「おせっきょう」ではないミサの説教 答五郎……さて、1週間休んでしまったけれど、みんな元気だったかな。「ことばの典礼」を考えるシリーズも11回目になる。10回目まではおもに「聖書朗読」を考えてきたけれど、今回は、少し先へ Continue reading


「おせっきょう」ではないミサの説教 答五郎……さて、1週間休んでしまったけれど、みんな元気だったかな。「ことばの典礼」を考えるシリーズも11回目になる。10回目まではおもに「聖書朗読」を考えてきたけれど、今回は、少し先へ Continue reading

福音朗読が頂点である意味 答五郎…… 「ことばの典礼」のことを考えてきて、もはや10回目だ。ずっと、聖書朗読に関係するところを見てきているけれど、この全体の流れはどう見えているかな。 &nbs Continue reading

詩編は架け橋……聖書朗読の配分の中で 答五郎 ……「ことばの典礼」のことを考えてきてもう9回目だね。前回は、詩編について、それが神との対話、つまり祈りとして意味のあることばだということを考え始めたね。 &n Continue reading

詩編は力強い賛美 答五郎 ……今回は「ことばの典礼」の8回目になるね。前回は、使徒の手紙がいつも神のことば、あるいは信仰を伝える使命をもった人のことばとして、その根底にはいつも神のことばが響いているというところまで考えた Continue reading

神との対話のたまもの 答五郎 ……今回は「ことばの典礼」の7回目。ミサの中で聖書を朗読する意味を考えているが、第2朗読の使徒の手紙の朗読が、どういう意味で神のことばの朗読なのかということに、ひっかかっている Continue reading

使徒の手紙の朗読 答五郎……今回は「ことばの典礼」の6回目。ずっとミサの中で聖書を朗読する意味を考えているけれど、きょうは、第2朗読の使徒の手紙を考えてみるのはどうだろう。 瑠太郎……はい、聖書が神のことば Continue reading

イエスのことばと福音書の「語り」 答五郎 ……今回は「ことばの典礼」の5回目。前回はミサの中で聖書を朗読する意味をさらに考えて、聖書そのものの根っこに神の「呼びかけ」があるからではないか、ということを考えてみた。 &nb Continue reading

はじめに「呼びかけ」があった 答五郎 ……このシリーズ、20回目まではミサの式の第1部「開祭」のことを考えた。そして、21回目からはミサの式の中の「ことばの典礼」について始めている。今回はその4回目。聖書を Continue reading

福音書のなかで好きなところは?と聞かれると私はルカ4章16~30節をいうことにしている。イエスが自分の出身地のナザレで説教をする場面である。はじめて聖書を読む人にはこんな所もあるんだと驚きを禁じ得ないだろう。   Continue reading

だれが語り、だれのために語るのか? 瑠太郎……典礼の聖書朗読をとおして神が語る、キリスト自身が語る、ということなのですが、だいぶ飛躍がある言い方なのではないでしょうか。 答五郎… Continue reading
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