ミサはなかなか面白い 84 様変わりしていったミサ


様変わりしていったミサ

答五郎 さて、中世における聖体をめぐるいろいろな変遷を見てきているところだが、前回は、事実として信徒の聖体拝領がだんだん減ってきたということと……

 

 

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問次郎 それと、ミサとは別な聖体礼拝が形成されてきたということでした。それは驚きというか、興味深いことでした。聖体は、ミサの奉献文の中でいわば“作られて”、信徒に配られて、それを信徒が受けてようやく、キリストの定めに従う晩餐の典礼が実現すると学んできたからです。ミサの位置づけが下がったのでしょうか。

 

答五郎 いや、そうではなくて、信徒が日曜日にはミサに参加することは依然、というかますます大切に守られていたのも中世だったよ。それでも、大体の傾向として、古代教会に花開いた典礼の姿とはずいぶん様変わりしていったのも事実だ。主な点に絞るけれども、なにより、ミサは司祭のもの、聖職者のものと考えられるようになる。

 

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問次郎 今でもミサは司祭がいないと始まらないので、そうともいえるのではないですか。

 

 

答五郎 言い方が足りなかったかな。逆からいうと、信徒は聖堂に集まって会衆として、ミサのときにそこに居るのだけれど、ミサの式の中身には実質的な役割がなくなる、参加がなくなるということなのだよ。聖体拝領も減っていくとなると、信徒は本当にミサには居合わせるだけになる。

 

女の子_うきわ

美沙 参加というのは、たしかに今の典礼では大事なようですね。『典礼憲章』を読んでみたのですけれど、何度も出てきました。

 

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答五郎 第2バチカン公会議の『典礼憲章』、それ以前からの典礼に関する刷新運動、公会議後の典礼改革などは、全般として中世以来の典礼の様変わりに対する反省という気持ちが強かったから、参加がクローズアップされている。

 

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問次郎 中世以来のミサの様変わりとは、さらに、どんなものだったのですか。

 

 

答五郎 古代教会で発展した共同体型の典礼は、司祭団やすべての歌をラテン語で歌う専門的な聖歌隊や歌唱者によって発展して、いわゆる荘厳ミサというものが生まれる。これはこれで、典礼史の上での大きな発展で、新しい模範を作り出したのだけれど、一般民衆というか信徒が活躍する余地は少なくなっていったという面があるのだ。

 

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問次郎 ラテン語と民衆語、俗語の違いという言語の問題もあったのでしょうか。

 

 

答五郎 言語の問題は、ヨーロッパ文化全体をとおしてのことなので大きな話になるのだけれど、たしかにラテン語が壁になった面はあるだろうね。それも背景として、また中世には、荘厳ミサとは違う、日曜日とか毎日のミサで、司祭が単独でミサを挙式するタイプの実践も増えていく。修道院での実践が影響しているともいうが、だんだんとミサの式も、司祭が主で、一部、奉仕者との間でのやりとりで進行させていくタイプのものになっていくのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙 それと、昔のミサは祭壇に司祭が向かって、信徒たちは後ろから眺めているというものだったと聞いていますが……、それはどうなのでしょうか。

 

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問次郎 背面式ミサだろう、今のが、対面式なのに対して。

 

 

答五郎 第2バチカン公会議後の典礼刷新の一大特徴として、背面から対面へ変わったといわれるようだね。皆びっくりしたというし、慣れるまでしばらくかかったとか。ただ、それも中世を通じて形づくられたものという点が重要ではないかな。調べてみたのだけれど、なかなか上手く説明しているものも案外すくないのだよ。司祭職の位置づけ、修道院制度の発展、聖堂建築や祭壇建造の様式の変化、なによりもこれまで見てきたような聖体の神聖さに対する畏敬の意識、「ミサをささげる」という意味の探求など、いろいろな要因が絡み合ってきたらしい。

 

女の子_うきわ

美沙 結果として、祭壇の前で、信者と同じ方向を向いてミサをささげるという形が定着していったのですね。

 

 

答五郎 うまい言い方をしたね。背面式といっても、信者に背を向けることが目的ではないようだよ。同じ方向を向いてささげものをするという感覚が重要だったのではないかな。

 

 

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問次郎 司祭が聖書朗読とかも全部やってしまうのですか。

 

 

答五郎 そう。それに元来「入祭の歌」とか「拝領の歌」で会衆が参加して活発に歌うものとして生まれた部分も、当日の式文の一つとして「入祭唱」「拝領唱」といった短い聖書の句を唱える形式に変わっていく。ともかく、信徒がそこに絡むことが少なくなり、ミサの基本形は司祭が全部を行うもの、唱えるものという限定でミサ典礼書も作られていくようになる。

 

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問次郎 信徒は集まっていても、ただ聴くだけということですか。

 

 

答五郎 「ミサを聴く」という言い方も半世紀前まではあったそうだよ。さらにいうと「ミサを観る」というふうになったともいえる。司祭の動き、祭壇の前で、厳粛に神聖な祈りをささげているそこに気持ちを合わせるようにということ、そして、大事なことは聖体の聖別が行われたあとに、司祭が頭の上に聖体を高く上げたときに、それに向かって信徒は深く礼拝するということだね。

 

女の子_うきわ

美沙 それは今も残っていますよね。聖体を示して深く礼をし、カリス(御血)に対してもそうするのは、ミサでもいちばん厳粛な瞬間に感じられますが。

 

答五郎 それはそうだね。聖体つまりキリストへの礼拝行為は今も変わらない。ただ、ミサ全体の中で、そのことがもつ重みとか位置づけ方が違ってくる。奉献文で祈られていることの中身を聞きながら、黙想して、礼拝心を整えることができるのが今だとするとね。それでも、司祭の動きをよく見て、その聖体奉挙(エレヴァチオ=高く挙げること)のとき、聖体に、つまりキリストに礼拝することがミサのクライマックスというふうに受け取られることになる。

 

女の子_うきわ

美沙 今は、奉献文の流れの中で同じように聖体に礼拝しますが、祈りの中身を聞きながら、それと一体ですね。自然に祈りを聴くうちに礼拝に導かれるというか……。祈りがラテン語で直接には意味がわからない時代には、それだけ司祭の動作を見ながらそれに添っていくための注意力が必要だったのでしょうね。

 

答五郎 実態はさまざまだったと思うよ。信者個々人の意識や信仰心もあって、また言語についての知識もあるかどうかなど、教育背景も多彩だっただろうし。ただ全般的傾向として、ミサにおける信徒の聴衆化・観衆化ということがいわれるし、そこを簡潔に表現するために、当時、信徒は「ミサを」祈るのではなく、「ミサの中で」祈るようになったといわれることもある。

 

女の子_うきわ

美沙 現代とは比べものにならないぐらい、信徒の方々も信仰心が深かったでしょうに、典礼史の側面からはマイナス評価になるのですね。

 

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問次郎 その点を改善課題と考えて、ミサがすべての信者にとって、全教会にとっての祈りだと自覚されるようになったのが現代なのですね。

 

 

答五郎 実はそれがだいぶ前からでもあるのだよ。19世紀ともいわれるけれど、現代に続く問題意識は、中世末期から、本格的には16世紀のあの宗教改革の時代からだといわれる。そこが現代に至る典礼刷新の芽生えの時だったというあたり、次回、見てみることにしよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


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