明石順三の悲しすぎる信仰


戦時下に、天皇制ファシズムに最後まで抵抗したのは、日本共産党とともに明石順三と灯台社のグループがあげられる。

65歳(1954年)の明石順三(出典:稲垣真美著『兵役を拒否した日本人―灯台社の戦時下抵抗』岩波書店、1972年)

明石順三は、1889年生まれ。18歳で渡米。アメリカ滞在中に「ものみの塔(Watching Tower)」に触れ、洗礼を受ける。帰国後、最初は神戸で日本における布教を行い、「灯台社」を設立。

その後、灯台社のメンバーによる、天皇参拝拒否をきっかけとして1933年不敬罪で起訴され、灯台社は解散を余儀なくされる。しかしなおも灯台社メンバーによる兵役拒否があいつぎ、ついに1939年治安維持法でメンバーが根こそぎ検挙される。獄中での迫害、拷問にもめげず、多くのメンバーは獄中非転向を貫く。

戦後になって釈放された明石順三は、「ものみの塔」本部の戦争中の行動に疑問を持ち、本部に質問状を書くが、除名される。その結果、かれは「ものみの塔」から離れ、晩年は仏典の研究などをしながら、誰にも知られずに1965年にひっそりとその生涯を閉じる。

写真は、明石順三が日本で発行した「燈台」誌の表紙。
この明石順三の生き方を見て、私はとても悲しくなる。

明石順三が日本で発行した「燈台」誌の表紙

文字通り命をかけて、迫害や拷問に耐えた「信仰」を「ものみの塔」本部は「本部の指示に従わなかった」という理由であっさりと除名処分にしてしまう。その結果、彼は「命をかけて」守り通した信仰を捨ててしまうのである。

こんな悲しいことはあるだろうか。

土屋 至(SIGNIS Japan 会長、聖パウロ学園高校講師「宗教」担当)

 

【参考】
稲垣真美著『兵役を拒否した日本人―灯台社の戦時下抵抗』岩波書店(岩波新書)、1972年。
明石順三の言葉(http://godpresencewithin.web.fc2.com/pages/jw/akashijunzo.html

 


明石順三の悲しすぎる信仰” への4件のフィードバック

  1. 悲しい・・・信仰を捨ててしまうのが。
    どうして悲しいのか全く理解出来ません、不思議です、教えてください。

    • 自分の生き方を貫くことができなかったからかな?
      イエスキリストは私の人生の師匠です。

  2. 彼の批判文7つから、本部が世の体制に、妥協した風に書いた事で、除名されたようだ。
    実際はそうでないのに、彼にはそう映ったか。会長の交代によるのか。
    彼は何の体制に対しても嫌だったのかも知れない。
    とにかく本部を批判したら除名にはなるだろう。
    以降、仏教を学んだらしいが、そこまでキリスト教を理解してなかったのかめたしれない。
    やっと反戦による投獄を耐え抜いた後の、転向は悲しいものがある。

  3. 天皇への敬愛を感じながらも日本人の官憲から拷問を受け、出所時に「おもしろかったね」と言った人です。
    つまり日本の当時の法よりも、自身の信念の方が大切だった人です。
    灯台社に所属しながら、会長に除名されたことを、果たして悲しいと感じるでしょうかね。
    しょせんワッチタワーもたいした倫理を持つ集団ではなかったわい、くらいの感情ではないでしょうか。
    法にも、戦中戦後の大衆にも、ワッチタワーにも、名声の獲得にも拘泥していないので、”誰かに知って”もらいたいというニーズさえなかったように思います。
    どちらかと言えばこの人は、むしろ生涯を通じて自分の信念を貫いたように私からは見えます。
    これを悲しいという視点から見てしまうことの方が妙に世俗的な感じがします。明石にとっては、ワッチタワーからの対応もかなり愉快な出来事だったのではないでしょうか。

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