喜屋武貞男(きやたけ・さだお)さんに会っていると、いつも気持ちがリラックスしてくる。話をしているうちに、こころがほんわかしてきて、なんだかいままで思っていたわずらわしいことがどうでもいいやという気分になってくる。これは、いいかげんな気持ちにさせられるということではなく、ゆったりとしたとても心地よい気分ということだ。
ぼくが喜屋武さんに初めて会ったころ、喜屋武さんは千葉と沖縄を行き来していた。それは千葉に住みながら沖縄にもアトリエをつくって、絵を描いていたからだ。沖縄の雲の美しさを感じて、ずっと雲を描き続けていた。
喜屋武さんは、大阪市此花区という沖縄出身者が多く住んでいる場所で生まれた。昭和11年(1936年)のことである。大阪で育ち、東京芸術大学美術学部彫刻科を卒業して、東京都内の中学校を経て、千葉県内の公立学校で美術の教員になった。喜屋武さんの専門は彫刻だが、退職してからは風景画も描き始めていた。西伊豆の風景画を描いていたとき、沖縄で見た風景と美しさにちがいがあることに気づいた。
「遠近法の常識として、〈手前はあざやか遠くはぼかす〉ものと決めていたのは実は空気のよごれだったのだ。空気のよごれを私は美しいと思って描いていたことに気がついてしまったわけだ。そうすると、西伊豆で得意になって美しいと思って描いていたのはなんだったのか、と疑問をもってしまったのである。私は美しいものを描いているつもりで、知らなかったこととはいえ、実はよごれを描いていたことになり、それが呪縛になって、それから日本本土では風景画が描けなくなっていた。それで60歳をすぎて、また、絵を描くのであれば、私に呪縛をかけた沖縄の風景から、もう一度やり直そうと思ったのである」
喜屋武さんに呪縛をかけた沖縄。ぼくは喜屋武さんが沖縄人としてのルーツの話をされたとき、その呪縛の意味がぼくなりに理解できたのである。
喜屋武さんの先祖は琉球人で、毛氏(もううじ)の護佐丸(ごさまる)盛春という15世紀の人だと言う。沖縄中部の山田城、座喜味(ざきみ)城、中城(なかぐすく)城の城主だった。護佐丸盛春に悲劇が起こるのは、尚泰久王(しょうたいきゅうおう)が琉球を治めていた時だった。勝連という文化の栄えた豊かな地域の首長である阿麻和利(あまわり)は首里城を攻め落とし王位につこうとしていた。それに気づいた尚泰久王は娘を阿麻和利に嫁がせ、忠臣の武将・護佐丸を中城城の按司(あじ、首長)に据えて阿麻和利を牽制する。尚泰久王は護佐丸の娘を妻にしていた。阿麻和利は護佐丸が兵馬を訓練して城塞を固めるなどして王府に反逆を企てていると讒言(ざんげん)した。尚泰久王はこれを疑いながらも阿麻和利に護佐丸討伐を命ずる。護佐丸はもとより謀反の気持ちはなかったので、何の抵抗もせずに自刃した。そこで阿麻和利は首里城を攻撃しようとするが、妻(尚泰久王の娘)と付き人に悟られ国王軍の反撃で敗れ去ったのだった。
護佐丸の最期の日は十五夜で、城内で家臣たちと月見の宴をしていた。周囲を阿麻和利の軍に囲まれては、国王に無実の罪だと伝えることもできず、「官軍に刃向うは臣下の道にあらず、これも運命なり」と護佐丸は家来や妻子たちに言い含め、一矢も放たず、夫人と2子と共に自刃し、家来たちもこれに殉じた。時に1458年のことであった。
「自刃して果てて全滅したのに、なぜ私まで代が続いたのか。それは長男、次男は一緒に死んでしまったけれど、乳呑み児だった3男だけはどうしても殺せず、乳母に城から逃げのびさせたからだと伝わっています。一族が滅びてから、国王が攻めたのがまちがいだったと気づき、護佐丸は忠義者だったということになりました。それでゆかりの者を家来に取り立てたのです。私で18代目ぐらいになります」と笑いながら話してくれる。
喜屋武さんにはれっきとした沖縄人の血が流れている。しかし、喜屋武さんは大阪にいても、大阪人ではなく、東京や千葉県に居てもそこの人ではない。人からは「沖縄に帰れ」と言われたこともあったのだ。だからと沖縄に行って「ウチナンチュー」にもなれない。自らを「異邦人」になる要素があるのだなあと言う。
「沖縄でながめた雲は、空の青色とあいまって、雲が身近に見えることがとてもうれしい。私は雲を通して人間を見、雲を通して世の中を見て、これからの生き方を考えたりしようと思っています」
喜屋武さんの雲には哀愁が感じられる。それはぼくが喜屋武さんの呪縛としての「沖縄」を考えるからなのか。
喜屋武さんは70歳を過ぎてから「悲風の丘」に彫刻をつくった。「メビウス・ドラム」という14個のドラム缶を組み合わせた作品だ。1つ1つのドラム缶が風鈴のようになっていて、風が吹くと音がするのだそうだ。「悲風の丘」は戦時中に沖縄陸軍南風原壕があったところである。ひめゆり学徒を思い出す場所でもある。
「メビウス・ドラム」に風が流れ、その風にのった音はなんと聞こえるのだろうか。ぼくは、その風(プネウマ)に、吹きぬけてくる神の愛の息吹を感じるだろう。また、沖縄に行かねばならない。
鵜飼清(評論家)
沖縄の空.海.日の入り.風.人
好きです。
来たら皆が魅せられるとおもいます。