山田真人 前回の記事では、カトリック学校の生徒が経済の循環を体験することで、よりエコロジーに対する理解を深め、その中で働く自分に気づき、神様から与えられた召命を感じることに繋がる教育について、考えました。今回は、その中に Continue reading

山田真人 前回の記事では、カトリック学校の生徒が経済の循環を体験することで、よりエコロジーに対する理解を深め、その中で働く自分に気づき、神様から与えられた召命を感じることに繋がる教育について、考えました。今回は、その中に Continue reading
山田真人 前回の記事では、ソーシャルビジネスに取り組むことがキリスト教的に考える召命の体験にどのように繋がるのかという点を、ボランティアとそれを事業化する体験の具体例を通して考えてきました。今回は、ビジネス取り組む人が、 Continue reading
佐藤真理子 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。 (詩篇119篇105節) 先日、私にとってとても緊張する出来事がありました。自分の中ではとても重要な局面だったので、ドキドキしながら目を覚ましました。その日 Continue reading
山田真人 前回の記事では、学生がボランティア体験を通して自分のタレント(才能)に気づき、それを時間を相手のために使う、つまり時間の贈与体験を通して自らの生きている意味に気づいていくことができるプロセスに繋がることをお話し Continue reading
佐藤真理子 わたしは歩哨の部署につき 砦の上に立って見張り 神がわたしに何を語り わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。 主はわたしに答えて、言われた。 「幻を書き記せ。走りながらでも読めるように 板の上にはっきりと記 Continue reading
山田真人 前回は、贈与体験や他者と関わることによって自分のタレントを理解することができるものとしてボランティアがあり、それを通じて自らの「ミッション」がわかってくるのではないか、と述べました。今回は、このボランティアにつ Continue reading
山田真人 前回は、慈善事業の取り組みが単なる自己完結の活動ではなく、他者に向けて広がっていくための実践の土台が、イエスを基準とした識別にあることを考えてきました。その中で、ボランティアの持つ他者性を考察しました。今回は、 Continue reading
山田真人 前回は、チャリティとフィランソロピーの違いを考えることで、真に慈善を実施することの難しさと同時に、イエス・キリストを識別の基準にすることで、一つの識別の契機となることに触れました。今回の記事ではイエス像が史的イ Continue reading
佐藤真理子 あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。 (マタイによる福音書18章22節) 8月になると、祖母からよく聞いている戦争体験の話を思い出します。 祖母が子供の頃のことです。空襲 Continue reading
山田真人 前回は、チャリティとフィランソロピーという言葉を用いて、現在学校教育などで取り入れられているフェアトレード学習について触れました。そして、何がフェアと言えるのかは、識別の作業が必要であるとも述べました。今回は、 Continue reading
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