2020年代 ポストパパを生きる―教皇来日後の私たちが目指すべきもの―


飯島裕子(ノンフィクションライター)

編集部から与えられたテーマは「2020年代幕開けにあたって」というものである。しかし2020年は私にとってさして意味がある年には思えなかった。「東京2020」と喧伝され続けたせいか、2020年といえば東京オリンピックしか頭に浮かんで来ない。そこに期待や興奮はなく、東京五輪に向けて盛り上がっている方には申し訳ないが、「早く終わってくれないかな」という感情すらある。いまいち盛り上がらない2020年代の幕開け……。

というのも日本のカトリック教会では、昨年、「38年ぶりの教皇来日」という東京オリンピック級のビッグイベントは終わってしまい、2020年を迎えた現在、あの興奮の4日間を振り返りながら、「パパ様ロス」に陥りかねない状況ですらあるからだ。

しかしそれでは意味がない。「ポストパパ来日」である2020年からの日々をどう生きていくのかが大切なんだと自分に言い聞かせているこの頃なのだった。

 

歓喜のあとで

「ポストパパ」こそ大切と思うのは、過去の自分への反省も多分に含まれている。

私が教皇ミサに預かるのは今回で三度目である。一度目は1981年、後楽園球場。来日したローマ教皇ヨハネ・パウロ二世のミサだ。当時小学1年生だったが、記憶はしっかり残っている。後楽園を埋め尽くしたたくさんの人々の中で、パパ様という存在の大きさと、その教皇が率いるカトリック教会に連なる一人なんだと感じたのはその時がはじめてだったと思う。もちろん小1だったから、こんな小難しい表現はしなかっただろうけれど、数万人の人々がともに受けたミサの一体感は今も体のどこかに残っている。とは言え、後楽園の教皇ミサで自分の何かが変わることもなく、学校の友達にちょっと自慢できる経験程度のものだったに過ぎない。

二度目は2000年の青年の集い(ワールドユースデイ)@ローマだった。実はこの時、自分の人生史上、最も近いところに教皇様はいらした。サン・ピエトロ大聖堂で行われた開会セレモニーでは教皇ヨハネ・パウロ二世に抱擁されるという奇跡的な出来事に遭遇したのだ。当時の私にとって人生がひっくり返るほどの出来事であり、「これを機会に変わろう」と思ったに違いないのだが、果たしてどう変わればいいのか、具体性に乏しかったせいなのか、その後、自分は何をしたのか、考えると情けない限りである。

来日時のフランシスコ教皇のように、教皇ヨハネ・パウロ二世も青年の集いにおいてたくさんのメッセージを語ったのだが、言葉がわからず、インターネット黎明期だった当時、メッセージを入手し、理解する術は多くなかった。もちろん教皇を中心に世界中からやってきた数十万人の若者たちと集った感動は今も私の中に息づいているし、一生忘れられない経験として心に刻まれているのは事実だ。

そして三度目。今回のフランシスコ教皇の来日である。普段はシャイで節操がある(と思われている)日本人もオープンカーに乗った教皇の一挙手一投足に熱狂し、ミサ会場は歓声に包まれた。司式司祭までもがスマフォ片手に写真を取りまくっている。教皇を前にすると恥も外聞もなくなり、一目見たい、ほんの少しでもいいから触れたいという欲求にかられてしまう。私もご多分に漏れず、人を押しのけ、駆けつけてしまった一人だ。

 

与えられた宿題

しかし流石に三度目の正直。今回は教皇様の発する言葉に注目することにした。長崎、広島、東京と教皇フランシスコは各地でメッセージを発表し、一部はテレビで生中継されるほど注目を集めた。カトリック中央協議会のHPなどにも即座にアップされたため、インターネットで確認した人も多かっただろう。

特に私が注目していたのは、教皇が排除され、孤立する人々に対して何を語るかについてだった。ホームレスの人々を食事に招き、バチカンに難民を住まわせるなど、排除や貧困の問題に高い関心を持ち、率先して動くことの重要性を示してきた。

そして教皇は各地で経済的に豊かに見える日本に隠された排除や孤立の問題についてメッセージを発したのだった。たとえば教皇は羽田到着後その足で向かった「日本の司教団との集い」の中で、来日テーマの「すべてのいのちをまもるために」に触れつつ、次のように語っている。

日本の共同体に属する一部の人のいのちを脅かす、さまざまな厄介ごとがあることを自覚しています。それらはいろいろな理由によるものの、孤独、絶望、孤立が際立っています。この国での自殺者やいじめの増加、自分を責めてしまうさまざまな事態は、新たな形態の疎外と心の混迷を生んでいます。それがどれほど人々を、なかでも、若い人たちを苛んでいることでしょう。

日本の状況と背景にあるもの、「自己責任論」にまで言及していることに驚かされる。「すべてのいのちを守るために」という来日テーマにも現れているが、ここ数年、日本ではいのちが蔑ろにされる出来事が相次いでいる。事件や事故などで尊いいのちが失われる事態に加え、孤立し、追い詰められ、自分のいのちを大切に思えない状況の中、自殺に追い込まれる人が少なくない。

特に強く感じるのが、いのちを選別するような価値観の広がりである。たとえば、津久井やまゆり園で起こった殺傷事件。あるいはホームレス状態にあった男性が台風のさなかに区職員からの避難所への入所を断られた事件などである。極端な思想を持つ人間はいつの時代にもいるのかもしれない。しかし何より恐ろしいと感じたのが、「税金がかかるから、生産性がないから、生きている価値がない」と犯人や区職員を支持する言葉がネットを中心に多くみられたことだ。いまや日本人の多くは生産性に支配されているのである。

さきほど紹介した教皇のメッセージは次のように続く。

皆さんにお願いします。若者と彼らの困難に、とくに配慮してください。有能さと生産性と成功のみを求める文化に、無償で無私の愛の文化が、「成功した」人だけでなくどの人にも幸福で充実した生活の可能性を差し出せる文化が、取って変わるよう努めてください。

教皇様は嵐のように日本を駆け抜け、帰国されたが、言葉という形でたくさんのプレゼントを残していったように思う。ここに紹介したメッセージはほんのごく一部に過ぎない。気になる箇所、心動かされる箇所は一人ひとり異なるはずだ。それを分かち合ってみるのもいいだろう。教皇ロスに陥るのではなく、現代日本に生きる私たちに与えられた言葉を読み、それを実行に移すことこそ大切なのだと感じている。

 

新しいはじまり

教皇が来日し、長崎でミサを行ったのが、待降節前、最後の日曜日の2019年11月24日。教会暦は待降節の最初の日曜日から始まることを考えるならば、私たち日本の教会は教皇ミサで2010年代を締めくくり、教皇帰国後、すなわちポストパパ最初の主日が2020年代のスタートとなったわけである。そう考えると2020年代がまったく違ったものに見えてくる。

パパ来日を一過性の熱狂や興奮で終わらせないように、今度こそ大切に、ポストパパを生きていきたいと思っている。

 


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