わが友、洗礼者ヨハネ


 匿名希望(カトリック立川教会 信徒)

私は2022年、27歳のときにカトリック立川教会で受洗し、洗礼者ヨハネの洗礼名をいただきました。今回は、私と洗礼者ヨハネの出会い、そして私の受洗の経緯をお話させていただきます。

洗礼者ヨハネとの出会いは、大学三年生のときです。私と洗礼者ヨハネが出会ったのは、聖書の物語の中でも、教会での神父様の説教の中でも、あるいは大学の宗教史の講義の中でもありません。洗礼者ヨハネは大学の近くの喫茶店のカウンターでタバコを吸っていました。人見知りの私は、はじめこそしどろもどろでしたが、私たちは本の話ですぐに意気投合し、それからというものその喫茶店でハイボールを飲み、タバコを吸い、文学や哲学の話に明け暮れました。洗礼者ヨハネのお気に入りのタバコはハイライトでした。何を隠そう、これは私の友人の話です。そして彼の洗礼名が洗礼者ヨハネでした。

その頃の私は、数年前に発症した摂食障害からまだ完全には立ち直っていませんでした。拒食症になった高校生の私は心配する家族や友達に対して攻撃的になったうえ、日常生活をまともに送ることもできなくなった自分を恥じ、嫌悪し、苦しみました。

そんな自己嫌悪の苦しみを抱えたまま私は大学に進学しました。カトリック系の大学だったため、私はここで多くのクリスチャンの学生と出会いました。それまでの私の宗教理解はとても素朴なものでした。クリスチャンといえば、篤い信仰心をもち清廉潔白な人たちを想像していましたが、大学生になって出会ったカトリックの友人たちは、私のイメージする信者とは異なっていました。第一に彼らは日々、誤り、罪を犯す人々でした。第二に彼らもまた、日々、苦しんでいました。第三に彼らは、ときとして信仰そのものに悩んでいました。その一人が、洗礼者ヨハネでした。

彼は私に聖書やミサを勧めることはありませんでした。私はただ、彼が苦しみながらも信仰と真っ直ぐに向き合う姿を見ただけです。あるとき彼は、自身の正義を貫きながら、それが教会の教えに背くものであったために信念と信仰の間で苦しんでいました。そのとき私は、自身の宗教理解の浅はかさを知ると同時に、信仰とは何なのか分からなくなりました。彼はなぜ、信仰をもちながら、なおも苦しまなければならないのか、彼はなぜ、苦しみながら、なおも信仰と向き合おうとするのか私には分かりませんでした。私にとって信仰と苦しみは相容れないものだったのです。

この素朴な疑問に答えをくれたのは、福音書にあるイエス自身のことばでした。

わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。

(マタイ16:24)

信仰は、苦しみを取り除いてくれるものではなく、苦しみとともに生きていくためのものである。この一節の意味を神父様からそのように教わりました。私たちは各々、自身の十字架を受け止め、ともに生きていかなければなりません。しかしイエスは私たちに先立って苦しみを受け、十字架を背負ってゴルゴダの丘に登り、苦しみとともに歩む道をすでに私たちに示してくれている、そう思ったとき、苦しみを抱える一人の人間としてそれはとても心強いことでした。

ピエロ・デッラ・フランチェスカ『キリストの洗礼』(1448~50年頃、ロンドン、ナショナル・ギャラリー所蔵)

そのとき、友人がなぜ信仰をもちながらなおも苦しみ、苦しみながらなおも信仰をもちつづけるのか分かったような気がしました。

生きるうえで苦しみから逃れることはできません。その苦しみに耐えていくために私もまたそのとき信仰を必要としました。しかしそれは同時に苦しみとともに生きる覚悟を私に要求しました。

私はそれから六年間悩みました。苦しみを克服するのではなく、苦しみとともに生きていく覚悟ができたとき、私は受洗を決めました。そのときはじめて私は自己嫌悪から解放され、苦しみを抱えた自分を肯定することもできました。

洗礼式の前、神父様から代父と洗礼名を自分で決めるように言われました。私は友人に代父を頼み、友人と同じ洗礼者ヨハネの洗礼名を希望しました。自身の苦しみを受け止め、自身の信仰と真っ直ぐに向き合いながらイエス・キリストにしたがって歩いていく彼のあとに私もつづきたいと思ったからです。

友人は厳めしい顔で人々に回心を迫る洗礼者ヨハネとは異なっていました。しかし信仰と洗礼に向かうきっかけをくれたという点で私にとっての洗礼者です。私もまた、いつか誰かを信仰の道に導けるよう自身の十字架を受け止め、自分の信仰の足跡をのこしていけたらと思います。

 


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