られたキリスト>と題されたジョット(Giotto di Bondone, 1267頃~1337)の作品である。ジョットはダンテの「神曲」とともにルネッサンスの先駆けとなる存在であり、この作品はジョットの代表作である。
<裏切られたキリスト>のこのイエスのまなざしはみごとというしかない。ユダは黄色のマントでイエスを包み込みながら、このまなざしに口づけすることをひるんでいるように見える。左の方に大祭司の手下の耳を削いでいる弟子が描かれているのでこれはマタイの場面であろう。ルカ福音書ではイエスはその耳に触れて癒されたと書かれていて、さらにユダにイエスは「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」といわれたとも書かれている。他の福音書にはこの表記はない。
2.ペトロ、イエスを知らないという(ルカ22:54~62)
「イエスのまなざし その2」は、イエスが逮捕され、裁判にかけられ、連行されていくときに、3回イエスを否定したペトロを見つめたまなざしである。
このペトロの否みについては4つの福音書が皆取り上げているが、イエスがペトロを見つめられたというのはルカにしかない。いかにもルカらしい表現であり、この一文があることによってこの場面がいっそう印象づけられていると思う。
このイエスのまなざしを表現したみごとな絵がある。カール・ブロックの「ペトロを見つめるイエス」の絵である。
カール・ブロック(Carl Heinrich Bloch, 1834~90)はデンマークの画家で、プロテスタントには珍しいその聖画集は私のもっとも好きなイエス像を描く。
アンデルセンは彼のことをこう述べている。「やっとあなたに会えた。幼子のようだが大人の知恵にあふれ、己の力を過信せず謙遜だが、神の召しには過信にあふれている、これぞ彼の作品だ」と。お告げの場面やエリザベト訪問のマリアの表情もとても素敵であるが、この「ペトロを見つめるイエスのまなざし」もみごとというしかない。
3.金持ちの男(マルコ10:17~22)
イエスのまなざしが印象的なところの「その3」は「金持ちの男」(マルコ10章17~22節)の箇所である。
ある金持ちの青年がイエスに「永遠のいのちを受け継ぐためには何をすればいいでしょうか?」と尋ねる。イエスは十戒の教えを青年に説くが、青年は「これらのことは皆守っている」と得意げにいう。イエスはかれをじっと見つめて、愛情を込めて仰せになる。「持っているものをことごとく売り、貧しい人びとに施しなさい」という。
そうしたらその青年は、その言葉を聞いて、悲しみ、沈んだ顔つきでさっていく。
この青年を「じっと見つめて」という「イエスのまなざし」はどういうまなざしであったのであろうか? ハインリヒ・ホフマン作「キリストと金持ちの青年貴族」という絵が探していたら出てきた。
土屋 至(つちや・いたる)
聖パウロ学園高校「宗教」講師
SIGNIS Japan(カトリックメディア協議会)会長
宗教倫理教育担当者ネットワーク世話人
皆さんは深いイエスの眼差しの奥に何を感じるのでしょうか。
自分の気がつかない心の奥までも
または、意識している嘘も見抜き、静かに見守る目。
あなたの目に正直に行きたい。
あなたの目を意識して自分の生き方を見つめたい。
あなたの目の前で謙虚にいたい。
そう思うのです。
絵画の表現の深さを少しばかり分かったようです。ありがとうございます。