イースター前の1週間を教会では「聖週間」と呼んでいる。その木曜日の13日は「聖木曜日」(英語ではなぜかこの日を Good Tuesday という)といい、普段とは異なる特別な典礼が行われた。
この日、イエスは弟子たちと「過越を祝う」食事、いわゆる「最後の晩さん」をともにし、そのなかで「最後の晩さんの記念として」「ミサ」を制定される。
この「最後の晩さん」に先立ち、イエスは弟子たちの足を洗う。(ヨハネ13章1~11節)ペトロが足を洗われる番になると、ペトロは「主よ、私の足など洗わないでください」とイエスにいうが、イエスは「もしあなたの足を洗わなければ、あなたとは何の関わりもないことになる」といわれ、「それなら、足ではなくても頭も」というのである。
教会では、この洗足の場面を聖木曜日の儀式として行っている。司祭が12人の信徒の足を実際に洗うのである。12人の弟子はみな男だったので、普通は男性ばかりが選ばれるのだが、中には女性が選ばれる教会もあるという。
この儀式はなかなかいい儀式であり、私は好きである。私も何度か足を洗われた。気分がいいというか……………。
ところで、中学1年生と一緒に聖書を読んでいたときに、この場面を生徒がイラストに描いてくれた。イエスもペトロも女の子ふうになってしまっているが、そのイラストの吹き出し部分に「めっそうもございません」と書かれていたのである。もちろん聖書にはそういう表現はない。
まず「めっそうもない」などという表現が中学生の間にまだ生きていたことに驚く。そしてなるほど、ここでのペトロの言葉は「めっそうもない」という表現はまさにぴったりな表現なのである。
土屋 至(元清泉女子大学講師 「宗教科教育法」担当)