太田有美子(写真家)
数年前から日の出とともに起きる生活をしている。二階の窓から日の出が見える。毎日記録し写真をSNSにアップしている。ある時それを楽しみにしてくれている人がいることに気が付いた。雪国に住んでいる人は冬の時期は太陽の光を感じられないというのだ。私は太平洋側にしか住んだことがない。今の家も住んで四十年以上経つ。こうして同じ場所に住んでいると日々太陽が昇ることを当たり前に感じてしまうものだ。折角写真を楽しみにしてくれているのならば日の出後の散策の様子も紹介することにした。鳥、虫、植物、雫、海や空、そして雲、出会いはその日その時の貴重な記録。カメラを構えているといつも会う人がいる。「毎日何がそんなに有るのですか。」と聞かれることもある。「今、ここにカメムシがいてね。」とその方向を指さすとその人の表情がたちまち明るくなったりする。「はは、よく見つけますねえ。」といわれる。ほんの少し立ち止まって周囲をみる。不規則に梢が揺れ、葉が落ちたりしたらそこには何かがいるのだ。鳥の姿を発見した時などは心和む。植物の形も面白い。不思議に絡み合って共生している姿になるほどと感心してしまう。そう思ったらすかさずシャッターを切るのだ。私にとってカメラはほとんどメモ帳のようなものといっても過言ではない。はっと思ったらメモするようにシャッターを切る。そのリズムで約1時間を過ごす。いつもお会いする人が「先日ね、この池からカエルがあっち向いて歩いていきましたよ。」などと教えてくれたりする。お互いに相手の名前などは知らない。同じ時間帯にここで出会うというだけ、でもその行動から好みがどんな方向かをお互いに理解しているのだ。また情報がより早く伝播するのに驚いたことがある。私が「池にカワセミが来ていましたよ。」とある人に伝えたら別の人が翌々日に、「カワセミの写真を見せて。」と寄ってきたのだ。一瞬、どうして知っているのかと思ったがすぐに合点がいった。彼らは犬友なのだ。おそらくそれで口コミで伝わったのだと思った。人との会話が少ないコロナ禍だったからかもしれない。カワセミが池にいたという情報だけで意識のある部分でそれが共通のものとなって伝わった。実はこんな風に人間も鳥も虫も私たち生き物は命の循環の上で生かされていて不思議な見えない糸で繋がっているのだと思った。
地球上の生物はみなそれぞれの食物連鎖で成り立っている。生き物には皆それぞれの営みがある。お互いにつながりをもって生きているのだ。そのシンプルな生き様に“いのちのかたち”の原点を見る。足元の小宇宙で何が起こっているのか、自分が立っている隣の木に、今何がきていて何をしようとしているのか、次にどこへ行こうとしているのか、立ち止まって彼らの息遣いを知ること、それが何より今、人間に求められていることだと思う。
命あるものは皆美しい。地球はたった一つしかないいのちのゆりかご。私はそこで起こっていることを観察し写真を通して伝える、それが誰かに伝播して何かにつながれば、嬉しく自分にとって小さな幸せだ。今日も明日ももちろん明後日も、ただシンプルにそれを続けていきたいと思っている。
*アットホーム編はこちらです。