思わぬ出会いの大切さ


『福音宣教』編集長 小林剛

カトリック月刊誌『福音宣教』編集長の小林剛(ごう)と申します。今回のテーマは「福音宣教とメディアについて」ですが、その話にすぐ入る前に、少し大学の話をさせていただきたいと思います。

 

コロナ禍の大学

私は大学でキリスト教や哲学を教えています。大学は昨年4月からほとんどオンライン授業になりました(最近は徐々に対面授業が復活してきましたが)。この1年半の間に、ほとんどゼロに近かった私のオンラインスキルは、飛躍的に上昇しました。

そんな中で感じたことは、オンライン授業も結構良いな、ということです。大教室で大人数で行われるような授業は、オンラインなら、大学まで来なくても、いつでもどこでも好きな時に好きなところで授業を受けられるのはもちろんですが、それよりも何よりも良い点は、まわりの雑音にわずらわされることなく、授業に集中することができることです。

また、発表や議論、その他様々なやり取りをするゼミや語学のような授業でも、オンラインに慣れてしまえば、実際に対面で行っているのとあまり遜色ありません。逆にオンラインであれば、遠く離れた人とも、手軽に出会うことができますし、人前では言いにくいことも、チャット機能などを使って手軽に発言することができます。

しかしだからといって、直接大学に来ることが、無意味になったとは思いません。大学へ来る間に出会うこと、来てから出会う人やモノ、話題。直接大学に来ることの意義は、そうした思わぬ出会いにあるのではないかと、最近つくづく思います。オンラインは、便利過ぎるがゆえに、出会う事柄を初めから限定しすぎてしまうところがあります。その分、実在の場としての大学の意義は、思わぬ出会いを引き起こす多様性にあるということになります。

 

コロナ禍の教会

キリスト教においても、ミサや礼拝、講座、日曜学校、祈りの会など、様々な活動がオンラインで行われることには、良いところがたくさんあるように思います。何よりも、物理的にはとても行けないところで行われていることに、手軽に参加できるようになるということは、何よりのメリットだと思います。このメリットは、重く受け止められるべきだと私は思います。

しかしだからといって、直接その場所に行くということが無意味になるわけではないでしょう。そこへ行くまでの道のりの間に、思わぬ出会いがあるかもしれません。行ってからも、思わぬ人に、光景に、話題に出会うかもしれません。その意味で、直接その場所に行く意義は、巡礼の意義に似ているかもしれません。そこへ行くこと自体よりも、その道のりの中で起こる思わぬ出会いにこそ、巡礼の意義があるように思われるからです。

 

紙の雑誌

私は、紙媒体の雑誌の編集にたずさわっています。これだけインターネットが発達している時代に、紙媒体で雑誌を出す意味はあるの?と疑問に思う人がいるかもしれません。じっくり読む単行本や教科書ならまだしも、タイムリーであることが要求される雑誌は、ウェブ上のものの方が良いに決まっているのではないかと、そう言われるかもしれません。

『福音宣教』2021年12月号(オリエンス宗教研究所)

それは一面当たっていると私も思います。しかし、先ほども申し上げた通り、インターネットは、便利過ぎるがゆえに、出会う事柄を初めから限定しすぎてしまうところがあるように思います。ネット検索するときには、こういう内容のこういうものを、と探すのですから、それ以外の内容のものは、自ずから排除される傾向が出てくるのは当然のことでしょう。

しかしもし、ある紙の雑誌が目の前にあって、その表紙に書いてある内容には、それほど興味がなかったとしても、それが紙という実在の物質の形で目の前に存在していると、思わず手に取って見てみてしまうということが起こり得るのではないでしょうか。

私は、雑誌に限らず、紙媒体は今後も粘り強く生き残ると考えています。それは、モノとして実在する強みがあると思うからです。ネット上で、情報として処理されれば、不要なものとして切り捨てられてしまうような情報も、それがモノとして実在するときに、人に思わぬ出会いをもたらす可能性を持つのではないでしょうか。それを人は、まるで巡礼を大事にするように、捨て難いものとして大事するのではないかと私は感じています。

 

インターネットとの共存

紙媒体とインターネット媒体は、互いに競争し、排除し合う関係ではなく、互いに手を取り合い、それぞれの長所を生かして共存していくべき関係にあると私は思います。たとえば、インターネット媒体は、人々のニーズに敏感に反応して、読みやすい、見やすい形で情報を大量に発信する。その中で人々を紙媒体へとつないでゆき、そのおかげで紙媒体は、人々と出会う場所を得る。そしてそこで思わぬ出会いを生み出し、人々をインターネット媒体につないでいく。そのような仕方で両者は補完的関係を築いていくことが、理想的な姿なように思います。

 


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