イエスと家族


カトリック教会ではヨゼフとマリアとイエスの家族を「聖家族」と呼んで、理想の家族のように語られている。たしかにそうだったのだろうが、聖書を読んでいくとイエスは家族に冷たいように思われるところがおもしろい。

それが最もはっきりと読めるところはマタイ12章46~50節「イエスの母、兄弟」という箇所である。

イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

こう言われた母と兄弟たちはどういう気持ちだったのだろうか? 穏やかならぬ気持ちでいたに違いない。母と兄弟たちは結局イエスには会えなかったのではないか。

だいたいイエスに兄弟がいたという話は聖書の他の箇所にも出てくるのだが、カトリック教会は「イエスには兄弟がいなかった、ここで兄弟と言われているのは親戚やいとこたちである」と強弁している。

イエスがナザレに帰って会堂で説教を始めたときにナザレの人はこう言う。(マタイ13章55~58節)

この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」このように、人々はイエスにつまずいた。イエスは、「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」と言い、人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。

ジョン・エヴァレット・ミレー作『両親の家のキリスト』(1849~50年、テート・ブリテン蔵)

イエスは家族では受け入れられてなかったということなのだろうか。ルカではこのあと崖の所に連れて行かれて突き落とされそうになったと書いてあるが(16~30節参照)、このときイエスの母と兄弟たちはどうしていたのだろうか?

またさらにこんな所もある。(ルカ9章61~62節)

また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

これだけ読んでいるとイエスは家族に冷たいと言わざるを得ないのだが、きっとこの背景にはイエスの深い読みがあるのだろう。どなたかうまく解釈していただけないか?

土屋至(聖パウロ学園高校「宗教」担当講師、元清泉女子大学「宗教科教育法」講師)

 


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