フランコ・ソットコルノラ(聖ザベリオ宣教会司祭)
「真命山祈りの家・諸宗教対話センター」は、設立当初、熊本県玉名市の古川泰龍(ふるかわ たいりゅう 生没年1920~2000。真言宗の僧侶。死刑囚の冤罪撤回運動に尽力)住職が1973年に開いた「生命山シュバイツアー寺」に属する「生命山カトリック別院」と称していました。
カトリックの聖ザベリオ宣教会に属する私、フランコ・ソットコルノラ神父は、まず、シュバイツアー寺の古川住職と一年間生活をともにしながら日本仏教を学びました。1987年この祈りの家・諸宗教対話センターを開設したとき、古川師は「生命山カトリック別院諸宗教対話センター」と命名しました。そのあと2003年にこのセンターは、シュバイツアー寺との交友・協力関係と設立当初の趣旨を維持したまま、聖ザベリオ宣教会が直接経営する事業所となり、その折に名称を「真命山 祈りの家・諸宗教対話センター」に改めました。
いうまでもなく、古来日本には、山を崇拝する信仰と山で修行する文化があり、仏教では伝教大師最澄の天台宗比叡山、弘法大師空海の真言宗高野山などをはじめ、鎌倉仏教の禅宗とともに鎌倉五山など、寺に山をつけるようになりました。真命山の「山」もそれに倣ったものです。山々に数多く建つ社寺や、平地に移された神社仏閣には、それぞれ山の宗教的、霊性的、修行的深い意味が含まれています。
真命山は、初めから諸宗教対話センターであることを意図し、また祈りの家であり、さらに、日本の伝統文化を大切にするセンターであることを目指しています。ですから「真命山諸宗教対話センター」という命名は、日本の伝統的宗教である神道各派および仏教各宗派寺院との交流と会合を重ねて、理解し協力し合うことを目指す場であることを平易に表現しようと意図したものです。また施設の構築物は、この意図に沿ったものであり、服装は作務衣を常用しているのもそのためです。そのほか、真命山が根ざす場として熊本県玉名郡和水町(なごみまち)のこの山(300メートルほどの比較的低い山ですから、丘というべきかもしれませんが)を選んだのはこのような理由によります。
真命山の丘の上からは有明海が見渡され、その向こう岸に島原半島と雲仙岳が見え、その北側に佐賀県の山並みが見て取れます。丘の南手には熊本市に属する金峰山があり、またその東手にははるかに阿蘇山の外輪山が見えます。
山の位置のおかげで、朝日が昇り夕日が沈む景色を眺めることができます。年間を通して冬から春にかけて南から北へ、夏から秋にかけて北から南へと太陽は出没の位置を少しずつ変えていきます。また太陽は、毎朝・毎夕、常に新しく素晴らしい景色を繰り広げ、天地創造と終末の日を思わせます。真命山では特に大自然の神秘とそのリズムと時の流れに従い、昇る朝日と沈む夕日にあわせ、天気が良ければ外に出て朝夕の祈りをささげます。
「神秘」とは、人間の経験のなかにある神の覆われた現存です。「自然」とは、聖書の記述によれば、「被造物」という、神が創造し、また、覆い隠されたり顕わされたりしながら、いのちを与えておられる現存です。山はこの自然の部分であり、その一部分は力強く見え、また威厳があります。
山の上は天を、あの「天」を目指しています。それは、いろいろな宗教の中で、また聖書の中で、「天におられるわたしたちの父……」というときの“父”が特に住んでおられると人々に思われ、感じられているところです。山は、人類の伝統的な経験として天にもっとも近く達しています。行者が頂上を目指す歩みは、人類の伝統の中では修行、登攀、完全への成長、神との出会いを目指す歩みの象徴です。巡礼とは、この場合、そのような歩み、成長、出会いを目指す象徴的宗教行為です。
キリスト教伝統の中にも、しばしば山の上に修道院や巡礼所があり、その名称に「山」がつけられていて、上と同じような意味を象徴しています。たとえば、修道院として代表的なイタリアのモンテカッシーノ(カッシーノ山)はベネディクト会修道院の「母院」であり、ベルギーのカイザーベルグ(セザール山)などをあげることができます。日本でも知られている巡礼所としては、フランスのノルマンディーの海岸にあるモン・サンミッシェル(聖ミカエル山)、スペインのカタローニャにあるモンセラート(セラート山)があります。
真命山は、小さいながらも諸宗教対話実践の使命を帯びていると考えていますし、また祈りの中で神に向かって歩む、つまり「山に登る」よう皆様をお招きすることを目指しています。
いつか行って見たいと思います。