伊藤淳(東京教区司祭)
神学生になる直前のことでした。昔手伝っていた教会学校でママさんリーダーをしていた方から、突然電話をいただきました。
「聞いたよ。神学校に行くんだって? よかったよ。嬉しいよ。絶対そうなると信じてたよ。私ね、あなたが神父になるように、毎日欠かさず二十年間、ず~~~っと祈ってたんだよ」。言葉を失っている私に向かって、涙声でさらに一言、「祈りのすごさが分かったか!」
実のところ、長く一般社会で頑張ってきたのに、この年齢になってどうして急に司祭の道を目指そうと思い立ったのか、決定的な動機が思い当たらず、自分でも不思議だったのですが、そうか、そういうことだったのかと、この確言でようやく合点がいったのでした。
それから数年後、司祭叙階を前にちょっとした障害が立ちふさがり、不信と不安、焦燥に襲われ、信仰あつい友人に相談したことがありました。友人曰く、
「神様は、ご自分に仕えようとする人が一人でも多く現れることを望んでおられるんだから、大丈夫。召命を邪魔する力に対抗するには、祈るのが一番。祈れば必ず守られる。毎日祈ってあげるから、自分でも祈りなよ」。それでもまだ憂苦に沈んでいる私に向かって、呆れ声でさらに一言、「祈りのすごさを知らないの?」
祈りに長けた友人の助けを受け、自分でももう少し真面目に祈るようにしたところ、いつしか心には平穏が戻り、妨げも嘘のように消え去って、そしてこんな私にも、司祭叙階の恵みが与えられたのでした。
振り返れば、神学生になる前も、なった後も、そして司祭になってからも、実に多くの方々にいつも祈ってもらっていました。祈られて、司祭の私が今ここにいます。
きょうは世界召命 “ 祈願 ” の日。司祭や修道者の召命の少なさを憂えたり嘆いたりしている暇があったら、とにかく祈りましょう。祈らなきゃダメ。祈って、祈って、祈りましょう。だって、祈りはすごいんですから!
※この記事は、『聖書と典礼』(オリエンス宗教研究所発行)2020年5月3日付からの転載です。