「み旨が天に行われるとおり、地にも行われる」ために~~わたしの視点 期待と危惧……


大瀬高司(カルメル修道会司祭)

「〇肉〇食」という四文字熟語の試験あるいはクイズで、回答者が「食」(模範解答は「食」)と答えたことがある種の感嘆と驚きをもって流布したのはいつのことだっただろうか? 自分が現在の道を歩み始めた(神学生の)頃のことだったように思うので、それは1990年代、だとすると既に20年は優に経過していることになる。20年というと英英辞典の定義によれば一世代、物事の通念化がなされて不思議でないほどの時間である。

昨年の改元で平成の30年が特集され、平成が始まった1989年からの30年間をあれこれ振り返る番組がテレビで多く放送されたが、パソコンから携帯電話に至るまでの個人の端末が普及ことによるメディアの変化や紙媒体の衰退、地方の人知れぬ出来事が瞬時に広く周知され得るなど、個人も団体も社会も、そして世界も知のボーダーラインが以前の想像を超えて大きなものとなっていることが確認された。菊地功東京大司教は折々に「あふれかえる情報の中で確かで大切な情報を選び取ることの重要さ」を訴えられており、その大切な情報の核として福音が伝わることを意識しておられる。

元は血液医学者にして国際的に評価された評論家であり、反戦主義者であった加藤周一(1919~2008)は、晩年、朝日新聞夕刊に連載していた『夕陽妄語(せきようもうご)』(1994年11月21日)で、次の様な論を展開している。

【一九四〇年の想出】

近頃、しきりに私は一九四〇年を想い出している。その年の初めに、民政党の代議士斎藤隆雄が帝国議会で日本の中国侵略政策を批判した。その少数意見を抹殺しようとして、議会は演説を議事録から消し、斎藤を除名した。そのとき、社会大衆党は除名決議に反対した八名の同党代議士を除名し、しばらく後に、解党する。

やがて保守二大政党、政友会と民政会も解党し、野党も批判勢力もない議会の、いわゆる「翼賛体制」が成立した。その体制の下で、軍部の専横を抑え得るかもしれないという自由主義者を含めて国民の期待を荷(ニナ)って成立し(一九四〇年七月)、忽(タチマ)ちその期待を裏切ることになったのが、近衛内閣である。近衛の後を襲ったのは東条内閣であり(一九四一年十月)、周知のように、東条内閣は真珠湾を攻撃した。

翼賛議会の外では何が起こったか。第一に、組合が解散した。まず日本労働総同盟、つづいて大日本農民組合。第二に、文学芸術の世界でも、批判的な言論は一掃された。新協劇団と新築地劇団の強制的解散がその典型である。第三に、学問の自由が奪われ、津田左右吉の『神代史の研究』は発禁処分となり、著者と出版社は起訴された。そういうことがあって、一九四〇年は、「紀元二六〇〇年」の式典で終わる。『神代史の研究』が学問的な歴史の研究であり、「紀元二六〇〇年」が歴史学的・考古学的事実に反することは、いうまでもなかろう。……

この時、加藤は当時の総理大臣であり近衛文麿の孫でもあった日本新党代表の細川護熙首相の人気と「改革」の旗印に端を発した批判的野党の消滅に向かう流れを、近衛幻想と「新体制」の宣伝に始まり、「翼賛」議会に終わる1940年の状況がオーバーラップして見えると懸念しているのである。この懸念は、細川降板後、新生党の羽田孜(はた・つとむ)首相のワンクッションを経て「自衛隊違憲、絶対反対」と強い主張をしてきた社会党左派の村山富市が1994年6月30日に内閣総理大臣(~1996)となり、10月16日には海上自衛隊の観艦式に臨み、自衛隊の艦船に対して帽子を胸において敬意を表したところで最高潮に達した、否、最早破綻したことだろう。その後、映画監督として世界的名声を得る北野武はある番組で「日本は村山さんが総理大臣なんかなっちゃって自衛隊を閲兵したあたりから、ポリシーも信念もどうでもいい、何でもありの国になってしまった」とコメントした。

前出の加藤周一は、1940年と1994年の違いと希望について、少数の全うな意見を有する者たちが孤立・抹殺されない環境として新しいメディア媒体の普及を挙げている。教皇フランシスコは弱い立場の人々を擁護する福音本来の神髄を教会が体現できるよう、様々な取り組みをなさっている。同じような実感で教会に危惧を抱いていた方として故カルロ・マリア・マルティーニ枢機卿(1927~2012)が挙げられる。

教会が苦しむ者に希望で応えられる実体であるためには、教会で「羊頭狗肉」になっていることはないか、それぞれの立場の者が点検、検証して是正していくことが具体化されていくことが必要である。点検・検証は、教会で伝統的に行われてきた「糾明」が個人の日常的で素直になされ、主に照らされて時宜にかなった軌道修正を伴ったものでなければならない。それには観想的センスが求められる。「天におられるわたしたちの父よ、み旨が天に行われるとおり、地にも行われますように」と生きていけますように。

 


「み旨が天に行われるとおり、地にも行われる」ために~~わたしの視点 期待と危惧……” への1件のフィードバック

  1. 親が自分の子供を育てる時、「自分の子供だけ」しか見られないようになりがちだと思います。自分の子供のために必死になる場合もあります。他の子供や、他の親は皆ライバルです。他人や他人の子供に、心は向きません。宗教もまた、そのようになります。教会の門の外で、倒れた人などかまっていられない現実があります。そういう人は、社会資源に頼れとうそぶきます。女王さまの気分になって、ボランティアをする事にも、何の疑問も持ちません。それどころか、開き直ります。私はいいことをしているのだから、いいところ?に行けるなどと、平気で言える人たちです。そういうところには、弱者は近づきません。弱者も学習しますから。言葉ではなく、目つきでわかります。自分が何をしているのか、分からない人達の集合ですから。神父の戦いは、教会の外にあるのでなく、確実に内部です。神さまは、教会のことは教会にまかせよ。外に出て弱者に使えよと言っているのではないでしょうか。

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