38年ぶりの教皇来日に日本中が沸いた2019年は静かに終わり、フランシスコ教皇のメッセージを受けて日本のカトリック教会がこれから何をどうしていくのか注目が集まっている。中でも青年たちの動きは活発だ。全国カトリック青年大会、ジャパン・ユース・デイ(Japan Youth Day, JYD)である。実現すれば、実に24年ぶりの開催となる。
すでに2019年年頭から動き出し、2020年ゴールデンウィークに日本各地のカトリック青年を中心に500人規模のイベントを企画している(詳細はこちら)。
日本カトリック司教協議会からの全面協力も取り付け、実行委員会の準備は大詰めを迎えている。ところが、ここに来ての今般のコロナウィルス感染症の騒動となってしまった。全国的に自粛ムードと先の見えない不安が駆り立てられる中、JYD実行委員会は今後どうして行くのだろうか。
そこで、今回はJYD実行委員会の代表を務める林純一さんに話を聴いた。
両親ともにカトリックの家庭に育ちましたが、代々カトリックというわけではありません。父はカトリックの幼稚園に通い、当時多くの大学で盛んだったカトリック研究会に所属し、真生会館などにも出入りする中で、様々な出会いが重なり、受洗の恵みを受けました。昨年定年を迎えるまで、姫路のカトリックのミッションスクールで教鞭をとっていました。
母の家庭は熱心な浄土真宗でした。音楽、特に声楽を志し、音楽大学を出た後、フランスへ留学しています。留学先でのグレゴリオ聖歌との出会いをきっかけに聖書に触れ、パリのイグナチオ教会で受洗したそうです。
二人は、母の地元であった姫路の教会で出会い、青年会の代表と副代表となっていたため、お似合いだと世話焼きの信者さんたちがくっつけたようです。私は、幼児洗礼で、このように自身で信仰を選び取った熱心な二人のもとで育ってきました。
大学進学で上京し、初めに住んだ寮の近くにあった目黒教会に通い始めたのが出会いの始まりでした。教区の活動や全国の活動に熱心に取り組む青年に誘っていただき、様々な機会に足を運ぶようになりました。真生会館でWAKAGEのスタッフとして働かせていただいたことや、東京で開催した第29回NWM(ネットワークミーティング)の代表をさせていただけたことは良い思い出です。その過程でカトリック青年連絡協議会の運営委員会にも出席するようになりました。2年前からはその代表を務めさせていただいています。
両親ともに教育に携わっていたため、私も自然とその道を志し、カトリックの学校の教員になりました。初任は神戸の学校で、今は静岡の学校で社会科と宗教科の教員をしています。
プログラムも確定し、詰めの作業に入っています。テーマに『Christus vivit! ~それでも私はキリストと生きる~』を掲げ、5月のゴールデンウイークに3泊4日の行程で行います。教皇様は使徒的勧告『キリストは生きている(Christus vivit)』の中で、特に青年に向けたメッセージを発してくださいました。その言葉と昨年の訪日時のメッセージを受け、私たち青年が奮い立つようなイベントにしたいと思っています。
「それでも」という言葉をテーマに入れたところがこだわりです。私たちと共に歩んでくださるキリストがたしかに生きている。そのことは現代社会では簡単に納得しにくくなっています。またそれができても、置かれた場で真にキリスト者として歩んでいくことには様々な難しさが付きまといます。昨年私たちのもとを訪れてくださった教皇様のことばを聴いて、間違ってないと思った方はたくさんいると思うんです。どんな環境、現場であっても、「それでも」キリスト者として生きていきたいという望み、自分の奥深くにある希望をもう一度見つめなおしてほしい、そのような機会にしたいと思っています。
大きな枠としては、自分が今置かれている場、働きをふり返る、信仰の源を考える日、そして一人の信仰者としてではなく教皇様の呼びかけに応える教会の中の一員として、教会として社会に伝えたい愛とゆるしについて考える日が中二日間の大きな枠です。
「PROTECT ALL LIFE」という教皇様の来日テーマを噛み砕いたときに出てきた言葉です。神さまのいつくしみのまなざしによっていのちを守ると解釈しています。だから、3日目には神さまの愛とゆるしを見つめなおすというカテケージスも司教様方にお願いしているところです。
それを受けて、3日目の午前中は二つのプログラムに分かれます。カリタスジャパンのプレゼンツ企画と、韓国青年による東アジアの赦しと和解について考える企画です。カリタスの方では「守りたいいのち」を考えます。ジェンダーや貧困について具体的なお話を聞き、環境など現代社会の抱える大きな課題と合わせて、今、私たちが守っていきたいいのちについてのワークショップが用意されています。韓国の青年たちからは「守りたかったいのち」です。日本人として生きる私たちが赦しを考えるとき、避けて通れない東アジアの歴史と和解について考えます。
梅村司教様が実行委員会の顧問を務めてくださっています。前田枢機卿や菊地大司教やアベイヤ司教も一緒に大会を過ごしてくださいます。松浦司教、大塚司教、勝谷司教も顔を出してくださることになっています。今後さらに多くの司教様が日程を調整出来次第参加表明して下さりそうです。
24年ぶりにこだわったというよりは、実は10年ほど前から期待はされていたんです。ワールドユースデーのシドニー大会のときに、日程的に日本の青年の多くが参加できませんでした。当時はワールドユースデーinジャパンの形は出来たけど、もっと日本の青年に合ったプログラムでやりたいという思いでした。今回はようやく漕ぎ着けたのですが、教皇様の来日もかなり大きな動機となっています。
実行委員会はコアメンバーだけで20人ほどです。各プログラムごとにチームに分けて、やりたいようにやってもらっています。それぞれのプログラムでさらに多くの青年に関わってもらっています。各教区が受け持つネットワークミーティングとは違うものを作りたい形にしたいと思いました。ネットワークミーティングで繋がった青年同士が協力して全国の青年で作りあげるものにしたいなと。そうすると準備段階で全体で集まれるのは2回か3回です。その中で作れる体制を考えました。それぞれがプログラムを作って持ち寄るといいう発想です。
参加者が作る部分もあると思うんです。ファシリテーターに対して受身になるのではなく、各班で分かれたところで司会者を決めてもらったり、やっていってもらうところも特徴になるでしょう。それぞれの青年がそれぞれの場所でキリスト者として生きていることを自分の言葉で表現してもらい、分かち合い、みんなに話してもらう時間もあります。
学生と社会人と分けて、さらに社会人の中でも教育・福祉系が多いので、彼らとそれ以外とで分けたりします。また職業に悩んでいる人たちにも話しやすくする工夫をして、それぞれが今いる場所を振り返り、「それでもキリスト者として生きる」ということを考える機会を提供します。広い意味での召命をですね。
先が見えない中、自粛ムードもありますし、緊急事態宣言が出される可能性もあります。
もちろん然るべき時期に中止や延期の判断をすることになってもやむを得ないということを覚悟はしています。しかし、今準備をし続けることに意味があります。今年は教皇様来日の翌年に当たりますが、あの時の熱を守り、ブランクをあけてはならないという気持ちがあります。準備を続けることそのものによって、青年たちが何かしら紡いでいるわけです。
今年が無理なら来年に向けて動き出します。しかし出来なかったとしても形になりつつあるものは本当に良いものが出来てきています。今あるもので参加者にも示したいし、教皇様の呼びかけに青年が応えて動いているということそのものに大きな意味があると思っています。
使徒的勧告『キリストは生きている』の中でも、教皇様は「試練に立ち向かうこと」、「挑んでいきなさい」ということを強調されています。状況は難しいかもしれませんが、たとえ本番がなかったとしても、やるべきことは全部やるという気持ちです。
「若者がやる気を失うことがあってはなりません。若者らしさは、大きなことを夢見ること、広い地平を目指すこと、果敢にその先へ向かい事、世界を手にしようとすること、挑まれたら受けて立てること、よりよいものを築くために最善を尽くそうとすることです。ですから若者たちには、希望を奪われることのないようにと、声を大にしていいたいのです」(『キリストは生きている』15項)
この想いで、実行委員会は準備しています。
JYD公式サイト:https://www.jyd2020.com/
林 純一
全国カトリック青年大会(Japan Youth Day)実行委員会代表、カトリック青年連絡協議会代表
兵庫県姫路市出身。カトリック静岡城内教会徒。静岡雙葉中学校・高等学校教諭。
(聞き手・文責:石原良明/webマガジンAMOR編集委員)