スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 38


古谷章・古谷雅子

5月30日(火) エル・ブルゴ・ラ・ネーロ~プエンテ・ビジャレンテ(1)

歩行距離:26km
行動時間:6時間50分

昨日偵察済みだったので、薄暗い6時に無事に町を出た。町の中で途切れていたプラタナスの並木がまた続く一本道だ。麦畑は少なくなり、播種の準備で掘り返された赤土の広がりが目に付くようになってきた。左側にビジャ・マルコに道を分ける辺りに小さな飛行場があり、その先で休憩。ここまで1時間45分歩いたが、だれにも会わなかったし平行するローカル自動車道にも4台の車しか走ってこなかった。はるか右奥に山並みが見えてきた。右側に長い貨物列車が走ってきたので鉄道線路が近くにあることに気づいた。まもなく線路をくぐり、今日最初の村であるレリエゴスに到着した。バルを見つけることができず村はずれのベンチで手持ちのおやつ休憩をしただけで先に進んだ。

すごい規模の立体交差が建設中で巡礼路も一部高いところを通過する。周囲の村が遠望でき、そろそろ人臭くなってきた。マンシージャ・デ・ラス・ムラスに近づいたあたりで、道端の草むらの中に異様なものを発見。なんと、大きな豚の死骸だった。恐らく脱走してきて自動車道に飛び出して車にはねられたのだろう。この巨体だと車の方の衝撃も大きかったのではないか。あるいは荷台から振り落とされたのか? スペインでは総じて町中の運転マナーはよいが、郊外ではスピードを出しているような気がする。それにしても早く始末しないと・・・と心配になる。

標高800m、人口1800人ほどのマンシージャ・デ・ラス・ムラスでカルサダ・ロマーノ(ローマ時代の石畳の道「トラハナの道」)が合流する。12世紀には修道院といくつもの教会や救護院を持つ大きな町だったようだ。川の小石と石灰で作られたずんぐりした城壁が今も残る。地図で見るとエスラ川の緩やかな囲繞地(いにょうち:他の土地を囲む周囲の土地)で、この立地条件がうまく生かされた要塞だったのだろう。13世紀建立のサンタ・マリア教会の塔にはコウノトリが営巣していた。

この日は町の中心のポソ広場で盛大な野菜市が開かれていた。買うものもない私たちもワクワクする雰囲気だ。ざっと目に付いたものだけでもナス、ズッキーニ、トマト、ネギ、カリフラワー、ブロッコリー、ピメントス、インゲン、マッシュルーム、オレンジ、スイカ、ピカピカのはち切れんばかりの大きな新鮮野菜だ。切り花はカラーやアルストロメリア。様々な野菜の苗もある。6月に入ると専業農家だけでなく家庭菜園愛好者も農作業を始めるのか、手に提げて持てる程度の苗を求める人も多い。

そしてお年寄りも含めて殆どの人がとてもめかしこんでいる。今日は社交を兼ねた「ハレの日」らしい。私たちは広場脇のバルで遅めの朝食にしたが、その時間で既にスピリッツで盛り上がっている人たちも多かった。ここの雰囲気が面白かったので、せっかくの歴史的遺産の方は熱心に見ないまま崩れたサン・アグスティン門を出てエスラ川を渡った。道沿いも都市近郊の畑らしく、葉物やトウモロコシになる。

さて、寄らなかったところについては記録に入れるのは筋ではないが、マンシージャ・デ・ラス・ムラスを出て巡礼路から北東に分かれた16km先の人家もない野原の高台にあるというサン・ミゲル・デ・エスカラーダ教会はこのあたりの文化・歴史を理解する上では興味深いところで、行って見たかったが徒歩では遠すぎて諦めた。ちょっと心残りなので書いておきたい。前述の村田栄一先生はここを「荒野のモサラベ真珠」と表現されている。「モサラベ」とはキリスト教徒でありながら言語文化的にはアラブ化した人あるいはその文化をさす。

8世紀前半にイベリア半島を支配したイスラムの宗教政策は寛容だった。イスラム教に改宗しなくても納税によって共存が可能だった。これは前に建築様式のところで使った「ムデハル」(キリスト教支配地で納税によって残留を認められたイスラム教徒)と対をなす。このような仕組みの中で当時は高水準だったイスラム圏の文化が特に中部以南でキリスト教徒に取り込まれた。しかし9世紀後半、レコンキスタの進行によって劣勢に陥ったイスラムは支配地におけるモサラベを迫害するようになった。そのため多くのモサラベは北部のキリスト教圏内に逃れてきた。そして10世紀にはこの地にモサラベ様式の教会が建てられた。貴重なキリスト教の文献の写本もこの教会で作られた。

イベリア半島は陣取り合戦の歴史を経験してきた。領土を争うのは宗教ではなくアイデンティティと利益で結ばれた集団の政治支配力だが、宗教もその下で時に寛容、時に偏狭になり人を翻弄してきた。エル・カミーノを歩くことによって文化の共存、衝突、包摂、排除等の変転を改めて考えることにもなった。

 


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