古谷章・古谷雅子
5月26日(金) オンタナス~ボアディージャ・デル・カミーノ(2)
歩行距離:26km
行動時間:7時間55分
ここからは県境の川リオ・ピスエルガに向かって下り坂になる。イテロ橋(イタリア人の橋)を渡るとブルゴス県からパレンシア県のイテロ・デ・ラ・ベガという集落に入るが、橋の手前には巡礼者のための救護院だった古い建物(サン・ニコラスの避難所)がある。
中は東側に祭壇、西側には中二階も含めて10台ほどの簡易ベッドが置かれ、今もアルベルゲとして巡礼者を受け入れていた。宿泊費の定めは無く、ドナティーボ(喜捨)。オスピタレーロ(宿の管理人)はイタリア人だった。今はバックヤードに別棟のトイレとシャワーがあるようだが、食事は各自川向こうのイテロ・デ・ラ・ベガで食べるか調達してくるようだ。このような寝るためだけの簡素な施設が本来のアルベルゲだったのだろう。
川の付近は緑豊かだ。また農業用水として取水され、農地には恐竜の骨格のような巨大な散水設備によりトウモロコシや野菜も作られていた。
ピスエルガ運河を過ぎるとまた麦畑がどこまでも広がり、地平線ならぬ麦平線とでも言いたくなるスケールだ。
今日の調子では、フロミスタまで行くことは体力的には十分可能だったが、敢えて6km手前の小さな村ボアディージャ・デル・カミーノを宿泊地とした。その理由はこの先のフロミスタにあるスペインロマネスク建築の代表と言われるサン・マルティン教会を翌日ゆっくりと見たかったからだ。巡礼中は昼過ぎに着いて、あとは暇なようだが実は思いのほか忙しい。
空きのあるアルベルゲを探し、ベッドの確保(条件のよいアルベルゲは早く着かないと泊まれない。到着順が原則だが、昨年は10人ほどの巡礼手帳を預かって一人で先回りしてベッドをグループで取ってしまう者が私たちとほぼ同じ行程で歩いていて残念な結果になった日もあった)、ドミトリー泊の場合は電気のコンセントの確保と電子機器の充電、シャワーの順番待ち、洗濯と干し物、翌日の水分や軽食の購入等…。もう1時間半歩くとなると、これらの日課作業の後の見学はせわしない。また翌日充分明るくなるまで待つのも効率が悪い。それなら手前でゆっくり泊まって夜明けから歩き、明るくなるころフロミスタに到着しようというわけだ。
ボアディージャ・デル・カミーノにはホテルもあるが空きはなし。「アルベルゲ・エン・ネル・カミーノ」はドミトリーだけですべて2段ベッド。一人€8。割り振られたのは比較的静かな6人部屋でシャワーやトイレは廊下を挟んで全体で共用。シャワールームは男女別だ(昨日のアルベルゲは小さかったせいか男女共用で気を遣った。男性はパンツ1枚でうろついていたが女性はそうもいかないし)。同室はアルゼンチンから来た壮年の自転車カップルと、道中で仲良しになったらしいスペイン女子とポーランド男子のカップル。
このアルベルゲは美しい中庭があり気持ちがよい。広いテラスで活気あるバルも営業していて、ベッドを既に確保した人たちで盛り上がっていた。私たちも一段落してから遅い昼食を兼ねてカーニャ(生ビール)とケソ(チーズ)盛り合わせで仲間入りした。
突然日本語で「日本の方ですか」と女性から声をかけられた。年配のご夫婦で全行程を一気に歩く予定とのこと。「もう81歳でこれが最後のチャンスですから」とおっしゃるが、お元気そうだ。私より一回りも上だ!トラブルなしにご無事に旅を全うされますように。
村を一回りしてみた。古いロマネスク様式の教会は封鎖されていた。村から巡礼路への出口を確認し、明朝に備えた。
夕食は6時半開始というのがありがたかった。長テーブルで一斉開始のペリグリーノス・メヌーだ。定番の豆の煮込みスープは鍋ごとテーブルに置かれた。食器類はこの地方産の厚手の陶器で楽しい。またメインの肉と魚を二人で取り換えっこして味わう。
同じテーブルはフランスからの自動車旅行の年配のグループだ。英語を話さない人たちなので、微笑と手振りでのコミュニケーションだったが、仲間内でも殆ど話をしない静かな人もいるので、あまり会話に拘泥しなくてもよいのだ、と気が楽になった。
明朝は早出のため、他の人を起こさないで済むように寝袋以外の荷物をまとめて部屋の出口に置き、早々ベッドに入った。