1)バチカンはカトリックの総本山なの?
①一宗の各本山を総括する院。一宗、一を総括する寺
②比喩的に、ある組織・流派などの大もと
とあります。本来は仏教用語で、そこからある組織の大もとを指すときに使う用語ということですね。新聞報道では、バチカンはカトリックの総本山と紹介されることが通例です。
日本では仏教のことがよく知られているという前提に立った報道慣例なのでしょう。とりあえず、宗教団体の組織ととらえているということはわかります。
2)バチカンは国なの? 何かの組織なの?
①ローマ市西端ヴァチカノ丘にある教皇宮殿
②ローマ教皇庁の別称
③ローマ教皇の統治するローマ市内にある小独立国。1929年成立。ヴァチカン宮殿・サン-ピエトロ大聖堂を含む。面積 0・44平方キロメートル。人口822(2006)。ヴァチカン市国。
比較的的確ではないかと思いますし、歴史的な流れがわかります。またバチカンは教皇と関係があるところだということがわかりますね。
なお、日本のカトリック教会では「バチカン」と表記、『新カトリック大事典』(上智学院新カトリック大事典編纂委員会編、研究社)では「ヴァティカン」という表記になっています。それぞれの片仮名表記基準によるようです。
バチカンと表記するときには、くれぐれも「バカチン」と間違えないようにしてくださいね。
3)正式には「聖座」
日本の外務省の各国一覧でバチカンを引くと「法王聖座」という訳語で、やはり聖座という正式名称で扱われています。
4)教皇か法王か、教皇庁か法王庁か?
現在の日本のカトリック中央協議会のサイトでも「よくある質問」というコーナーで解説されています。以前は日本のカトリック教会の中でも混用されていたのが、1981年ヨハネ・パウロ2世の来日を機に、「教皇」に統一されたそうです。
政府や新聞で「法王」と使われるのは、駐日バチカン大使館の正式名称が「ローマ法王庁大使館」であることがもとになっているそうです。外交関係が樹立されたときにローマ教皇庁がこの「ローマ法王庁大使館」の名称で政府に申請したことで、それはなかなか変更されにくいのだと説明されていますね。
5)「パパさま」が一番!?
ただ、この部分について、教会では教皇と統一しているのだから「教皇」と呼ぶべきだというように思って、「わたしたちの教皇○○」と唱えている司祭もいるそうです。「教父」は「きょうふ」、「恐怖」を連想させるという屁理屈を語る人もいるとか。
6)ところで、バチカン市国とは?
近代の統一イタリアができ、教皇領が消滅してから、教皇庁とイタリア国家の間の関係づくりが必要になりました。それがようやくできたのが59年後の1929年のラテラノ条約だったというわけです。ここでバチカン市国という独立国が建国されたということになります。
つまり、ローマ教皇庁は政治的な次元で「聖座」という役割を発揮するために、完全に行動の自由を認められたということになります。
宗教活動を展開する上で、イタリアや各国と関係をもつことは必然なので、その指導力を発揮するためにまずはイタリア本国で自由な主権を確保していることが大事なのだろうと思います。
7)なぜ、カトリックの中枢はバチカンにあるの?
キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝がここに大聖堂の建設を始め、354年に聖ペトロ大聖堂(今のサン・ピエトロ大聖堂の最初の姿)が完成しました。ところが、ローマの教会の指導者である司教(つまり教皇となる人)が居住するところは、古代・中世ではずっとラテラノ宮殿だったのです。
そこのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ教会は、その意味で全カトリック教会の母教会という位があり、現在でもカトリック教会の典礼暦では、11月9日がラテラノ教会の献堂として祝日があるぐらいです。
この計画が本格化し、定礎式が行われたのが1506年、完成したのがその109年後の1615年。これが現在のサン・ピエトロ大聖堂です。ミケランジェロ、ベルニーニらの活躍のことはお聞きと思います。このころシスティナ礼拝堂やバチカン博物館などの建物、そして現在のバチカン宮殿なども建てられて、今日のような形が整ったといえます。
8)バチカン市国の元首は、国民は?
聖職者だけでなく、既婚の職員もいますが、基本的には教皇庁およびバチカン市国に属する諸機関・諸施設のうちの常駐者が住んでいるということになるでしょう。ローマなど市国外から通勤する人ももちろんいるわけです。そういう意味では、普通の国とは違いますね。
9)スイス人衛兵が有名だけれど、あれは軍隊?
とはいえ、教皇領(教皇国家)時代にはもちろんさまざまな形式の軍があったのですが、それらが最終的に廃止されたのはなんと教皇領廃止から100年たった1970年だったとのことです。スイス人衛兵だけがその名残といえるのかもしれません。
これについての歴史物語る洋書を紹介した記事がこのAMORの「選りすぐり洋書紹介」にありますので参考にしてください。
10)バチカン市国は、貨幣も行政も独立?
ただし、あくまで元首、教皇庁の主権を代表するのは、教皇です。また伝統的な職名で国務長官という人がいますが、いわば総理大臣にあたる人です。さらに外務大臣にあたる外務長官という人もいます。国際関係の場で「バチカン」、正しくは「聖座」を代表するのが、これらの人々ということになるでしょう。
11)教皇とはどういう存在?
教皇には正式にはたくさん称号があるのをご存じですか。「ローマ司教、キリストの代理人、使徒の頭(かしら)の継承者、全世界のカトリック教会の統治者、イタリア半島の首座司教、ローマ首都管区の大司教、バチカン市国の首長、神のしもべのしもべ」。これは歴史上の教皇がそのときどきで自称したものが組み合わさっているのですが、理解するために基本となるのは、「ローマ司教」ということと「使徒の頭(かしら)の継承者」であるということだと思います。
司教としては、全世界にいるカトリック教会の各地の主要な指導者である司教の中の一人なのですが、その中でも使徒の頭(かしら)であったペトロの後継者であるということが、他の司教たちに対して「教皇」という特別な地位、すなわち「全世界のカトリック教会の統治者」つまり頭(かしら)という地位にある存在だということを示しています。
これについて第2バチカン公会議の『教会憲章』22項では、次のように書かれています。「主の制定によって、聖ペトロと他の使徒たちが一つの使徒団を構成したように、同等の理由で、ペトロの後継者であるローマ教皇と使徒たちの後継者である司教たちとは互いに結ばれている」
たとえば、特に、司教の任命。それから教皇文書の発布。回勅とか使徒的勧告とか自発教令とか各種あります。第2バチカン公会議の公文書も最終的には教皇の名によって出されます。信者にとって関係の深い典礼書・儀式書(規範版)も教皇の名によって出されます。あとは、教会裁判に関する最高の座でもありますし、教会の中の組織(教区、修道会)に関する設立や廃止、聖人や福者になることを決定する列聖・列福も教皇の権限。具体的な典礼祭儀を行ったりするのは司教と同じですね。
これらは宗教団体としてのカトリック教会の最高指導者としての仕事になります。もちろん、具体的な実務は教理省、福音宣教省、典礼秘跡省など、個々の機関があり、その長官がいるわけですが、最終的な承認や認証を行うのが教皇です。政治的主権者としては、外交的な訪問者(外交官や各国首脳)との会談もあれば、世界各地の教会を訪問したり、キリスト教の諸教会・諸教派の長と会見したりすることも大切な仕事となっています。
12)教皇とはどのように選ばれる?
13世紀になると、枢機卿たちが外部との接触をせずに「鍵のかかる部屋」(コンクラーヴェ)において秘密に選挙するという現在のような方式ができたといわれています。このコンクラーヴェが今日の教皇選挙会、厳密にいえば「教皇選挙秘密投票会議」になります。外部の影響を受けてきた混乱の歴史を反省し、つくられた経験と知恵の産物のようです。こちらも洋書紹介に記事がありますので、参考にしてくださいね。
13)枢機卿とは?
現在では、ローマに属する諸教区の司教はもちろん、それ以外の教区司教・大司教、教区司教でない人など、広範囲に選ばれるようになっています。枢機卿への任命については日本語でも「親任」という訳を使い、教皇との近さ・親しい地位を表現しています(『新カトリック大事典』「枢機卿」参照)。
14)アジアや日本からも、いつか教皇が?
(企画・構成:石井祥裕、イラスト:高原夏希=AMOR編集部)