《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 30:福音朗読が頂点である意味


福音朗読が頂点である意味

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答五郎…… 「ことばの典礼」のことを考えてきて、もはや10回目だ。ずっと、聖書朗読に関係するところを見てきているけれど、この全体の流れはどう見えているかな。

 

 

 

瑠太郎……実は、ずっと気になっていることがあるのです。聖書という書物の構成を見ていると、それと朗読配分がどうして違うのかなということです。ふだんもっとも接する朗読の流れというと、第1朗読が旧約で、答唱詩編があって、次に第2朗読で使徒の手紙、そしてアレルヤ唱があって福音朗読ですよね。

 

 

聖子……具体的にしていい? たとえば2017年8月20日(日)だと、第1朗読がイザヤ書56・1、6〜7、答唱詩編は詩編67・2〜8、第2朗読がローマ書11・13〜15、29〜32、アレルヤ唱がマタイ4・23で、そして福音はマタイ15・21-28で、カナンの女の信仰をイエスが「婦人よ、あなたの信仰は立派だ」とほめるところね。

 

 

瑠太郎……そこで、朗読の順番がどうも。第1朗読に旧約が来るのはいいのですが、新約聖書そのものの順では、福音書が先にきて、次に使徒言行録、そして使徒たちの手紙、最後に黙示録ですよね。

 

 

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答五郎……聖書全体で見れば、旧約聖書はキリストに先立つ歴史、福音書でキリストの生涯と教えが告げられ、それから、キリストを信じた使徒たちの書という順番で、だいたい歴史の順序どおりかな。

 

 

瑠太郎……それでは、ミサの聖書朗読はどうして聖書の順番ではないのでしょうか。旧約を福音の前に読むのはわかりますが、使徒の手紙が福音よりも先に読まれるというのがどうもひっかかります。

 

 

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答五郎……ああ、そうか。歴史的に後のもの(使徒の手紙)がイエスの生涯を告げる福音書よりも先に来ていることが疑問だったのか。

 

 

瑠太郎……不思議ではないですか?

 

 

 

聖子……聖書を書物として勉強しているからじゃないの。ミサを見学しているかぎりは、福音があとに来るほうが自然だわ。最後に登場するのが偉いほうというか真打ち登場という感じじゃない。

 

 

 

 

瑠太郎……ええ、すると旧約も使徒の手紙も前座だというのですか。

 

 

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答五郎……ははん。前座というわけではないけれど、聖子さんのいうことも半分ぐらいあたっているよ。

 

 

瑠太郎……そうなのでしょうか。僕は、頭が固いのかな。

 

 

 

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答五郎……ミサは、なによりもキリストが中心にして信者たちを集め、父なる神への礼拝を導いてくれるもの。そのことは、あとで学ぶ感謝の典礼でいちばんはっきりするのだけれど、ことばの典礼でもやはり、キリストが中心だよね。

 

 

 

聖子……そう、真打ちはなんといってもキリストでしょ!

 

 

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答五郎……そう、福音朗読というのは、ことばの典礼の中でイエス・キリスト自身が現れて語りかけてくれるところにあたるだろう。そこに特別な意義、尊厳があるからこそ、そのことがいろいろ儀式的に表現されているのがわかるだろう。

 

 

 

聖子……ふつうは司祭が朗読するわよね。たまに助祭……という人も読むわ。

 

 

瑠太郎……はい、それに「主の栄光」とか「キリストに賛美」といった対話句が唱えられますね。頭と口と胸に十字架のしるしをしているようですね。それに場合によって香が焚かれます。

 

 

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答五郎……そう、よく見ていたね。もっとも、それらの前にもっとはっきりとしたしるしがあるだろう。

 

 

 

聖子……ああ、そう。信者さんたちが福音朗読のときには起立するわね。それまで座っていたのに。

 

 

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答五郎……それも大きなしるしだね。で、いつから立つかな。

 

 

瑠太郎……はい、アレルヤ唱のときからですね。四旬節のときは詠唱です。

 

 

 

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答五郎……そうだ。この歌は完全に福音朗読のために歌われるし、福音朗読というかたちで現れてくるキリストを迎える賛美の歌にあたる。

 

 

聖子……そこまで行われると、もうたんに朗読というどころではないわね。

 

 

 

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答五郎……そうなんだよ! 書かれた物を読むことにとどまらず、キリストが来られること、そこにいることを表現しているのだよ。『朗読聖書の緒言』にこんなふうにいわれている。瑠太郎くん、読んでくれないか。

 

 

瑠太郎……「福音朗読はことばの典礼の頂点である。他の朗読は、伝統に従って旧約聖書から新約聖書へと移ることによって、集会を準備していく」(13項)

 

 

124594答五郎……福音朗読は実はキリストがいらっしゃるところなのだから、もちろん頂点であるし、旧約聖書を読み、使徒の手紙を読むことは、旧約の約束や待望のうちにすでに影のようにいるキリスト、使徒のことばのうちにいつも光のようにいるキリストに向かって、信者たちを整え、道案内する役割をしていることになるのだよ。それぞれ読まれる短いエピソードごとにほんとうにそのような役割をしているよ。ミサの朗読の流れは、聖書の内なる姿を示しているといえるのだよ。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


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