信仰宣言
齋藤克弘
前回は平和の賛歌について書きましたが、書き忘れたことがあるのでそれに触れてから信仰宣言に移りたいと思います。それほど長いことではありません。平和の賛歌も信仰宣言を除く他のミサ曲同様、様々な装飾が施されたこと、本来、会衆の歌であったものが、ラテン語を理解しない会衆の多い地域では教役者や聖歌隊だけが歌うようになったことです。前回、このことを忘れていたのを思い出しました。
さて、今回は信仰宣言を取り上げます。信仰宣言はミサ曲の他の4曲とは少し様相が異なっています。他のミサ曲は、現代日本語のタイトル表記では「賛歌」とあるように、神をまた主キリストをたたえて歌うものですが、信仰宣言は文字通り、キリスト教の信仰を宣言するために歌うものです。ミサの中ではキリストの生涯の出来事を味わう福音朗読、それに続く説教の後に歌われます。
ローマ典礼に信仰宣言が導入されたのは、ほかのミサ曲よりもかなり新しく、1014年に神聖ローマ皇帝として時の教皇ベネディクトゥス8世による戴冠式のためにローマを訪れたハインリヒ2世が、ローマのミサの中で信仰宣言が唱えられていないのを驚き、教皇にミサの中で唱えることを進言したことからローマ典礼のミサの中で信仰宣言が唱えられることになったとされています。つまり、古い表現を使えば、ガリア・フランクの流れを汲む典礼においては、この時代すでに信仰宣言がミサの中で唱えられていたわけです。
キリスト教の正統信仰を宣言する信仰宣言は、古代からさまざまな様式のものがあり、この1014年にローマ典礼に取り入れられた信仰宣言は「ニケア・コンスタンチノープル信条」と呼ばれています。それはこの信条文がニケア公会議(325年)とコンスタンチノープル公会議(381年)で決定されたものだからです。この二つの公会議以後、東方諸教会でも西方教会でも、この信仰宣言がキリスト教の正統信仰をまとめたものであり、この信仰を告白するものが正統信仰を信じる者とされています。
ここで、少し話が固くなりますが、キリスト教と言ってもカトリック教会の信仰について触れておきたいと思います。キリスト教の信仰は教会によって考え方が異なる場合もあるかと思いますが、カトリック教会の場合は「教会が信じている信仰を個人が受け入れて教会共同体(神の民)に加入する」というものです。ですから、信仰は個人的なものではなく共同体的なものであるということが帰結されます。言い換えれば、わたしと神様、わたしとイエス・キリストとの個人的な関係ではないということです。このように書くと不思議に思われる方もおられるかもしれませんね。でも、信仰宣言の本文をよく読んでみてください。確かに、洗礼式の時に個人が宣言するものであるので、主語はほかのミサ曲やミサの式次第と異なって「わたし」となっていますが、信仰宣言の条文の後ろの方には、「わたしは聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を信じます」とありますね。つまり、教会の信仰箇条の中には、神様やイエス様だけを信じるのではなく、キリストが使徒たちの土台の上に建てられた教会も信じることが書かれていて、それを受け入れて宣言するわけです。その中で「使徒的」、以前は「使徒継承の」と訳されたことばは、各自が使徒の後継者とされた司教によって代々継承されてきたという意味が含まれています。この使徒の後継者の司教の中で要であり頭であるのがペトロの後継者であるローマの司教(教皇)です。このローマの司教を頭とする司教たちの集まりである司教団がこの信仰を代々受け継いできており、この受け継がれた信仰を受け入れることが教会共同体に加わり、カトリック教会の信徒となることなのです。
信仰宣言は比較的長いテキストであり、ほかのミサ曲とは異なって、内容が信仰箇条であったことから、歌詞の装飾がなされた「トロープス」が作られたことはありませんでした。また、グレゴリオ聖歌の旋律も母音を長く延ばすものは作られませんでした。本来、すべての会衆が歌うべきものとされていた信仰宣言も会衆がラテン語を理解しない地域に広まっていくと次第に聖歌隊だけが歌うようになります。また、ルネッサンス時代以降になると楽器の伴奏によって、次第に長い曲が作られていきました。
現在のミサでは、ニケア・コンスタンチノープル信条のほかに使徒信条も信仰宣言として歌うことができます。こちらは、その起源が2世紀後半のローマ教会にまでさかのぼるもので、比較的短い形で信仰箇条がまとめられています。現在、日本語の典礼では、ニケア・コンスタンチノープル信条を二つの旋律で、使徒信条は三つの旋律で歌うことができます。
(典礼音楽研究家)