中村恵里香(ライター)
戦後75年という節目を迎え、戦争体験の継承が多くの人から訴えられています。でも、本当に戦争体験の継承はできるものなのでしょうか。
私の両親は生まれも育ちも広島です。母から学童疎開の話のいくつかは聞きましたが、両親の被爆体験はほとんど聞いたことがありません。子どもの頃、身体の弱かった私は、夏の間、夜行列車に乗せられて広島の親戚に預けられていました。親戚には身体の半分にケロイドを負った人もいましたが、「どうして?」という疑問はなぜか聞くことができませんでした。その理由を知ったのは、小学校1年生の時、祖母に連れられていった8月6日のセレモニーとその後訪れた原爆資料館でした。その頃から、原爆って何? なぜ原爆は落とされたの? という疑問の中で、被爆2世という現実と向き合いつつ生きてきたように思います。
今ではそんなことをすっかり忘れていたのですが、その事実を思い起こさせられる映画に出会いました。その作品が『おかあさんの被爆ピアノ』です。
東京で生まれ育った江口菜々子(武藤十夢)は、大学で幼児教育を学んでいて、幼稚園教師を目指しているものの、はっきりとした目標を持っているわけではない女性です。祖母が亡くなり、大事にしていたピアノが被爆ピアノであることから、母・久美子(森口瑤子)が寄贈していたことを知ります。母の元に来ていたコンサートの招待状を手に被爆ピアノのコンサートに出向き、被爆ピアノの修理、調律をしている矢川光則(佐野史郎)と出会います。
矢川自身も被爆2世です。被爆ピアノとは、爆心地から3キロ以内で被爆したピアノのことをいいます。被爆ピアノ数台を自ら運転するトラックに乗せ、全国を回っているのが矢川です。
翌週、ゴールデンウイークに入ると、菜々子は、2回目となる被爆ピアノコンサートに行き、矢川に広島に連れて行ってほしいと頼みます。広島に向かう途中、矢川は菜々子の母に電話します。すると、母・久美子は、「娘を広島に関わらせたくはない。就職を控え、この先結婚もあるので、原爆にあまり興味を持たせなくない」と語ります。それでも強行に広島に行きたいという菜々子を矢川は拒むことができませんでした。
広島に着いた菜々子は、思い出の祖母の家に向かい、自らのルーツを探し始めます。数日後、母が突然菜々子のいる祖母の家にやってきます。あまり多くを語ろうとしない母とともに菜々子は広島の町を歩き、自ら探るようにいわれます。そして、少しずつ母は語り出すのです。
連休も終わりに近づき、矢川から原爆投下のその日に被爆ピアノコンサートが開かれることを教えられ、自分でもピアノを弾きたいと言い出します。東京に戻り、母の思い出の曲、ベートーベンの「悲愴」の猛特訓が始まります。
さてここからは観てのお楽しみです。菜々子と母の関係は? 祖母の思いとは? 菜々子は「悲愴」を無事に弾くことができるのか、彼女が求めていたルーツとは。すべてが戦争体験とその後の世代につながっていきます。戦争に関する映画というと、悲惨さや哀しみが重々しく、押しつぶされそうになる作品が多いのですが、この映画は現代人が考えるべき戦争体験の継承とは何かが描かれています。
実際に被爆ピアノを修復、調律している矢川光則さんの体験をもとに映画が作られています。ぜひ映画館でご覧になってください。
8月8日より K's cinema ほか全国ロードショー
公式ホームページ:http://hibakupiano.com/
監督・脚本:五藤利弘/脚本協力:渡辺善則、黒沢久子/エグゼグティブ・プロデューサー:大橋節子 染谷明 牛山大/ゼネラルプロデューサー:城之内景子/プロデューサー:伍藤斗吾/協力プロデューサー:狩野善則、小林良二、小竹克昌/美術:部谷京子 主題歌:南壽あさ子 音楽:谷川賢作 制作プロダクション:OneScene
出演:佐野史郎、武藤十夢、森口瑤子、宮川一朗太、南壽あさ子ほか
配給・宣伝:新日本映画社
©2020映画「おかあさんの被爆ピアノ」製作委員会
2020年/日本/DCP/カラー/ステレオ/111分/G