石井祥裕(カトリック東京教区信徒/典礼神学者)
今は昔、もう30年近く前のこと、オーストリアはチロル州インスブルックでの留学生活の思い出を掘り出してみますと……。緯度が稚内ぐらいのところにあるインスブルックは、12月となれば、日没がぐっと早まり夕方といってもとっぷりくれた夜の風情。旧市街にはアドベント・マルクト(市)が店開きしていました。グリューワイン(ホットワイン)というものを知ったのもそのマルクトでのこと。今では、日本でも知られていて、教会のクリスマスのパーティでも振る舞われるようになりましたが、あの頃は珍しく、シナモンの香りの利いた赤ワインが少し寂しくなりがちの冬の夜の気持ちも温めてくれました。
1980年代の終わり、あの頃の日本は、もうクリスマス商戦が盛んなころ、そしてバブルに湧く時代、クリスマスが恋人たちの祭として賑わっていた時期でしたが、そこから渡った伝統的カトリック地域のチロルは、ずっと以前からの質素ですが味わい深い慣習の数々でこの日本人留学生を迎えてくれました。
この季節、アドベント・ジンゲンというミニ・コンサートが主だった教会で行われます。ローカル新聞の催し物欄を見て出向いてみると、バロック式の聖堂にかならずあるカンツェルという説教壇(会衆席の左側の上に階段であがっていく壇)に民族衣裳をまとった若い女性が二人昇り、透き通った歌声でいくつかの歌を披露します。日本では、大々的にクリスマス・コンサートと銘打ったさまざまなコンサートがある季節ですが、素朴な声だけの歌での催しも降誕祭を迎える気持ちを浄め深めてくれました。歌われていた歌はラテン語のものも近世に作られたドイツ語のものもあったかもしれませんが、曲名までは覚えていません。美声を披露するというショーではなく、ほんとうに「神さまにおささげします」という控えめな歌唱や祈りでした。その聖なる美しさにあふれた「天使」たちの姿が心に残っています。
待降節になって教会のミサに行くと、4本のろうそくを据えた大きな輪が吊り下げられています。赤いろうそくでした。いうまでもなくアドベント・クランツ(「待降節の冠」の意味)。待降節の4回の日曜日ごとに一本ずつ点灯されていき、降誕祭の近づきを示し、それを迎える気持ちを高めていくという慣習です。
アドベント・クランツについて少し調べてみました。
この言葉がドイツ語であるように、考案者はルター教会の神学者、教育家ヨハン・ヒンリッヒ・ヴィヒャーン(生没年 1808-1881) 。1833年に彼は、貧しい子どもたちを集めて、古い農家「ラウエス・ハウス」で世話をしていたそう。クリスマスを待ち望む子どもたちのために、1839年に、古い車輪から木の冠を造り、そこに、20本の小さな赤いろうそくと、4本の大きな白いろうそくを付けアドベントカレンダーに仕立て、待降節の間毎日次々とろうそくに点灯。なかでも待降節主日(日曜日)がわかるように大きなろうそくにしてあったといいます。12月25日が何曜日に来るかで、待降節の総日数は少ないときで18本、多いときで24本になるのでそれに合わせて数は変わりました。ここから4つの日曜日分だけの4本のろうそくを据えるアドベント・クランツにかわり、1860年頃からは、葉のついたもみの木の枝で作られるようになったようです。ルター教会全般に広まっていき、1925年、ケルンのカトリック教会でも行われて以来、ドイツ語圏のカトリック教会、そのほかの国々にまで広まっていきます。
アドベント・クランツの象徴的意味についてはさまざまな解釈を加えられていきますが、あくまで信仰生活上の慣習なので、規定的なものはありません。自然な解釈として、クランツの円は、永遠性の象徴、4本のろうそくの4は東西南北の四方という意味で全世界、ろうそくは世を照らす光キリスト、もみの木の葉の緑は、希望や生命のしるし、であることは考えてよいでしょう。
ろうそくの色についてはさまざまな慣習があるようです。そこに典礼色(祭服の色)を反映させるというところに多少典礼とのつながりをつけていることがわかります。ノルウェーのルター教会では、4本とも紫色。スウェーデンのルター教会では、第1のろうそくが伝統的に楽園の意味の白、他の3本は紫だそうです。カトリックの慣習では、待降節主日の典礼色にちなんで、4本のろうそくのうち第1、第2、第4は紫色で、待降節第3主日は「喜びの主日」(ガウデーテ)とされ、祭服もバラ色を使ってよい日であるところからバラ色にする例があるといいます。アイルランドのカトリック教会では、中央に5本目として白いろうそくを立てる習慣があるようです。多くの場合、4本のろうそくは、紫、赤、バラ色、白で彩られ、この順序で点火されていくようです。
きわめて珍しい例かもしれませんが、チロルなど山岳地帯では、4本のろうそくは伝統的に赤で、そこにキリストによって人類にもたらされた愛と光が象徴されるということです。この赤いアドベント・クランツこそ、私がインスブルックでも見たものでした。赤という色は殉教者の血や、聖霊降臨のさいに炎のような舌として聖霊が降ったことから、今でも殉教者祝日や聖霊降臨の主日の典礼色ですが、チロルの赤いろうそくもまた、救い主の到来への渇望とすでに来ておられる喜びが結びついたような、そして冬の寒い中での暖炉の熱のような、不思議なパワーを感じさせました。
アドベント・マルクト、アドベント・ジンゲン、アドベント・クランツなど待望を彩る時期を終えて迎えた主の降誕は、夜半の荘厳ミサが終わり、家路に着くとその夜中から26日までは、人っこ一人いなくなったかのように車もなく、静かな日々が過ぎています。それはまた信仰生活と社会生活がひとつに溶け合っていた(当時の)チロルのクリスマス。心洗われるような三日間です。